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マクドナルドという食べ物

よくマックに行く。
小樽にはマックが一箇所しかない。
ウイングベイ(以下マイカルと呼ぶ)のテナントにあるマックしか、小樽市民が気軽にマック欲を満たせる場所はない。
マック欲とは人間が持つ三大欲求の食欲の中にある隠れた欲求である。同様のものに"二郎欲"、"唐揚げ欲"など様々な欲求があるがマック欲ほど強力なものではない(個人差があります)。

マックはに代えが効かないのである。

小樽市には2023年現在モスバーガー二店舗、ケンタッキー二店舗、バーガーキング一店舗とファストフード店がそれなりに充実している。
しかし、マックは一店舗。バーガーキングと同じレア度である。
かつてはマックも二店舗あったのだ。
しかも南小樽の生協の二階というニッチな立地に。
しかしもう随分と昔に閉店した。
高齢者が多い小樽ではマックはむしろ、ケンタッキーより、モスバーガーより、需要がないのかもしれない。
遅い昼食としてケンタッキー(これもマイカルのテナント)に行くとマダムたちがコーヒー片手に談笑していたりする。
小樽市民は、夜更けにマックが食べたくなったら車を走らせて、隣街の手稲区まで行かなければ食べられないのだ。
絶妙な山道をダブルチーズバーガーナゲットポテトと念仏のように唱えながら登って降りて、閉店前のマックに駆け込み貪り食う。
おいしい。
このおいしいをもっと身近にしてほしい。
マイカルのマックは夜九時までしか営業していないのだ。
もし夜九時以降にマックの口になってしまったら、そのままマックの口を維持したまま夜を明かし、目覚めと共に寝起きの顔で、寝癖で、Tシャツ一枚でマックに駆け込むしかない。

初めてマックを食べたのはいつだったんだろう。
物心ついた時にはもうマックは存在していた。
𠮷野家に初めて行った時のことは覚えているのに、マックを初めて食べ時のことは覚えていない。
親が転勤族で北海道内を転々としていたし、幼少期はとにかく田舎で暮らすことが多かった。
家の目の前が田んぼで、近所の畑で農薬を散布するから窓を閉めろ、といった放送が流れるような所で小学校に入学する頃まで暮らしていたら、マックを食べたのは小樽に越してきてからのような気がする。
きっと小学生の私は、物凄く驚いただろう。
家で食べる料理と全然違う、お米が主食じゃない、ポテトがついていて、パンに肉が挟まっていて脂っこくてしょっぱくて……。書き出すだけで何とも暴力的な食べ物だ。

ジャンクフードは生きている人間の食べ物だとも感じられる。
いつかマイカルのマックに同居人と昼食を摂りに立ち寄った時、喪服の男性二人組が座っているのを見た。
マイカルの近所にはベルコとやわらぎ斎場がある。
そのどちらかの人だろう。従業員か、参列者かはわからない。
マックの明るい店内に喪服。
私はその時、強烈なコントラストを感じた。
驚くべきことに、死んではマックは食べられないのだ。
お供物に果物やお菓子は一般的だけれど、お供物にダブルチーズバーガーポテトLセット飲み物オレンジジュースナゲットマスタードソースは、まだ一般的になっていない。気がする。
もちろんどこかの家では、このセットが仏前に供えてあって、おりんを鳴らしてからちょっとしなしなになったポテトを食べて故人を悼む、というお盆も三回忌もあるだろう。
死んだ爺さんが、息子が、嫁が、誰かが大好きで「おいしいね」「ポテト揚げたてだね」「一口食べる?」「やっぱりマックだよね」と言いながら食べた時と同じ味を感じるのだろう。
その行為は失われた命と、今存在している命をより一層、猛烈に際立たせる行為になると私は思う。
明日はマックを食べよう。
そして私が死んだら、時たまでいいのでダブルチーズバーガーポテトLセット飲み物オレンジジュースナゲットマスタードソースを供えてくれるよう、同居人に頼んでおこう。

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