見出し画像

家で食うヒレが最強

文化的な生活がしたいと常日頃思っている。
最後に映画館で観た映画はなんだっただろう。多分シン・ゴジラだ。
本を読むにも映画を観るにも集中力が足りないのかもしれない。
その点漫画はちょうどいい。漫画大好き。ドラゴンボールも呪術も鬼滅も読んでないけど。

今回はジュテーム、カフェ・ノワールについてだ。
新装版 ジュテーム、カフェ・ノワール (onBLUEコミックス) | ヤマシタトモコ |本 | 通販 | Amazon
ヤマシタトモコ氏のBLオムニバスである。セクシーなシーンもなく、男性同士の恋愛を主に全年齢楽しめる本だ。
世の中”多様性”だ”LGBT”だと言うけれど、そんなに甘くもないし私らのように「何かしらの手続き」をしていないカップルに対してもまあまあ風当たりは強いのである。
BLコミックによく出てくる「えっ、ホモとかムリ……」の描写もちゃんとある。この描写はいつまでBLコミックの当たり前でいられるのか。今後の現実世界次第なんだろう。
このオムニバスの中で特に好きな話が二つある。

一つは『魔法使いの弟子』である。同名のディズニーの話が頭をよぎるが、箒も水汲みもない。
頭がおかしいと近所で囁かれている絵本作家の家にひょんなことから”弟子入り”した女の子の話だ。
まずBLコミックなのに主人公は女の子だ。昔からBLサイトなんかではオリジナルモブ女子が出る、となれば大々的に警告がされているものだが、この話は主人公自体が女の子。作中で明言されているところが見つけられなかったが多分女子高生なんだと思う。夜9時近くまでファストフード店に制服でいてもお咎めがないのであれば中学生ではないだろう。
この少女、島北はどうにも年の割に幼い印象である。一人でボールを高く放ってキャッチする、という小学生か?という遊びをしていて、そのボールが住吉という絵本作家の家の木に引っかかった。そして二人は出会うのだがとにかく島北の言動は全体的に幼い。
次の日に「私も朝顔と話したい」と家に入ってきた島北に「座りなさい、冷たいコーヒーを淹れてあげる」と住吉はお茶の支度をしてくれる。
この本自体、カフェ・ノアールというタイトル通り作中には喫茶店やバーが出てくる。家でお茶をするシーンがあるのはこの話だけだ。
ヤマシタトモコにおけるお茶は、打ち解けたり、腹を割って話すための装置だと思っている。別の作品の違国日記でもこれでもか、と何度もお茶のシーンが出てくる。
魔法使いの弟子として島北は二つ呪いを解いてこの物語は終わるのだが、幼く感じられる島北だからこそ魔法の効果は絶大だったのだろう。

もう一つが『cu,clau,come 食・喰・噛』である。
この記事のタイトルにしたのはこの作品に出てくるセリフである。
週に5日晩飯を食いにくるノンケ(同性愛者でない人のことをノンケと称する)男性城尾とゲイの男性の加保の話だ。
映画監督の小津安二郎氏は「二人きりで夕飯を三回摂って何も起こらなければその関係は諦めろ」と言ったという。なるほど。
私はこれを物語の不文律と捉えている。だとすると週に5日夕食を共にしている彼らの関係は明らかに進展しない。三回の夕飯などもう水曜日には終わってしまう。
この話に性的な描写はないが、性を食事に置き換えたものだと私は思っている。
それも道ならぬ恋の、性描写としての食事だ。
セックスだけで繋がっている関係と、この二人の関係は同じなのではないか。
週に5日の内訳は金、土曜日以外だ。金曜と土曜は付き合いがあるから、と。不倫関係にある二人が、既婚者のパートナーが土日は嫁(もしくは夫)と子供に家族サービスを提供するため、その日は逢瀬の予定を入れないというのに似ている。裏の顔と表の顔というやつだ。
付き合いで食事に行くのは表の顔、”よからぬゲイ”(作中で加保が自らのことをそう言う)の家に週5で夕飯を食べに行くのは裏の顔。きっと城尾はそんなこと考えていないだろうから、付き合いの場でも、職場でも「いやー友達んとこで飯週5で食ってんすわ」くらい言いそうな気もする。
しかし加保はどうだろうか。一人食卓で「早く日曜日になれ」と独り言ちるシーンがある。不倫相手の土日のようだ。
なんともいじらしい、きっとハッピーエンドを迎えられない、加保と違う道を間違いなく歩んで加保のいないところで確実に城尾は幸せになりそうな予感だけ読者に植え付けていく。
この加保の幸薄そうな気配と対照的に、普段の食事がとても美味しそうなのだ。金は城尾が出しているらしいのでおいしい物、作りたいものを加保には作ってほしいのが私の気持ちである。
食事を振る舞われる城尾は何度かカレーを要求する。
そして遂にカレーは出てこないまま、この関係すら終わってしまう。
加保はカレーを作るのに入れる赤ワインを飲みながらカレーを作ってしまうという。酒は逃避なのではないだろうか。
そして城尾が食べたがっていたカレーは、加保とともに食べるカレーで、それはどこか、遠くに確実に存在はするものの、決して手に入らない、二人の幸せを暗喩しているものだったのではないだろうか。
「それとカレーは明日だ 残念だったな」
完全にこの恋が終わってしまったということを表現するのに、こんなに素敵なカレーの使い方があるなんて。
決して城尾が食べることのできないカレー、そして酒を飲みその幸せから目を背け続ける加保。
本当に二人で幸せになりたかったのは城尾のほうだったのだろうと、改めて読み直して感じた。

今回の感想文は以上である。
なんとなく島北さんは朝ちゃんにも似ているような、でもヤマシタトモコ氏の他作品のJKちゃんと見てないしな……などと思いながら書いた。
時々文化に触れて人間としてのうるおい?のようなものを確保していきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?