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モノダマシイ 013 「謎の自作ゲーム機」

「自作機」

この言葉から多くの方が思い浮かべるとすればパソコンでしょうか?
私自身もそんな感じで自作自体は寂しい懐事情からやった事は無いものの、アキバを巡ってその手のショップを見て回るのを楽しんだ記憶があります。

あ、ボトムズのウド編の様にスクラップの山から1台のAT(互換機)を組み上げるのは良くやってましたよ!(あてにならねえ部品が山程ほどある)

モノを組み立てるのは分野問わず楽しいですからね。さて、今回取り上げる自作機なんですがゲームの自作機です。

「お、ゲーミングPCやな? わかるわかる、ピカピカ光ってええよな(゚∀゚)」

そんな訳で写真でご紹介!








・・・・・・(゚д゚) エ?




若い方だけでなく「ちょっとレトロゲームには煩いよ?」というおじさまも多くの方が (゚д゚) ナニコレ? な顔になるのではないでしょうか?


電気パルス式のマッサージ機
(低周波治療器)


鉛バッテリー用充電器

1台目もそうですが、上記2台を見ても注釈を信じてしまいそうなレベルでゲーム機に見えません(笑)


これは自作キットタイプのゲーム機でヘンリーさんのミュージアムによるといくつか種類はあるものの1977年〜頃の発売で4〜12種類程のゲームを遊べるのが基本だった様子です。

私のようなレトロゲーム詳しいんだぞおじさんはまだなんとかなるとして、ファミコン後期より後の世代のゲーム好きだと全くイメージがわかないかもしれませんね。

後日その辺の補足記事も投稿したいとは思っていますが、当時の家庭用ゲームは所謂ブロック崩し・・・を更に簡略化したような棒と棒同士が相手コートにボールを打ち込むような単純なゲームが主流でした。しかもソフトウェアというよりはハードの力で無理矢理に実現していたものも(;´Д`) チカラワザ シュゴイ

あくまでイメージ

とにかくかなりの苦労が詰まった機械でも現在からみれば棒と点が動くだけの単純なゲームしか遊べなかったとイメージして頂ければ。

それでも当時の人々にしてみれば大人も子供も関係なく夢の詰まった遊び道具だったのですよ。


雑な解説が済んだところで改めてゲーミングPC1台目を眺めてみます。

ライトブルーのボディが眩しいぜ!


ゲームセレクタースイッチや
リセットボタン
アクセルはたぶん
ボリュームみたいな
無段階のやつ?


恐らく電源を入れたらセレクターに選ばれているゲームが即開始みたいな作りだったと思います。スタートボタン? 知らない子ですね( ˘ω˘)

今だとPlayStation5とか書いてるやつ


ヘンリーさんのお話ですと、多くの製品が外装と基板をセット売りされていて、中には自作が難しい方向けに完成品販売もあった様子です。

秋葉原の電気街で売られていたり、「初歩のラジオ」や「ラジオの制作」等の雑誌企画のものがあったりのお話を伺うと・・・何だかバイク(二輪車)の黎明期の様な雑多な賑やかさを感じます。

世代的に私は友人宅で触れたかどうかの体験しかないのですが、この辺のゲーム文化は是非語り継いでいきたい(頂きたい)なぁと思いますね。


そんな訳で題材にした3機種(+1)以外にも、同じ時代に他のどんなゲーム機があったのかをヘンリーさんのミュージアムに行けば一覧出来ますので、少しでも興味が湧いた方は是非訪れてみてください(゚∀゚)ノシ


この時代の電子機器の自作文化についてもいろいろ盛り込みたかったのですが、表現の四苦八苦や調査時間等の問題から結局は省きました。歴史資料というよりは、あくまで個人の感想メインなので緩くいきたいところですが・・・誕生前〜幼少期の話なので少しどころか真反対な嘘を書いても気が付きにくかったりと。

ヘンリーさんには他にも知見を頂いているので、次回?はその辺も合わせる形でこの時代のゲーム文化に触れていきたいと思います(;´Д`) テサグリダヨ


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