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最も「いき」だった師匠の形見

向島百花園のいきな草花
 東京には名園が多い。名園といえば京都だが、禅寺の庭園を中心とした京都とは異なり、東京は江戸時代に藩邸が集中していたため、信州高遠藩の新宿御苑や水戸藩の小石川後楽園、側用人柳沢吉保による六義園等、大名庭園が多い。あるいは三菱財閥の清澄庭園や三井財閥の岩崎庭園、古河財閥による古河庭園等の「財閥系庭園」が多いのも特徴だ。
 こうした大規模な庭園群のなかで、特異なのが下町の名園、向島百花園である。ここが特異なのは、他の庭にみられる豪勢な岩や樹木、滝あるいは仕掛けなど、目を引くものがとても少ないことだろう。九鬼はいう。
一般に複雑な模様は「いき」ではない。(中略)要するに、「いき」な色とはいわば 華やかな体験に伴う消極的残像である。「いき」は過去を擁して未来に生きている。個人的または社会的体験に基づいた 冷やかな知見が可能性としての「いき」を支配している。
 「消極的残像」。どこかにおいてきた思い出のかけらをこっそりと温めることだろうか。そうであるならばここは最高に「いき」である。骨董商が開いたこの庭は、風流を愛する江戸の文人墨客たちが隅田川の東、いわゆる「墨東」につくりあげた草花を中心とする庭園だ。山の手周辺の大名庭園、大名庭園にある名石や銘木は極めて少なく、滝などもない。また明治時代の洪水で破壊され、東京大空襲でも灰燼に帰したが、その都度復興してきたこの庭は、小ぢんまりと四季の草花が楽しめる隠れた名所だ。
 奥に小さな竹林がある。そして九鬼によると竹はいきなものだという。
 およそ竹材には「竹の色 許由がひさご まだ青し」とか「埋られたおのが涙やまだら竹」というように、それ自身に情趣の深い色っぽさがある。しかし「いき」の表現としての竹材の使用は、主として木材との二元的対立に意味をもっている。なお竹のほかには杉皮も二元的対立の一方の項を成すものとして「いき」な建築が好んで用いる。「直な柱も杉皮附、つくろはねどもおのづから、土地に合ひたる 洒落造り」
 杉皮つきの建物はないが、「御成屋敷」という上品な古民家風建築がある。座敷と縁側があり、腰かけて眺めると実に落ち着く。何のけれんみもない家屋だが、これぞ九鬼の考えるいきな家屋なのかもしれない。
 
「いき」を諦めるのもまた「いき」
「いき」な建築にあってはこれら二元性の主張はもとより煩雑に陥ってはならない。(中略)なるべく曲線を避けようとする傾向がある。「いき」な建築として円形の室または円天井を想像することはできない。「いき」な建築は火灯窓や木瓜窓の曲線を好まない。欄間 としても櫛形よりも角切を択ぶ。しかしこの点において建築は独立な抽象的な模様よりはやや寛大である。「いき」な建築は円窓と半月窓を許し、また床柱の曲線と下地窓の竹に纏う藤蔓の彎曲とを咎めない。
 この家屋は確かに直線だけである。釣り鐘型の火灯窓はもちろん、彼が許容している円窓さえない。逆に私が利根川沿いの取手に建てた書斎は円窓であり、外は竹林と木の皮も美しい杉が数本立っている。DIYでいきな書斎にしたいとは思うものの、なかなか手が回らない上に、そもそも手が不器用なのでどうしようもない。ただ、九鬼はこうも言っている。
「いき」の第三の徴表は「諦め」である。運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心である。「いき」は 垢抜 がしていなくてはならぬ。あっさり、すっきり、 瀟洒 たる心持でなくてはならない
 いきな書斎にしたいという、執着から離脱し、「諦める」のもいきなのだろうか。そもそもいきな江戸っ子を目指したり、気取ったりする時点でいきではない。小学校時代よりテレビや漫画の中の江戸っ子たちが匂わす「いき」に憧れつつも、結局どうしても「いき」ではいられない自分を認めざるを得ない。ただ九鬼はそんな私のような人間をも、こう言って救ってくれる。
もとより、「私は野暮です」というときには、多くの場合に野暮であることに対する自負が裏面に言表されている。異性的特殊性の公共圏内の洗練を経ていないことに関する誇りが主張されている。そこには自負に価する何らかのものが存している。「いき」を好むか、野暮を択ぶかは趣味の相違である。
 異性にモテることもなく、「意気地なし」で、ただすぐ「諦める」だけの私が、いきを気取るのはもちろん、憧れるのすらやめよう。野暮でいいじゃないか。それは趣味の問題だ。そんな思いをいだきながら、いきな下町を去り、常磐線で「野暮な」茨城県の自宅にむかった。
 
寅さんの背広 
 家に着いた。部屋には寅さんが映画の中で着ていた、あの茶色い格子模様の背広の上下がある。私が買ったものではない。実は以前から欲しかったのだが、寅さんのようないきな生き方に憧れつつも、「あの」背広はおいそれとは着られなかった。私のような半端者が着れば、中身より服のほうが目立ってしまう。それではパロディだ。人を笑わせるのはいきでも、人に嗤われるのはいきではない。
 しかし今年(2022年)春先に、私はふとしたことからそれを入手することになった。師匠松本道弘が亡くなり、形見分けとしてご子息から送っていただいたのだ。師匠は2010年代にインターネット番組で英語とディベートと日本のこころを伝えようと奮起していた。その際、知的にロジックを通すときにはカメラの前でシャーロックホームズのあの帽子をかぶり、ルーペで分析して見せた。一方、情に訴えるときには寅さんの服装で登場した。「知」と「情」と「理」のバランスが崩れては人に何事も訴えることはできない、という師の教えである。
 ある時、師匠はみんなの前で「妬ましいことに、私よりも寅さんの背広が似合う男がいる。」と笑いながら私におっしゃった。そうした経緯もあってか、私が先生の寅さんの背広と腹巻をあずかることになった。
 思うに師は自由自在かつ融通無碍の人だった。宮本武蔵に私淑し、武士道に生きるかと思いきや、色即是空の禅を実践したりもした。そして表面だけの「英語術」ではなく、心を磨く「英語道」を提唱した。
武士道と禅で、ようやく気付いた。これはそのまま「いき」の要素の「意気地」と「諦め」ではないか。さらに思い当たることがある。師匠の周りには常に女性からの支えがあった。先生にはそうした「媚態」があったのだ。つまり「いき」だった。
 
意気地の一生
 ある夜、師匠に呼び出されていったのは、浅草だった。渥美清やビートたけし、萩本欽一など、昭和の芸人を数多く輩出してきた浅草は、いきな芸人気質を大切にする師匠が愛した町だった。捕鯨舩というクジラ料理の店でごちそうになった。そして長年主催してきた私塾、紘道館の塾頭になるように打診され、一年だけ務めさせてもらうことになった。
 とはいえ、師匠のそばにはつかず離れず、というよりなるべく距離を置き、マイペースを保っていた。不肖の弟子である。ただ師匠に近づきすぎて「やけど」をし、離れていく人がほとんどだったため、細く長く学んでいこうと思ったのだ。が、結局英語もディベートも中途半端に学んだまま、先立たれた。
ただ、形見の寅さんの背広にそでを通すと、師匠の追ってきたものごとを背負い、歩いてきた道を歩もうと思うようになった。それは語学でもディベートでもなく、「いき」、特に「意気地」である。若いころから小手先の英語術を求める社会的風潮に対し、「英語道」を叫んできた意気地である。迫りよる老いにたいして、Grow younger!と喝破した意気地である。そしてウクライナ侵攻に対して瀕死の病床で「プーチンと話をさせろ」と言い続けて亡くなっていった意気地である。
最近は何かするとき、しばしば師匠ならどういうだろうか、と考えるようになった。九鬼も「意気」についてこう述べている。
換言すれば、「意気」が原本的意味において「生きる」ことである。 
 一時は開き直って野暮に生きよう、と思っていたのだが、考えが変わった。とりあえず、師匠の分まで抗いながらいきに生きていこうと思う。ただどうやら私の「いき」にはムラがある。「いき」バロメーターが低下したその時には、再び形見の背広にそでを通して「いき」をチャージしていこう。(了)

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②オンラインサロン「名作を歩く」
12月1日木曜午後10時から、オンラインサロン「名作を歩く」で「いきの構造」についてお話いたしますので、ぜひご参加ください。
パーソナリティ:英中韓通訳案内士 高田直志
視聴・参加するには…
対象:通訳案内士の方、または通訳案内士試験を受験される方、または本試験に関心のある全ての方。
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