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(乱文)物語の衝突について

今、非常につまっていることは、難しいことをいかにかんたんに表現できるのか? という点。

難しく書くと、社会とは物語の集合体。共有された舞台の上に各個人の物語を構築しているとも見て取れる。その各個人の物語の舞台に対する捉え方はさまざま。捉え方というか、舞台との関係性が様々と述べるほうが適切かもしれない。

舞台=国や所属している地域社会や団体。その舞台との関係が良好か悪いのか? そんなところが各個人の物語を変容させる要素になる。

社会、そして個人の感性や思考の方法等は舞台とその人との関係や、過去の経験、好き嫌い、そして恐怖心と向き合い方が大きく影響し作られていく。よって、同じ意味に対して使う言葉(表現)が異なることもあれば、ある表現に含まれる意味が異なることもある。それは異言語であれば顕著になるが、同一言語でも発生する。それがジェネレーションギャップとして認知されたり、誤った表現として評価されたりなどするわけです。

現在日本で一部問題となっている反ワクチン派。彼らには科学的エビデンスの考え方は一切通じないのは、彼らが生きている物語に科学的エビデンスの枠がないだけでなく、科学的エビデンスの枠組みが彼らの物語には入る余地すらないことが原因だ。

なぜ科学的エビデンスの枠組みが彼らの物語に入っていく余地がないのか? 要因として考察されるのは、ひとつは自分の知識の範囲や得意不得意の把握が甘い。言い換えると自分が好きな分野であっても自分がわかっている範囲とわからない範囲の境界がわからない。

この境界がわからない場合、何に不安や恐怖、または不満を感じているかどうかで、陰謀論にハマるか、それとも比較的状況に適切な方向の言動を行うかが変わる。科学的エビデンスの枠組みが無い人は、特にこの影響をもろに受ける傾向が強い。

なぜなら、自分の理解の範囲を知らないが故に、「わかりません」「知らない」を認めることができないだけでなく、自分の知識や自分の信仰する物語の外側に出られないが故に、自分の問題点が見えない。見えないものは認知ができないので、対処のしようがない。よって、事態を適切に判断できる可能性が非常に低くなる。

事態を適切に捉えられない場合、適切な行動目的やゴールの設定ができないだけでなく、彼らのように自分の物語世界に閉じこもること、または彼らの望んでいる物語の実現がゴールになる。さらにつきつめると、彼らの中の権力者が望んでいる結果、または彼らの中の権力者の物語の実現がゴールとなる。
現実としてそんな集団による行動は、表向きに主張されている内容はあくまでも人寄せとなり、本質的には標榜されているゴールからかけ離れていく言動を行っていくことになる。

しかし、彼らの多くは標榜されているゴールを知っていても、理解していない、または傍目から見ると勘違いしているため、主張と実際の言動の矛盾にはなかなか気がつかない。そもそも効果の有無すらわからないまま、グループの権力者の発言を盲信してしまう。なぜなら、彼らには彼ら自身の物語に「?」を感じることが悪になっていくからだ。

その悪に感じさせる手法が「私たちは善」「私たち以外は悪」との分け方であり、現在の陰謀論者の発言では「私たち光の勢力側」と「(私たち以外の)闇の勢力」との分け方である。この「私たち」「私たち以外」の分け方はカルトの手法そのものであり、収奪的コミュニティ(一部の権力者が旨みを配下から搾取するコミュニティ)を作る手法でもある。国家単位では最近もよくよく話題にのぼるナチスドイツだったり、日本の近くでは北朝鮮がわかりやすい例だろう。

自分たちの物語に閉じこもる人たちで、特に科学的思考の枠組みが欠落している人たちには当然、科学的エビデンスに基づいた指摘は通じない。伝えた文言を彼らは理解できない。だけでなく、こちらから伝えた単語すらも彼らにはなかなか伝わらない。なぜなら、彼らにとっての単語の意味と彼ら以外にとっての単語の意味が驚くほど異なるからだ。単語と単語の連なりで構成される意味の捉え方が大きく異なるため、意図が伝わらないのだ。物語の中に「科学」が入っているのか、「科学もどき」が入っているのかで、コミュニケーションの前提条件が異なるため、お互いにわかりあえない状態になってしまうのである。

この物語の衝突は日本社会だけの話ではなく、全世界いたるところで起こっている。個人間でも、社会集団単位でも発生する。

現在、この物語の衝突で全世界を大きく巻き込んでいるのが、ロシアとウクライナの間の戦闘状況。これは国際社会のルールとしては建前上「戦争」とは言えないわけだけれど、実態は戦争である。

なぜここまで事態がこじれたのかは、ロシアのプーチン氏とその周辺の物語とウクライナの人々が求めている物語が大きく異なるからだ。

ウクライナはソ連崩壊後、紆余屈折を経てNATO加盟、EU加盟と今後西側の価値観へ移行していく物語を描いていた。しかし、西側に不信感を抱いているロシアは、その不信感だけでなく、そもそも社会基盤となっている物語が西側と異なり、現在保持している権力や利権をいかに守るかが重要な社会と考えられる。旧ソ連国家のNATO参加やEU参加の増加は、西側諸国がロシアの現状を変える圧力に見えていると考えられる。プーチン氏が旧ソ連の復活を夢見ているとの意見もあるが、これが事実であれば、旧ソ連内のウクライナが西側諸国に近づくことは耐えられないだろう。

ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の存在を認めることをウクライナに要請したミンスク合意2(Minsk II)、結果的にウクライナが破棄するなどお互いに求めている結果、描いている未来の物語のギャップがどんどん広がっていた。

つまり、ウクライナが描いている未来の物語とロシアが描いている物語のギャップを解消することができない時点で、ロシアは武力によって自分たちの物語の実現を狙ったのが今回の戦争勃発となった。

ここまで求めている物語が異なる場合、お互いに新たな物語を設定し直し利害を調整することが理想なのかもしれないが、ロシアが自分たちの物語を変容するのは、プーチン氏やその周辺にはメリットがわからなかったと考えられる。

正論としては、物語の相違があるのなら、分かり合えないことをお互いに受け入れつつ共存の道を探るべきなのだけれど、物語としての妥結が困難な複雑な領土の問題を抱えている両国にとって、お互いに血を流す事態にならざるを得なかったとぼくは考えている。特にロシアが自分たちが理想とする物語の実現にこだわった結果、宣戦布告なしの戦争開始を選択せざるを得なかったのだろう。

ロシアの憲法では「言論の自由」が認められているのだが、反戦を訴えると逮捕されるなど現在は制限されている。そもそもソ連を引き継いだエリツィン氏の時代含め収奪性(権力者とその周辺が富を奪う傾向)が継続されていた面もあり、ここ数年で収奪傾向に拍車がかかっていた。そんな中、今回の戦争により、西側の経済制裁による国民の支持率低下を恐れているプーチン氏とその周辺にとっては言論統制を行うのは、自分たちの物語が崩壊する恐怖心を抑えるためにも必要なのだろう。

この戦争が最終的にどんな結果をもたらすかは現状まったくわからない。

ウクライナとしては簡単に降伏するわけにはいかない。最初から降伏しておけば良いとの考えもあるようだが、それは今自分が信仰している物語を瞬時に捨てて、自分と全く異なる価値観に基づく物語をいきなり信じろと強制されることを受け入れることである。すぐに降伏すれば良いと述べている人の過去の発言を見るととてもそんなことできそうに無い方もいらっしゃると感じるのだけれど、実際に自分がウクライナと同じ立場になったらどう言動を決めるのだろうか?

ウクライナが武器を手に取り、国際社会、特に西側に支援を訴えるのは、彼らの物語を守るためである。ウクライナの人々が人生という物語を歩むと考えていた舞台を守るためである。

光の勢力と闇の勢力の衝突でもなく、正義と悪の戦いでもなく、良いか悪いかでもなく、ウクライナとロシアの物語の衝突が、結果的に武力だけでなく、言論や経済を含む戦争にまで発展したのが事実である。

光と闇などの中2病のような頭の悪い思考では、どちらかが完全に降伏するまで決着がつかなくなる。可能な限りの最善に近い決着をつくるため、つまり諸条件を設定した上での停戦を実現するには、お互いの物語をどう調整し「分かり合えないことを分かり合える」状態を作っていくかが近道だとぼくは考えている。

物語の衝突をどう決着させるかは、状況に応じて変化する。日本での反ワクチン問題では、現行の法律を違反しない限り、反ワクチンもある程度許容しつつ受け入れている。これはつまり「分かり合えないことを分かり合いましょう」ということでもある(ごく一部の集団はこの枠組みが無いみたいだけれど)。

今後も小さくも大きくも物語の衝突は起こる。その中で「分かり合えないことを分かり合う」ところまで妥結させることは、多様性を富ませるためにも必要だとぼくは考えている。「分かり合えないことを分かり合う」には、勇気を持って自分の物語の外に出ることが求められるとも考えている。

(以上 乱文終了)

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