おじいちゃんと一番かわいいわたし

昨日2月24日は、母方の祖父の命日でした。
7年経ったのかな。

超個人的な思い出話ですが、おじいちゃんのことを書きます。 思い出と最後に見せてくれた奇跡の話。

祖父は今でいうJR(多分東日本)が国鉄だった頃に勤め、退職後は週の半分、小さかった私の面倒を見るために埼玉の大宮から川崎の家に来ていました。
まだ湘南新宿ラインなどなかった頃です。上野と東京で乗り換えせねばならず、川崎といっても最寄りは東横線だし、駅からもバスだし、毎週通うのは大変だったのではと思います。

私の生まれた家には大きな屋根裏部屋があって、そこにおじいちゃんと手をつないでのぼったり、おじいちゃんが洗濯物をたたむ横でおままごとに付き合ってもらったりしたのを覚えてる。

でも3歳くらいになった私は、祖母が悪くいうのをまねしておじいちゃんに反抗したり、とにかく言うことを聞かなかくて……覚えてる、おばあちゃんの真似をして「ボケじじい」と言ってしまったことを……。

小学校以降はずっと、おじいちゃんに(もちろんおばあちゃんにも)すごく優しく接したけれど、この時申し訳なかったなという気持ちがずっとあった気がする。 おじいちゃんにだけは数えるほどしか言い返さなかった。

おじいちゃんは静かな人で、気性の荒い祖母の陰に隠れていろいろ命令されて、それをだいたい黙って聞いているような人でした。(ちなみに祖母が太っていたのに対して祖父は病気をしたのもあってガリガリで、態度の大きさと体型が比例していた)本当はもっと言い返したりわがままに生きてもよかったのではないかと思うけど、それがおじいちゃんの生き方だったのかな。もう本当に文句言わなくて、世の中のいろいろなことは仕方ないと思っている感じだった。私がひどい風邪をひいてうつしちゃった時も全然怒らないし。

ちなみに洗濯物を同じ向きに揃えて干すのはおじいちゃんに習ったなぁ。あんまり思ったことを言葉にしたりしないんだけど、祖母が「おじいさんもお前が来るのは嬉しいみたいよ」と言ってたので、そうなんだなと思ってた。

祖母はいつも「いつも怒ったような閻魔様みたいな顔してる」と言ってたけど、嬉しそうな顔を何度も見たことあるし、喜んでくれてるのは伝わってたよ、うん。

おじいちゃんがわたしのことを好きだったのは、もちろん孫だからというのもあるけど、いっもガミガミ言って時には手さえ上げる祖母に叩くのやめなよとケンカしてでも言い返したのはまで助けようとしたのが私だけだったからかな。祖母は本当に気性も荒いし強いし、祖父も伯父も母も到底言い返せる感じではなく、初孫の私だけが言い返したからかな。

若いときに故障した電車のパンタグラフを素手で触ってしまい1年以上復帰までかかったり、私が小学生のときに食道がんになって10時間以上の手術をしたり、中高生のときに家の階段で頭から落ちたり……もう駄目かなと何度も思っても、弱々しい見た目に反して生きていてくれたおじいちゃん。(ちなみに階段から落ちても命に関わらなかったのは、石巻出身でたくさん魚を食べていて首の骨が丈夫だったかららしい。みんな、魚は食べたほうがいいよ!)

最後は自分でトイレに行くのが結構大変になってしまい、老人ホームみたいなところに入ってしばらくして倒れてしまい……いいところだったからもっと早く入ってればよかったのだろうか、そんなことはもうわからないけれど。

心肺停止の期間が長かったとかでもう意識が戻ることはないと言われました。救急の病院からはすぐに出されちゃって、最後は、そんな病院があるのを知らなかったけど、もう手の施しようがない老人ばかりが入る病院に入れられて1週間後に亡くなりました。当たり前だけど、死というものの前には出来ることはないんだなと思った。

でもね、亡くなる前に奇跡を見せてくれたんです。
まだ救急病院にいたときの話。
心肺停止の期間が長かったから意識は戻らないと言われたのに、意識が戻った。気管切開されてしまったから声も出せない。でも目を開けてこっちを見て、涙を流して、そんな力もうないはずなのに、私の手首を掴んで何回か高く上げた。涙が出てしまうけどなるべく笑わなければと思って、「おじいちゃん、◯◯だよ」って話しかけたりした。

それからしばらく、多分一瞬だけど、こちらの言うことに頷いたりできた。でも祖母に何か言われても知らんぷりしてた(笑)。

そして妹がおじいちゃんに
「◯◯(私の名前)が一番かわいい?」
と聞いた。

おじいちゃんは目を閉じて何度も頷いた。
そのあとしばらくしてまた意識はなくなってしまったけど、じゅうぶんすぎるよおじいちゃん。
戻ってきてくれてありがとう。

あと、妹、自分が一番じゃないのわかっててそんなこと聞いてくれるなんて、いいやつすぎない……?
だいたいいけ好かないときが多いんだけど、この件についてはめちゃくちゃ感謝している。

一番かわいいって言われちゃったら、頑張るしかないな。

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私は年齢にしては同級生や後輩のお葬式を知りすぎていたから、「これは正しい順番なんだから悲しいけどよかったんだ」と思ったけど、やっぱり悲しくて。

滅多に私を肯定しない母が「あんたが誰よりもおじいちゃんに面倒を見て優しくしたのは本当」と言ってくれたくらいだから、それなりにいい孫ではいられたのかなと思う。

けど、祖父母の家に行くときにお土産や本を物色するのに寄り道しちゃって、おじいちゃんが心配して家の外に出て待ってるみたいなことも多かったから、悪いことしちゃったなぁとか、どんなにしてもやってあげられなかったことを考えてしまうものだけど。

でも、霊感は全くないけど、亡くなった人が見守っているみたいな話が本当だとしたら、きっとおじいちゃんは私のことを守ってくれてると思うので、「一番かわいい私」は前向きに生きるのだ。



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