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みっともなくても書こう、見てくれを気にしたら終わりだ

今年になって、いろいろプライベートに変化があったこともあるのだけど、前にも増して文章がなかなか書けなくなっていた。ほぼ毎日更新していたnoteも息切れし、更新できない日が増えた。

今日こんなツイートをしたけど、仕事でも初めからすごいものを作ろうとしてドツボにハマるということがわりとあると気づいた。雑でいいからとりあえずほしい、みたいなことも場合によってはあるのに。そしてうまく作るために悩む時点でうまく作るのは難しいのだから、妥協点を探すことが大事だし、とりあえずできるものを作ってブラッシュアップしていくほうがいいのだ。

文章に対してもこの傾向がある。文章自体は慣れないものではないけど、よいものを作らなければという気負いがある。なのでずっと書こうと思っているが体裁が整わず出せないとか、書き出す勇気がないという事態が起こる。

じゃあ、満足のいく100点、120点はいつになったら出せるのだろう?

たぶんそんな日は永遠にこない。なぜかというと、1か月後、半年後、1年後の私は今より少し文章が書けるようになっているかもしれないが、きっとその頃には自分への期待や求める理想も増えているからだ。

先月まで通っていたさとゆみさんのライター講座でも、長年ライターを続けてる方が70点でもいいから出すことが大事だと言ってた。続けたかったら、納得がいかなくても(もちろん最低限のクオリティは担保しつつ)出し続けるしかないんだ。

自分が読む側だったら、必ずしも文章の価値はそのうまさにあるとは思わない。本当にいい文章だと思ったら、多少誤字があったり文章に粗があっても気にならない。

去年ほぼ日の塾で書いた課題は、うまく書けたとは思ってないけど、ずっと思っていたことを書き切ったことへの満足感があった。そしてたくさんの人が読んでよかったと言ってくれた。同じ吉澤さんのファンだった人たちがぜんぶ同じ気持ちだったと言ってくれてうれしかった。


先日、所属しているオンラインサロン(コルクラボ)のメルマガの執筆担当になった。そこにあるコラムのテーマが(人生でいちばんのめり込んだこと)で、のめり込んだことがとても一つに絞れない私は、考えながら書いて長くなってしまった。それを読んだメンバーが、メルマガには一部を載せて残りはラボ内のブログに載せてはどう? と提案してくれた。

コルクラボのメンバーだけが見られるページ内にはブログ機能があり、誰でも自由に書いていいが、私なぞがここに書いていいだろうかという謎の遠慮を感じてこれまで書いておらず、何か書きたいなと思っていたところだった。

突如として迎えたラボブログデビューだったが、いろんな人が反応してくれた。宝塚好きな人が全部わかると言ってくれたし、趣味が全然違う人も俺にとっての◯◯か××の話かと思った、と言ってくれた。

どっちも、こんな自分の脳内で書いてあることなんて気持ち悪いと思われるだろうな、と思っていたのに、書いてみると共感や反応をもらえてびっくりしている。

私に必要なのは、完成度に納得いかなくても、こういうことを書く機会を増やすことじゃないだろうか。今いちばん書きたいこと、好きなこと、大事だと思うこと、今の自分が読み手だったらわくわくすることを言葉にして残すことじゃないだろうか。

仕事であれば書きたいことかどうかとはまた別の話だけど、まずやってみるを増やしていくのは効果につながると思う。

田中泰延さんの言ってたことは当たっていた。

一青窈さんの「翡翠」という曲がある。

そのうちより今のうち
この気持ちも今のうち
淡く、あわく、翡翠のよう
いつかじゃなく今がいい

「いつかじゃなく今がいい」というフレーズは二の足を踏むたびに自分の中に浮かんでいたけど、勇気が出なかった。でも今だけの気持ちは今書かないと消えたり薄れていってしまうかもしれない。


不格好でもいいから書き落としていこう、書き続ける人でいたいなら。

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