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何度もビキニアーマーの利点を誰かに問いかけてみたくて:ブラ編

ー編者注ー
以下の文章は、粗悪な防具を売り捌いていた罪で投獄されたエルティ村の鎧鍛冶グロッソの工房から発見された手稿を編纂したものである。
記述の内容は不可解な点が多く、この世界に存在しないものと思しき事物や現象への言及も数多いことから、衛兵隊は彼が異世界との交信を目的として何らかの魔術的儀式を行っていた可能性が高いと報告している。
その点に留意し、ご一読願いたい。


諸君 私はビキニアーマーが好きだ

諸君 私はビキニアーマーが好きだ

諸君 私はビキニアーマーが大好きだ

この地上で着用されるありとあらゆるビキニアーマーが大好きだ

美しい勇者がその身に纏う聖なる力を秘めた伝説のビキニアーマーが好きだ

ドラゴンから浴びせられた猛烈なブレスをビキニアーマーの聖なる加護が容易く防ぎ切った時など心が躍る

屈強な女戦士が汗だくになりながら雄叫びと共に暴れ回るビキニアーマーが好きだ

叫び声を上げて群れで襲い掛かるモンスターをビキニアーマー戦士の大剣がなぎ倒した時など胸がすくような気持ちだった

か弱い少女が不似合いに柔肌を露わにさせられるビキニアーマーが好きだ

ファンタジー世界に召喚された現代女子高生が訳も分からずにビキニアーマー姿にされる様など感動すら覚える

高貴な乙女が無理矢理に卑猥なビキニアーマーを着せられる様などはもうたまらない

虜兵となった女騎士がみすぼらしい粗末なビキニアーマーとともに剣闘士奴隷として見世物にされるのも最高だ

傲慢な重戦士達が豪勢な装備に身を包んでで勝ち誇ったつもりになっているのをビキニアーマーの抵抗者レジスタンスが放つ捨て身の一撃が甲冑ごと一刀両断に斬り裂いた時など絶頂すら覚える

オークの群れに滅茶苦茶にされるビキニアーマーが好きだ

必死に守る筈だった純潔が奪われ、ビキニアーマー戦士が犯され慰み者にされていく様はとてもとても悲しいものだ

装備の差に圧倒されて殲滅されるビキニアーマーが好きだ

何も守るものがない腹を斬られ負け犬の様に地べたに倒れ伏すのは屈辱の極みだ

諸君 私はビキニアーマーを、闘志のようなビキニアーマーを望んでいる

諸君 私に付き従う変態戦友諸君

君達は一体何を望んでいる?

更なるビキニアーマーを望むか?

反骨精神に満ちたガラクタの様なビキニアーマーを望むか?

神聖加護の限りを尽くし三千世界の魔王を殺す神器の様なビキニアーマーを望むか?


よろしい。ならばビキニアーマーだ。





前書き


平素筆者のツイート(ポスト?知らんな俺はそう呼ばせてもらう)をご覧になってくれている諸兄には感謝を禁じ得ない。

そして、同時にこのようにお思いのことだろう。

『この変態野郎ビキニアーマーの話ばっかしてんな』

…ハイ、まことその通りにございます。反論の余地もありません。

そしてついには全く関係ない話題でも「ビキニアーマー兄貴」なる通り名を頂戴してしまう始末である。まぁ事実だからしょうがないけど

であれば、私はどうするべきなのか?

決まってるよな?

その通り名に恥じない存在たるべく努めるのだ。それ以外に道はない。

という事で、まずは隗より始めよ。決してR-TYPEのお気持ち表明を終えて持て余していたアカウントの再利用とかではない。
本稿では日頃TLに垂れ流しているビキニアーマー考察を整理し、まとめていきたいと思います。
ビキニアーマーの有用性という人型兵器の存在意義並みにテンプレ化している議題が主となりますが、本稿の性質上かなりツッコミが多めの内容となっております。これは偏にビキニアーマーを愛しているからこそ安易に決着させるのではなく、その存在に対してとことん真剣にぶつかり合うことで理解を深めるべきであるというスタンスによるものであり、決してビキニアーマーは非現実的である、創作としてナンセンスだという主張をしたい訳ではありません。すべてはビキニアーマーという存在を創作表現として肯定することを目的としたものです。識者の方々はその点をご留意の程、お願い致します。
また、あくまでフィクションの世界における設定の話題であることを踏まえ、可能な限り「ビキニアーマーによりどういった表現効果(意味深)が発揮できるのか?」「ビキニアーマーという存在をどのようにして演出として役立てるか?」といったような創作論的アプローチからの考察を盛り込みたいと思います。

そして、本稿を我が国の創作文化におけるビキニアーマーの普及に多大な貢献を果たされた、二人の偉大な巨匠に捧げます。


考察の前提 -ビキニアーマーとは?ビキニアーマーの利点とは?-


具体的な考察へと移る前に、まず考えてみよう。

そもそも、ビキニアーマーとは何なのか?

「ビキニ」なのに「アーマー」。

「アーマー」なのに「ビキニ」。

思いっきり素肌を晒しているのに、それは肉体を防護するものだと言い張っている。

肉体を防護するものだと言い張っているのに、それは思いっきり素肌を晒している。

この矛盾こそがビキニアーマー性であり、一種哲学的な問いを我々のような変態どもに投げかける。ゆえに、まずはこの矛盾に向き合わねばならない。矛盾したこの装備が、一体如何なる恩恵を齎すのだろうか?考えられるものを実際の装備としての利点と、創作の題材としてのメタ的利点の二つの視点から列挙していきたい。

利点1.身軽!

ビキニアーマーの利点について即座になんか答えろ、と言われた場合大抵の方はこれを挙げるだろう。重い装備を身に着ければそれだけ動きが鈍る。ゆえに余計な防具を身に着けなければ動きが鈍ることもない。単純な理屈だ。一瞬一瞬を争う戦いの場ならば、少しでも動きやすい服装をしたいものである。それくらいしか普通思い付かないとか言うな。
極論言ってしまえば、身体の保護を一切度外視するならば究極の「動きやすい服装」とは、全裸である。それでは流石に社会的に問題がありまくる上に色々と立派なモノが揺れてしまって動きにくいので最低限のものを身に着けた姿が、ビキニアーマーという訳である。

この点に関しては、一般的に言われるような戦闘時の敏捷性における優位は限定的なものとなるだろう。あくまでも重装備によるマイナスが生じないというだけであって、基礎体力そのものは日々の鍛錬によるものが大きいからだ。寝っ転がってスマホを弄りながらこれを読んでいるそこの運動不足気味のキミがパンツ一丁になったところで100mを10秒で走れたりする訳ではないのだ。

加えて、鎧の重量による敏捷性の低下も我々が想像するほど深刻ではないものと考えられる。実戦での仕様を度外視した馬上槍試合用、ないし式典用の鎧でもない限り、重厚なプレートメイルであっても実戦で必要なだけの機動力は確保されていることは当時の文献から読み取れる。我が国に至っては甲冑を着たまま泳ぐ技術すらも日本泳法として伝えられている程である。そんなタフな真似が出来る戦士ならば、多少の鎧の重さ程度で戦えなくなるなどといったことはないだろう。参考までに動画を紹介することにするが、余程の規格外の身体能力の持ち主でもない限りこの程度の動きが出来れば戦うことは問題なく可能ではあろう。それに単純な重さで言ったら現代の歩兵装備だってどっこいどっこいである。


ビキニアーマーの利点をその身軽さに見出す場合、それが活きてくるのはむしろ非戦闘時だろう。短期的な戦闘では問題が生じないプレートメイルでも、長時間着ていれば熱は籠るし体力は削がれるものだ。騎馬で行軍し、荷物持ちの従者が付く騎士ならばともかく、自分で荷物全部担いでテクテク旅しなければならないファンタジー世界の冒険者の装備としては勘弁願いたいものである。この点ビキニアーマーならば、長時間着ていても体力的な負担は最小限に抑えられる。

想像してみて欲しい。


戦いに敗れた女騎士。馬も従者も失い。残るは自分一人だけ。
人目を惹き、何より長時間の行軍に堪えないこのフルプレートでは落ち武者狩りから逃げることは到底叶わないだろう。落ち延びるためには身軽にならなければならない。覚悟を決めた彼女は愛用の甲冑を脱ぎ捨て、使うことはないだろうと思っていた変装用のビキニアーマーをやむなく身に着ける。
誉れ高い騎士とは程遠い、肌も露わな卑しい己の姿に彼女は唇を噛み締める。しかし彼女は諦めない。生き延びるため、いつかこの屈辱を晴らすため、彼女はひたすら走り続ける。

素敵だ…


もちろん、肌を露出しているため日光や寒さからの保護されていないことは言うまでもないため、現実的に考えるならばマントを羽織るなどしてこの点のケアを行いたい。

想像してみて欲しい。


敵を前にした戦士。彼女がその身を完全に覆っているマントを脱ぎ捨てると。その下からはビキニアーマー姿が露わになる。多少の寒さなど、戦いで興奮し、熱を帯びていく身体には何の問題にもならない。己の肉体からは汗を、敵の肉体からは血を飛び散らせながら戦うその姿。

感激だ…

利点2.気軽!

重装備の防具には重さと並び、もう一つ欠点がある。

一式揃えるのにとにかく金が掛かるのだ。

まず下着や鎧下の類を着用し、それから頭のテッペンから爪先までの各部位を揃えて…となるとトータルで膨大な出費となることは間違いない。これでは王様から貰える120Gでは到底賄えない。

その点、ビキニアーマーなら話は早い。裸の状態からブラとパンツを着けて靴を履けばそれだけで最低限ビキニアーマーの格好にはなる。後は予算が許す限りで追加の籠手や肩甲を装備すればいい。着れば金が掛かる。着なければ掛からない。これまた単純な理屈だ。

最も、きっちりしたバストのフィット感やデリケートゾーンの着心地などを考えると恐らくはオーダーメイド化、複合素材化する故、それはそれで金掛かりそうではあるが、この辺は簡素なりにも着用に適するように、ちゃんと装備として考えられた高級品や、そういった気配りをせずにただ大事な所に金属片を雑に当てがっただけの粗悪品、といったように一口にビキニアーマーと言ってもその多様性を持たせるうえで有効に機能しうるかもしれない。

利点3.手軽!

また利点1と内容的に重複する部分でもあるが、最小限の部位、部材で装備として完結するということはそれだけ荷物を減らせるという長距離の移動では心強い利点に繋がる。装備としてビキニアーマーを選択しない場合でも、荷物持ちの従者などがいない以上は仮に予備を持ち歩くとなればビキニアーマー程度が精々であろう。ある意味で我が国における畳具足の究極系である。
加えて少々下世話な話にはなるが、いかに慎み深い乙女であっても野外を長距離移動する以上は「お花摘み」をすることは避けられない点を鑑みても、着脱が容易なビキニアーマーは有効に機能するだろう。

最小限のものしか装備しないため、(手足にゴツいアーマーとか滅茶苦茶デカい肩アーマーとか装備してなければ)手入れもラクチンだ。荷物持ち同様装備のメンテナンスも自分でやらなければいけない冒険者にとってはこれまた有難い話だ。着ているものは維持しなければいけない。着ていなければ気にしなくてもいい。やっぱり単純な理屈だ。動きやすく長時間の着用に適した装備として同じく挙げられるチェインメイルもアレはアレで錆び落としとか大変らしいし。フルプレートともなれば君が伝説級の魔法を心得た一級魔法使いでないのならやめておいた方が身のためであろう。

古代ローマ時代のローリーカ・セグメンタータ(再現品)。
フルプレートに比べたら幾分かお手軽そうな見た目してるコイツでもメンテ地獄だったらしいね。
にしてもこの兄ちゃんいい笑顔してんな。


メタ的利点1.エロい

まぁ、まず第一にこれだよな。ビキニアーマーに求められる要求仕様の第一条件であることは間違いない。他の考察は全てここに理屈をつけるための行為なんじゃね?とはあえて本考察では言わない。あえて「メタ的利点」として分けたように、それは最大の要求でこそあるものの、あくまで創作上の要求に過ぎないからだ。実際に作中設定として利点に使いたかったら、

  • 女剣闘士が観客を楽しませるために無理矢理着せられている

  • エロい神様の加護を得るための装備だから

  • 男漁りが目的だから(ゴブスレ)

  • 妹に視線が向けられないように引き付けるため(無職転生)

など装備そのものの性能とは離れた所に理由を求める形になるだろう。すなわちビキニアーマーに利点があるのではなく、何らかの事情によりビキニアーマーを着ているという構図になる。まぁそれを利点と言うのも確かではあるけど。

ちなみに、本考察では「宗教上の戒律によってビキニアーマーを着なければならない」あるいは「防具を着るのは臆病者、という頭ガリアってる思想があるのでビキニアーマーしか着ない」といったような文化的、宗教的側面からの考察はメインとしない方向で考えていく。
単純にそれは作中設定次第であるため、「その世界ではそうなっているから」以上に考察のしようがなく、言ってみればムスリムに「なぜ豚肉を食べないのか?」と延々と問い続けるような徒労となってしまいかねないからである。

なんにせよ、「だってエロいでしょ!」の一本槍でゴリ押されるものはビキニアーマーとしては二流である。そんなものは只のエロ衣装にすぎない。

メタ的利点2.異世界アピールできる

言うまでもないが、ビキニアーマーという装いは現代社会ではまず考えられないものである。そもそも街中を水着姿で歩くこと自体通常ならやらない行為だ。したがってビキニアーマーとは一種の「異様」なのである。
よって、登場人物がその異様の装いをしていることで作品世界がファンタジーという「異界」であることを強調しうるのではないか?と思う。それ貴方の感想ですよね?

特に、『夢幻戦記レダ』などのような異世界転移(転生じゃない)系の作品で、現代日本社会に暮らす主人公がファンタジー世界に送り込まれるような定番のシーンではこれが活きてくる。主人公の現代的、日常的な服装がビキニアーマーという異様の姿に変更されることによって、彼女が日常を離れた異界へと足を踏み入れた、という物語性がアピールされるのだ。

これは何もビキニアーマーに限ったことではなく、現実世界に生きる我々がTPOに応じた服装を選択する必要があるように、フィクションにおいても主人公のファッションは受け手に大きな印象を与える部分である、という点に尽きるのだ。

例えば、所謂「女ターザン」系の作品において、遭難などの理由でジャングルに迷い込んだヒロインは衣服を失い、野蛮な皮ビキニ一丁の半裸になることを余儀なくされる場合がある。裸になることによって、彼女が文明の保護を失い、野蛮な世界に足を踏み入れたことを受け手は強く印象付けられるのだ。反対にジャングルで生活していた野生児のヒロインが服を着せられ、文明社会に連れ戻されるような展開では「服を着せられる」という変化によって彼女が文明社会の枠に嵌められてしまったことを表現している。そして大抵の場合、彼女はその服を脱ぎ捨てて元の裸に戻ることによって文明の柵を脱し、自由を取り戻すのである。

これはヒロインのみならず、男性の主人公にとっても同様である。世界一ネタバレに寛容な映画こと猿の惑星(1968)では、主人公であるテイラー大佐の衣装が紆余曲折の末、宇宙服から原始人同然の格好へと置き換えられることで、彼が人類が宇宙飛行を行う万物の霊長である世界から、知性を持たない野蛮な動物として猿に虐げられる世界へと迷い込んでしまったことを観客は強烈に思い知らされるのである。

話を戻すと、これはビキニアーマーという一般には「リアルでないもの」と見なされる存在を逆手に取ったアプローチであると言える。リアルでないものを出すことによってそれが登場する世界が端からリアルではない幻想の世界であることを強く印象付けるのだ。

考えても見てほしい。生物学では説明のつかない生態を持つモンスターや幻獣の数々、人知を超越した奇跡を起こす魔法、理外の存在として権能を有する神々や天使、悪魔etcetc…

これらは全て「リアルでないもの」である。

それらが存在するファンタジーの世界は端から「リアルでない世界」である。

ビキニアーマーという「リアルでないもの」は、ヒロインのファッションという分かりやすい形で「いま彼女はリアルでない世界にいる」というシチュエーション性を受け手に叩きつけているのだ。

以上がビキニアーマーの作中設定的、メタ的に考えられる利点である。
既にいくつかツッコミどころはあろうが、それについては以降に考察していく。なんせお察しの通り、後が詰めているのだ。詳細な装備としての考察に移る前に、このツッコミをまず押し返さなければならないのである。


本質問題1.何故「ビキニ」なのか?


まず、いきなりビキニアーマー最大の謎と戦わなければならない。

ビキニアーマーのキャラを最初に見たとき、紳士淑女の皆様はこう思ったことだろう。

なんでこいつ裸で戦ってんだ?

だって見た目の時点であんな防具として不適切にも程があるモンを着て戦うくらいなら、いっそ只の服で構わないはずである。そっちの方がまだお手軽だ。だいたいあんなに肌露出して軽ロリ回避でもしようもんなら擦り傷だらけになりそうで心配だ。何故こんなに露出する必要があるのだろうか?

回答1-1.誰がそのシャツを縫うんだい?

当然ながら、戦いの場に服を着ていく以上、常に破れる危険はつきまとう。鎧のような防御力を持たない布の服に過ぎない以上、戦闘のみならずふとしたアクシデントでもビリっと行ってしまうリスクは覚悟せねばならない。戦いともなれば敵の武器を受けるまでもなく、取っ組み合ったり転がって避けたりした拍子に破れることもザラだろう。

ここまではまだいいのだが、問題となるのは中世世界における衣服の価値である。その辺のユニ○ロやしま○らで安く服が買える現代の感覚で捉えてはいけない。言うまでもなく、産業革命により衣服の大量生産が可能となる以前の時代の服はハンドメイドである。故に非常に高価であり、よほどの金持ちでもなければそう何着も着替えが持てるものではない。追い剥ぎが目標の身包みを剥ごうとするのも単純な話で、そいつの持ち物で最も高く売れるのが「服」だからである。現代人的な感覚に換算するならば、一セットで車一台分くらいの価値はするだろう。

そんな替えの利かない貴重品を、破れてボロボロになるかもしれない戦いに着ていきたいだろうか?

某核ゲーをプレイした方ならば「シャツは着たままで」というともすればベセスダあるある誤訳っぽい言い回しを耳にしたこともあるだろうが、これは「落ち着け」「カッカするな」という意味の慣用句であり、かつては喧嘩の際にシャツを脱いでいたことに由来している。加えて核戦争で産業基盤が崩壊している同作では同じく衣服の価値も高くなっており、慣用句としてだけではなく実際そうだとしても不思議ではない。だから俺が露出過多のエロ装備をMODで導入したとしてもそれはロアフレンドリーな行為である。同じく核戦争後のポストアポカリプス世界で自分から服をビリビリする北斗神拳の伝承者?知らん。

しかも敵の攻撃を防ぐ防具として機能するならともかく、そこまでの効果は期待できないならいっそ大事な所を隠す最小限のもの以外は着ない、と考えたとしても何ら不思議ではない。

回答1-2.オタクくん!毎日着替えて風呂に入ろう!

加えて、着替えがないのなら別の問題にも直面する。衛生面である。言うまでもなく、同じ服をずっと着たまま、洗濯もままならない状態で戦いや旅を続ける以上、汗や垢といった自身から発生する汚れは無論、泥や返り血などでそれはそれは悲惨な状態になっていくであろう。冒険者がごった返すギルドや酒場など、もはやカードゲームショップが如き匂いが立ち込める惨状と化す様が容易に想像できる。

そうなってしまったらもはや服を着ている方が不衛生であり、やはりそれならば初めから必要最小限に留めるという選択が生じ得る。ましてや戦闘中に負った傷から細菌感染を引き起こすリスクを考えれば、中途半端な着衣は防御力を上げるどころかむしろ下げてしまう危険すらあるのだ。

回答1-3.ヒーラー衛生兵!来てくれー!!

魔法が存在するファンタジー世界であるならば、回復魔法の存在も理由として考えられる。詳細な原理(人体の自然治癒力を活性化する、等)については多様に考えられるため置いておくとして、この際「可能な限り受傷個所に直接魔力を当てる必要がある」などの制約がある場合、防御力が限定的でありながら回復魔法の効果を阻害する衣服の着用は一刻を争う状況において命取りとなりかねない。どのみち衣服によって防げる擦り傷程度ならば軽い回復魔法程度でどうとでもなるし、回復魔法によって破れた衣服の修復が行える訳でもないならそもそも着用している意味も薄いと言えるだろう。

回答1-4.素材が希少①

何らかの手段(魔法防御など)で防御力の問題を克服しているビキニアーマーの場合、それを理由付けに利用することで説明は容易となる。
例えば、

  • 極めて希少な素材にしかバリア効果を付与することが出来ず、それ以外のものを同時に身に着けると効果が阻害されるため可能な限り希少素材のみで必要最小限の形(=ビキニアーマー)とする必要がある

  • バリア効果を発揮するためには大気中のマナを取り込む必要があり、可能な限り肌を露出する必要がある

などが考えられる。実際これらに類似する設定を取り入れている版権作品も散見されるため、十分にコンバットプルーフされた手堅いアプローチと言えるだろう。


本質問題2.何故「アーマー」なのか?


とりあえず服を脱ぎ、裸同然の姿になる必要があることは分かった。
だとしても、それは布製のビキニでよく、現代的な下着がない古代中世の世界観を前提とする場合でもそれに類する晒や褌などの肌着となるはずである。というのが次なる刺客である。
よく議題に上る「ビキニ部分が布製のビキニアーマーはビキニアーマーと呼べるのか」であるが、本来ならばそちらの方が自然な状態なのである。魔法によって防御されているタイプのビキニアーマーならば金属であることで防御力の差が生まれる可能性は低く、そうでない只のビキニアーマーであれば素材を金属にしたところで得られる防御力などたかが知れているからだ。よくある「素早さを活かすため防御は完全に度外視しているから」「防具に頼るのは臆病者だと思っているから」みたいな理由とセットの場合、中途半端にアーマーにしたせいで口では威勢のいい事言ってるくせに本当はビビってんじゃねぇのか?みたいな感じすら漂いかねない。

俗に「古代ローマビキニ」と称されるモザイク画。よくある「動きやすさ重視で服すら着たくないのでビキニアーマー」理論に基づく装備を考えた場合、恐らくこのようなスタイルになるだろう。

もっとも、アテナ姫(アテナ)や綾小路麗夢(ドリームハンター麗夢)、ティリス・フレア(ゴールデンアックス)、ビキニ・ウォリアーズのほぼ全員など、ビキニ部分が布製、あるいは完全な布ビキニだけの姿であるにも関わらず世間一般にビキニアーマーキャラとして認知されているキャラクターは枚挙に暇がなく、特に最後に述べたビキニ・ウォーリアーズでは実際に作中において布製のビキニからなる装備をして「ビキニアーマー」であると明言されていることから、本稿ではこの点は主要な問題とはせず、可能であれば金属製ビキニである理由を挙げる程度にとどめたい。

回答2-1.ビリッ(死

回答1-1で述べた通り、薄っぺらい只の布では常に破れる危険性が伴う。同時に、例え破れることが人間として深刻な問題を引き起こしかねない部分であっても物理法則は決して忖度などしてくれない。全身ボロボロになるレベルの攻撃を喰らってもパンツだけは何故か破れない全年齢物理学が適用されていないのであれば、革や金属などある程度の耐久性を持った素材で補強されていることが望ましい。それで敵の刃や矢を防ぐことは困難かもしれないが、とりあえず軽ロリしている内に本当の意味で「素寒貧」になることは避けられるだろう。つまりビキニアーマーの防御力は着用者を守るためのものではなく、ビキニアーマーそれ自体を守るためのものであるという解釈である。

回答2-2.ブラじゃないんだよ!大胸筋矯正サポーターなんだよ!!

女戦士がブラないしそれに類する最小限の上衣を着用するメリットはレディとしての尊厳の防御だけではない。いわゆる「揺れ」の防止である。サイズによってはちゃんと抑えていないと戦いどころではないだろう。ましてや獲物が弓であるならば、アマゾネスよろしく片乳切り落としたくないならこの点はちゃんと配慮したいものである。
現代的なブラジャーが存在しない中世風ファンタジーであるならば、その代替となる晒などで出来るだけギチギチに締めておきたいところではあるが、回答2-1を踏まえた場合、より耐久性に優れる素材が使われる可能性もある。ただし乳首部分は入念にケアしておこう。

回答2-3.ヒーラー衛生兵!早く来てくれー!!

回復魔法と言えど、大抵の作品においては死者蘇生とは区別されている場合が大半である。一般的に死者蘇生魔法とされているものでも厳密には「戦闘不能からの回復」であるケースも多く、これらの点を踏まえると一撃で即死するような致命傷を負った場合では回復魔法でも対応できないものと考えられる。
故に、そのような事態を回避するため心臓を始めとする急所にだけは最低限即死しないだけの装甲を着用する、というのは理に適っていると言えるだろう。だったら腹もガードしてちゃんと兜も被れとか言ってはいけない。

回答2-4.素材が希少②

回答1-4の続きである。バリア効果が乗る素材が希少な金属しかないから、金属でビキニ作るしかない。以上。

回答2-5.重ね着用の防具として利用するため

これは先述の本質問題1とも部分的に繋がる部分であるが、コンセプトそのものが「下着の装甲化」にあると解釈する可能性である。

すなわち、変装しての潜入など武装していることを悟られてはならない状況において平服の下に着用する、あるいはチェインメイルやレザ―アーマーなど他の防具の下に着込み、急所の防御力を強化するといったような重ね着を前提とした装備であるならば、装甲を備えていることに意味があり、かつその目的上ビキニの形状をしていたとしても不自然ではない。

重ね着用とはいえ、正体がバレて戦闘せざるを得なくなったためドレスやローブなど変装用の衣装は動きの邪魔になる、あるいは上に着ている防具が破損したなどの理由でそれらを脱ぎ、下のビキニアーマーだけで戦う状況を設定すれば、読者諸兄が求めているものもまぁ実現するだろう。本来重ね着前提のモノを一張羅として着ている、ってのもイレギュラー感があっていいかもしれない。


本質問題3.ビキニじゃないから恥ずかしくない…のか?

三つ目の問題もシンプルだ。ズバリ「ビキニアーマーって恥ずかしくないのか?」という素朴な疑問である。実際の中世ヨーロッパの服飾文化に照らし合わせて考えた場合、まず間違いなく露出狂扱いであろう。現代だったらさながら渋谷のハチ公前で全裸になってびっくりするほどユートピア!しながら脱糞するレベルの恥辱である(セルフオマージュ)。衛兵さんこっちです。多分コイツ魔女です。
というか現代でも街中をビキニ姿で彷徨こうものなら下着ユニバも同然の行為であり、公然わいせつ罪にはギリギリ問われなくとも軽犯罪法1条20号に抵触する可能性は高い。よしんば何らかの罪に問われなかったところで職質や奇妙な目線を受けることは免れないだろう。「ママ!あの人なぁーに?→しっ!見ちゃいけません!」をリアルで体験できること請け合いだ。

回答3-1.恥ずかしくないもん!

ファンタジーの常として中世ヨーロッパ風世界の皮を被っていたとしても架空の世界である以上、先に例示したモザイク画のような光景が見られた古代ローマのように肌の露出に対する感覚はおおらかである可能性は十分に考えられる。そもそも、中世フランスの人物であるジャンヌ・ダルクが甲冑を始めとする軍装を纏ったこと自体が男装と見なされ、異端の烙印を押されたことからも分かる通り、現実の中世ヨーロッパにおける常識を強引に当て嵌めた上で所謂RPG的なファンタジーの物語を展開すること自体に無理があるのだ。というかそんな事言うヤツはジャガイモ警察と同じだ。ほっとけ。
あるいは現代において海水浴場やプールにおいては感覚の個人差こそあれど、露出面積で言えば下着姿と全く変わらない状態でいることが当然のこととして受け入れられるように、ビキニアーマーがTPOに即した装いの一つとして定着していればそれに対する抵抗も薄れていると考えられる。

更に文明を遡った古代風世界や、あるいはアマゾネスやバーバリアンのような文化を異にする社会集団の場合、そもそも裸に近い姿であることが当たり前であったとしてもなんら不思議ではない。しかしこの場合、若干性的な内容を含む問題が存在する。「女性はおっぱいを隠すもの」というドレスコードは人類にとってそこまで普遍的なものではない、という事実である。古代から現代に至るまで、民族や文化圏によっては女性であっても上半身裸が日常的なスタイルであるというケースは散見されるし、日本ですら地域によっては戦後辺りまで海女が上半身裸で漁を行っていたくらいである。ある程度のリアリティを伴ってビキニアーマーを成立させるどころか、逆にそのリアリティによってビキニアーマーを飛び越してしまう可能性があるのだ。

無論、間違いなくR-18不可避の絵面となるため、通常はバカ正直にこの問題に向き合う必要はないと思われる。某漫画の神様は『ブッダ』で向き合ったけどね!
あるいはこの現象を逆手に取り、胸を隠すことが当然の社会からそうした世界に迷い込んだ(他の文明圏からの来訪、現代社会からの召喚など)主人公が現地人と同じ裸同然の姿となる必要に迫られつつも露出に抵抗を感じることからビキニアーマーというスタイルに行き着く、といったようにその成立に説得力を持たせることも出来るだろう。大多数はおっぱい丸出しだから成人向け作品でやることにはなるだろうけど。

回答3-2.恥ずかしいけど我慢するもん!

あるいはビキニアーマーが恥ずかしいものであるという前提があり、それでも何らかの積極的、消極的な理由により恥ずかしいのを承知でビキニアーマーを着ているという路線もあり得る。グロ中尉的にはこっち推したい。

この場合、作品の受け手が抱くであろう感想を登場人物とある程度共有することができることがメタ的な利点となり得る。例えば、

A「そういう装備(ビキニアーマー)、初めて見るけど恥ずかしくないの?」

B「そんな事ないよ!動きやすい装備、ってヤツでしょ!?」
  or
  「うん…ちょっと恥ずかしいけどこれが代々伝わる聖なる鎧だから…」

といったような会話をさせることができ、お話の都合でその服装についてスルーしている訳ではないことを強調できる。更に街中では人目を惹かないようにマントを羽織るなど、キャラクターの装いをより「それらしい」ものとして見せることが出来るだろう。
更には恥ずかしい、と一口に言っても単に肌を露出するから、と言うだけではなく、

「ビキニアーマーは蛮族が着るものなので、文明人である我々がする格好ではない」

「ビキニアーマーを着ていると満足な装備を揃えられない三下だと思われる」

など、その世界の文化や価値観に絡めた「恥ずかしさ」を定義することで、単なるエロ、サービス要素に留まらないビキニアーマーを演出できるだろう。先に述べた通り、単なるエロ要素でしかないビキニアーマーは二流である。ビキニアーマーたるもの、世界の一部として生きていなければならないのだ。


おわりに

前提考察だけで若干長くなってしまったが、以上が利点の整理、及び本質問題への回答となる。後編では、上記の考察を元により具体的なファンタジー世界の装備としてのビキニアーマーについて考察していく。

本考察の最終的な目標点についてであるが、

「各種の創作世界において、キャラクターが選択しうる多様な装いの一つとして、ビキニアーマーを定義する」

こととしたい。ビキニアーマーへの愛が先走りすぎた結果「ビキニアーマーこそが唯一の絶対解であり、その世界の女性キャラクターは皆ビキニアーマーでなければならない」という結論に辿り着いてしまうのでは、ビキニアーマーを「リアルでないもの」と一蹴し、「リアルな」装備を画一的なドレスコードとして押し付ける否定論者と同じになってしまうからである。こんなことはもうやめねばならんのだ…

それに何より、重装備の騎士やローブ姿の魔法使い、僧侶に混じってビキニアーマーのキャラクターが存在することでひと際異彩を放つものとして存在が強調される、という演出的な効果や、そうした重装備のキャラクターが破損した装備の代替などといった理由で一時的にビキニアーマーを着用する、あるいは属する組織の変化などにより以降ビキニアーマー姿となる、などのイベントによる所謂「ギャップ萌え」は無論、キャラクターの内面の変化(迷いを捨てた、覚悟を示すetc)を印象付けるものとしてビキニアーマーを機能させることも可能となるからだ。こういった側面からも本稿ではあくまで多様性を支持するものとしたい。

その点をご理解いただいたところで、後編もお付き合いいただければ幸いである。


次回予告


ビキニアーマーの基本は押さえた。

だが、本当の地獄はここからだった。

迫りくるビキニアーマー否定の危機。

敗北の危機へと追い詰められるビキニアーマー。

これが現実なのか。抗えない、無慈悲な戦場の摂理なのか。

そしてグロ中尉は決断する。

必要だからそれを愛するのではない。愛しているからそれが必要なのだ。

次回『何度もビキニアーマーの利点を誰かに問いかけてみたくて:
パンツ編』

我らの浪漫、守り抜け!ビキニアーマー!


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