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「カササギ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ著)のネタバレ感想(ずっと前の) 3

ネタバレしています 本著「カササギ殺人事件」内小説「カササギ殺人事件」は、1955年を舞台にしながら現代の倫理観を持つ人物を配することで、アガサ・クリスティの時代の差別と偏見を否定してみせました その一方で、当時の差別の残滓、形を変えた現代の偏見を顕にしました 「それは差別・偏見だと知っている」ということに安住することが、また別の偏見を生むことも描かれていました 最終章では、さらにもう一つ問題が提起されています メアリの日記で明らかになったロバートの狂気ですが、ロバート

    • 「カササギ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ著)のネタバレ感想(ずっと前の) 2

      ネタバレしています 1で書いたアガサ・クリスティの時代の差別と偏見が「カササギ殺人事件」内小説である「カササギ殺人事件」では現代の倫理観を持ってクリアされているという話です では、現代の倫理観は差別と偏見を完全にクリアできているのか?というと、できていないということを「カササギ殺人事件」内小説である「カササギ殺人事件」が語っています メアリの日記を発見したチャブ警部補は、ジョイにダウン症の弟がいることを知り、日記の中の「血筋を汚す」「忌まわしき病」という記述から、メアリが

      • 「カササギ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ著)のネタバレ感想(ずっと前の) 1

        感想なのでネタバレしています 小説内小説である「カササギ殺人事件」は、面白かったです どっぷりアガサ・クリスティを読んでいる気持ちで読める上に、クリスティを読む時に感じる苦痛がなく、その時代の景色、人間像、ストーリーを十分に楽しめました クリスティ作品には現代とかけ離れた階級意識による倫理観が見えます 例えば、貴族によって虐げられた下層階級の犯罪者が悲惨な末路を辿るとき、クリスティは彼らの動機を「逆恨み」と言い、彼らの最後を「自業自得」と書くことがあります 病気や障害に対

        • お散歩吟行

          まず、工場直営パン屋さんに向かう いつもは水筒に飲み物を用意して行くのを、今日はコーヒーを買いにコンビニに寄ったため、土手ではなく遊歩道を歩く かつての工場用水路が暗渠になり整備された遊歩道なので、工場の機械や部品をモチーフにしたオブジェとそれに実用性を持たせたもの、ベンチやテーブル、遊具が道なりに並んでいる 野放図に茂った植栽と雑草、空き缶や吸い殻と相まって、ポップでサイバーパンクな終末感があるのだけれど、ここは春には桜、秋には紅葉が美しいのだ パンを買って、丘陵に広がる

        「カササギ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ著)のネタバレ感想(ずっと前の) 3

        • 「カササギ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ著)のネタバレ感想(ずっと前の) 2

        • 「カササギ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ著)のネタバレ感想(ずっと前の) 1

        • お散歩吟行

          関谷恭子句集「落人」感想 4

          人日(2022〜2023) 花は葉に橋くぐるとき舟しづか 中七下五の措辞そのものが静謐です 橋をくぐる時の舟に橋の影が落ちるひととき、その少しの時間の静寂を見逃さない感覚の冴えと、それをこれほどシンプルに詠む技量、季語の斡旋が見事です 時間は移ろうもの、そして豊かなもの、その両方を伝えてくれる句です ががんぼの沈みがちなるひとつがひ 沈むという表現がいいです ががんぼの動きだけでなく、その重さが感じられます 番であればこそのリアリティだと思います 風筋の黒く立ちたる

          関谷恭子句集「落人」感想 4

          関谷恭子句集「落人」感想 3

          初雪(2020〜2021) 落し文だいじに燐寸箱の中 だいじにという言葉がいいです 俳句は具体的な描写で「大事にしていること」を伝えるというのがセオリーですが、この句では「だいじに」がそのまま心に届くように感じます 燐寸箱の中という描写が漢字表記と相まって、だいじにを生かしているのだと思います 古池ふつと八月の息を吐く 八月の季語が生きている句だと思います お盆があり、終戦の日(敗戦の日)がある八月 古池は切れているのではなく、主語として読みました 八月の息なので、古

          関谷恭子句集「落人」感想 3

          関谷恭子句集「落人」感想 2

          驟雨(2014〜2017) 春雨や身ほとりのものみな無音 身ほとりという言葉のゆかしさに惹かれました 春雨は音のないものですが、無音ということで春雨の気配が際立ちます その気配に耳を澄ませているように感じました 幕間の騒めきの中豆の飯 騒めきと豆の飯を「の中」の描写で繋いでいます そこに「いただく」の省略があります 取り合わせにしないことで、観劇の幕間も楽しむ人の姿が見えます 根のものをあまた俎板始かな こちらも、根のものをと目的語として詠むことで、調理をする人の

          関谷恭子句集「落人」感想 2

          関谷恭子句集「落人」の感想

          関谷恭子さんの初句集「落人」を読みました 好きな句を挙げさせていただき、感想は書かなかったのですが、やはり好きな句のことは話したくなるものです ちょこっとだけ書いていこうと思います 草朧(2010〜2014)より 湖沿ひの家に灯ともり草朧 湖沿いの言葉に湿り気を帯びた空気が感じられました 海とは違う湿度です 草朧の湿度を実感のあるものにしています 家の灯という描写に、草朧の草がしっかり見えてきます 裏庭、或いは家の裏の草地に灯りが落ちているのでしょう 言葉の一つ一つに

          関谷恭子句集「落人」の感想

          関谷恭子句集「落人」

          関谷恭子さんとは蒼海で句座をご一緒させていただきました 柔らかな言葉遣いで確かな描写をされる、端正でどこか遥かな句を詠まれる方です 恭子さんの句をとれば誇らしく、とっていただければ嬉しい、そのように過ごした四年間でした あとがきによれば「武者修行」であったとのこと さらには、ご自身落人の末裔でいらっしゃるとのこと ああ、恭子さんって、恭子さんって、武者で落人、武者で?落人? 腑に落ちるような落ちないような… けれども、ここに詠まれ、描かれた笹百合は確かに恭子さんその人です 素

          関谷恭子句集「落人」

          「兵卒タナカ」を観て その二

          物語について、あと少し 疲弊する稲作農家と、農家から利息を取り立てながら自身は納税に苦しむ金貸しなど、資本主義と国家体制への言及が興味深かったです タナカの両親は食うに困り、借金の利息も払えず、娘を売りましたが、突然帰郷した「陛下の軍人さん」である息子をもてなすために、そのお金を使いました 娘には「返せない額を借りたので、返済できて家に戻って来られると思うな」と言いながら、迫られる返済や今日明日の命のためだけではなく、来年再来年の凶作に備えて余分に借りて隠しておいたのでしょう

          「兵卒タナカ」を観て その二

          「兵卒タナカ」を観て その一

          ストーリーはシンプルです 貧しい農村に兵役中のタナカが帰省してくる それを両親が大いにもてなす タナカは妹を紹介しようと隊友を連れてきたのだが、妹の姿はない 後日、隊の仲間と遊女屋を訪ねたタナカは、遊女となった妹と再会する 凶作続きで嵩んだ借金の形に妹は女衒に売られており、その金でタナカは歓待されたのだった ここまでは、タナカの帰省の時点で察しがつきます タナカと妹が話しているところに、客としてタナカの上官がやってくる 部下として上官に、兄として妹を、遊女として差し出すことが

          「兵卒タナカ」を観て その一

          澤好摩「光源」を読む 六

          ご厚意により、澤好摩句集「光源」を読む機会に恵まれました 読み進め、考えるために文章にしようと思います 岩床の上を水ゆく雪柳 表現に惹かれた句です 私は川底に露出した岩床が好きで、目にするたびに詠みたいなぁと思っています 板のように重なった岩が、剥がれたり、裂けたりして、それが島のようにも、背筋のようにも見え、そういったところどころに変わる水の流れを見ていると楽しいのです この句では、上を水ゆくと表現されています なめらかな言葉運びから、岩床はすっかり水に覆われているよ

          澤好摩「光源」を読む 六

          澤好摩「光源」を読む 五

          ご厚意により、澤好摩句集「光源」を読む機会に恵まれました 読み進め、考えるために文章にしようと思います かたくりの花の畢りを雨にかな の、の、を、に、の助詞の流れが心地よく、にかなの余韻に惹かれた句です 隠されている主語と省略された動詞をどう想像するかを考えました 二つの「の」を両方とも連体修飾と考えると、詠まれてはいない主語、人がいることになります 省略された動詞は、この流れで自然なものと考えると、見る、眺める 訪ねるもあるかもしれません 人の視点を設定すると、かたくり

          澤好摩「光源」を読む 五

          澤好摩「光源」を読む 四

          ご厚意により、澤好摩句集「光源」を読む機会に恵まれました 読み進め、考えるために文章にしようと思います 音なしに雨のしろがね豊の秋 なしにに惹かれた句です 「なしに」は「雨音はないのに」という逆説にも読めますが、私には雨のしろがねという言葉に雨音は聴こえませんでした 雨のしろがねという言葉自体に、雨音はないのだと思います そこに「雨音はしないのに」と重ねると、雨のしろがねという言葉が損なわれるように感じます 「なしに」を「音はしなくて」とし、音を雨音だとはっきりさせると、

          澤好摩「光源」を読む 四

          澤好摩「光源」を読む 三

          ご厚意により、澤好摩句集「光源」を読む機会に恵まれました 読み進め、考えるために文章にしようと思います うららかや崖をこぼるる崖自身 崖の突端からか、斜面からか、土塊が剥がれ転がり落ちています それを崖自身が崖をこぼれていると詠んでいます うららかとこぼるるのひらがな表記と、らら、るるの韻律が柔らかく明るい句です 崖は自身がこぼれつつあることを知らないのでしょう こぼれた結果、さらに急峻を増すのか、なだらかになり、やがて丘の姿となるのか、それは分かりません こぼるるの漢

          澤好摩「光源」を読む 三

          澤好摩「光源」を読む 二

          ご厚意により、澤好摩句集「光源」を読む機会に恵まれました 読み進め、考えるために文章にしようと思います 乾坤や草餅に搗きあがりたる 私は「乾坤一擲」を「思いっきり叩く」ことだと思っていました 切れ字を挟んで「人が思いっきり餅を搗く」「餅が草餅に搗きあがる」と主格が変化している、この「に」に惹かれ、一日あれこれ考えて過ごし、ようやく乾坤の意味を調べたところ「乾坤一擲」は「思いっきり叩く」ことではありませんでした 「乾坤」とは、八卦の乾と坤、天地、陰陽などの意味だそうです こ

          澤好摩「光源」を読む 二