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変わるし変わらない

今日は久しぶりの友達と会った。 

たぶん初めてできた年齢がかなり下の友達。もう社会人だった私は、趣味が近くどうやら住んでいる地域も近そうな彼女の存在に気づいてはいたが、JKこわいと思ってこちらからは近寄らなかった(同じくらい歳の離れた年上の友達はいたくせに)。向こうからフォローしてくれたのが始まりだった。

ほどなくして、年齢が離れているからって敬遠するのは間違いだったなと考えを改めた。つまり彼女はそういう意味で私の世界を広げてくれた人なんだなぁ。

同じように私立の一貫の女子校に通っていて二人姉妹の長女。こんなことを言っては彼女に失礼だが、その年頃の自分を見ているようなところがあって気になった。うまく言えないんだけど、二人目の赤ちゃんが生まれたお家に行った時に上の子を構いたくなる感じ(わかりづらい例えをしてしまった)。

その趣味の友達の中ではいちばんくらい気が合って、今はもう彼女はその趣味からは離れているけど、定期的に会っている。縁が続いていることが嬉しい。

もしかして医学部目指してるの? と聞いて打ち明けてくれてからかなりの時間が経ち、彼女はこの春から医者になった。勝手に感慨深い。すごいな。時の流れすごいな。

あどけない高校生だった彼女はすっかり大人になって、すっかりおしゃれでメイクもうまい綺麗なお姉さんになった。一緒にお酒を飲めるようになった。いまの彼女のほうがいまの私より彼女と出会ったときの私の年齢に近いんだ。当然なんだけど変な感じ。

自分のポリシーもありつつ客観視ができる人なので、冷静に話せる感じがとても好きだ。これはずっと変わらない。私も結構話を聞いてもらっている。たまに「私が言うのも何なんだけど、最近の若い人ってそういう人多いみたい」と言っててちょっと面白い。

今日、彼女が高校生の時に学校であったなんだそれはという不憫な出来事の話題がたまたま出て、「あれは意味不明だったよね、当時なんだそれ本当にひどいな〜と思ったよ!」と言ったら「ほんとくだらなかったよね、あんなことで悩まなくてよかった」と言っていて、そうか、この件については大丈夫になったんだなと思った。よかった。

社会人になってとってもよかったと言ってて、それもよかった。その話を聞いて、ちょっとここ5年くらいはしんどかったけど、社会人になったとき同じように思っていたのを思い出した。自分も社会人として働けるんだとか、こんな風に役に立ててるとか実感を持てることは自信につながるし精神的に安定してたな、という話をした(そればかりではないけど)。

変わったことも変わらないこともあって、いま一緒に笑っておいしいご飯を食べられるのがうれしいな。仲良くしてくれてありがとう。たぶん彼女はこのnoteのこと知らないけど。

そしてこれを書いていて思ったけど、社会人になって大丈夫になることもあるし、しんどいこともつらいこともめちゃくちゃあるけど、大丈夫になるときがくるのは確かだな(諦めるということではなく)。もうだめだと思ったこと、心に穴が空きそうだと思ったこと、何度もあるけどけどいま大丈夫だし。

そんな話全くしなかったけど、そういえば令和の初日だね。いい初日でした。



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