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銀座も下町

銀座も下町
 三ノ輪の浄閑寺では、墓さえ作ってもらえぬ遊女たちの悲惨な現実を前に「いき」とは妄想に過ぎないと想いながら、それでも江戸っ子たちの精神を支えてきた「いき」が気になって仕方がない。「いき」の何たるかを求めるにあたり、浅草周辺ばかり歩いていても、煮詰まってきそうだ。そこで銀座を歩いてみた。
 浅草と銀座は明治日本の生み出した「二大繫華街」といえるだろう。我々がなんとなく持っている「下町イメージ」は上野や浅草周辺が筆頭に挙げられるかもしれない。ただしばしば忘れがちなのだが、銀座は山の手に住むべき武士の町ではなく、町人たちが住む本来の「下町」である。
 とはいえこの二つの成り立ちは大きく異なる。庶民の観音信仰に基づいて形成された浅草周辺の最寄り駅、上野には、現在でいう京浜東北線や宇都宮線、常磐線等を経由して北関東や東北、新潟などから豊かでない層が大挙して押し寄せた。
 一方でそもそも資本を持つ商人がいたところに、明治初期には築地を外国人居留地とし、明治政府が表通りだけでもレンガ造りの街並みにしたのが銀座である。資本に国策がからまって出来たこの銀座の最寄り駅は新橋といえるが、ここも横浜港からの舶来品が最初に帝都に到着する場所だ。四大財閥の財力や薩長土肥などの政治力、そして列強の文化が集中したのが銀座なのだ。こうして銀座はいち早く下町を「卒業した」のである。

西洋に「いき」はないのか
 欧米を模範とした文明開化の「実験都市」からスタートした近代の銀座だけに、欧米の高級ブランドの店が集まる。そう考えると例えばイタリアあたりにはカジュアルなスーツを着込んだ伊達男がいそうだ。そうした男たちは「いき」ではないのか。九鬼は言う。
「いき」の研究は 民族的存在の解釈学としてのみ成立し得るのである。民族的存在の解釈としての「いき」の研究は、「いき」の民族的特殊性を明らかにするに当って、たまたま西洋芸術の形式のうちにも「いき」が存在するというような発見によって惑わされてはならぬ。
 どうやら「いき」は日本独自のものといいたいようだ。そしてこう続ける。
 なお一歩を譲って、例外的に特殊の個人の体験として西洋の文化にも「いき」が現われている場合があると仮定しても、それは公共圏に民族的意味の形で「いき」が現われていることとは全然意義を異にする。一定の意味として民族的価値をもつ場合には必ず言語の形で通路が開かれていなければならぬ。「いき」に該当する語が西洋にないという事実は、西洋文化にあっては「いき」という意識現象が一定の意味として民族的存在のうちに場所をもっていない証拠である。
 つまり「いき」にピッタリの言葉がないのでそのコンセプトがないというのだ。dandyなどというのはどうだろうか、と思ったが、どうやらこれは外観へのこだわりに重きが置かれるようだ。騎士たちがこころの中の「姫君」を守るために立ち上がるのも「媚態」に通じるかもしれない。しかし九鬼のいう「媚態」「意気地」「諦め」の三つをカバーする美意識は見当たらなさそうだ。特に「諦め」が皆無な気がしてならないのは私だけだろうか。
 
 歌舞伎座
 銀座と「いき」でまず思い当たるのは歌舞伎座である。九鬼はいきな食について語りつつ、こう述べる。
しかしながら、味覚、嗅覚、触覚などは身体的発表として「いき」の表現となるのではない。(中略)「いき」の身体的発表はおのずから舞踊へ移って行く。その推移には何らの作為も無理もない。舞踊となったときに初めて芸術と名付けて、身振と舞踊との間に境界を立てることにかえって作為と無理とがある。
 言わずと知れた歌舞伎は、出雲阿国という女性が男装をして都の観衆の前で踊る身体表現から始まった。そこには媚態を基礎とする「いき」があったろうが、それは自然な魂の発露だったろう。そしてそれが江戸に下り、「河原者」とさげすまれながらも庶民のこころをつかんできたのは先にも述べた。
 ただ、歌舞伎座ができたのは1889年であり、近代建築である。外観のみ桃山時代の城郭のようには見えるが、複雑かつ威風堂々としすぎていて「いき」とはいいにくい。ただ、芝居小屋で演ずる「河原者」あつかいしてきた世間に対し、あえて威風堂々とした外観により、ここは歌舞伎が名実ともに江戸を、日本を代表する芸能となっていくためのセンターとなっていった。

ホンモノを論じるのは日章旗と同じほど野暮
 ところで初代歌舞伎座が落成した1889年といえば、日本海軍が旭日旗を軍艦旗として定めた年でもある。ただ、そのデザインは「いき」とはいえない。九鬼は述べる。
 縞模様のうちでも放射状に一点に集中した縞は「いき」ではない。例えば 轆轤に集中する傘の骨、 要に向って走る扇の骨、中心を有する蜘蛛の巣、光を四方へ射出する旭日などから暗示を得た縞模様は「いき」の表現とはならない。「いき」を現わすには無関心性、無目的性が視覚上にあらわれていなければならぬ。放射状の縞は中心点に集まって目的を達してしまっている。それ故に「いき」とは感ぜられない。
 旭日旗や朝日新聞の社旗などに比べれば、やはり歌舞伎座の建物のほうが「いき」なのかもしれない。2013年に新築した際、戦後に復興した建物は取り壊されている。つまり現在のものは高層ビルの低層階を張りぼてにしたにすぎない。しかしある意味、歌舞伎の舞台事態が「ありもしなかった過去を作り出し、それに酔いしれる」場である。助六にせよ、義経にせよ、忠臣蔵にせよ、ドキュメンタリーではない。「ホンモノかニセモノか」を論じるのは、日章旗と同じくらい野暮なのだ。
 一方で銀座を歩くたびに思う。歌舞伎やバー、サロンなど、この町ではカネのかかる場所にしか「いき」が感じられない。この街の「いき」は、いわば「冷暖房完備」の「空気清浄機付き」の室内でしか感じられないのだ。しかしいきの「意気地」とはもっとトンガっているものだと思う。歌舞伎でいえば、いきは「和事」ではなく「荒事」なのだ。
 吉原で「いき」に遊ぶ「髭の意休」のようなお大尽に感情移入できない私は、もっと町中に「いき」があふれた所が好きなのだろう。やはり最後に目指すのは、高級感もなく、一大観光地でもない、葛飾柴又になりそうだ。(続)

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