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南アフリカから伊豆にUターンして3年経った|2021年からの新しい3年間へ

2020年、あっという間に今日でおしまい。
楽しみにしていた東京オリンピックがはじまらないまま、なんとなく寒い以外に季節感を感じられないまま、今日はもう12月31日。我が家は明後日1月2日から、終わりの見えない別居婚がスタートします。

子どもと私は日本。旦那はイタリアへ。なんとなく3年周期でまわっている、我が家のことをちょっとだけ振り返る年末です。

あの時Uターン移住を決めたワケ

2017年12月に、旦那の赴任先だった南アフリカから、旦那よりも一足先に帰国して3年が経った。赴任前に住んでいたのは東京だったけれど、夫婦揃ってもう東京には住めないと直感的に感じていた。

どちらも結構な仕事ジャンキーなのだけど、東京は住環境が育った環境と違いすぎて、子育てをしながら仕事をして東京生活を送れる気がしなかった。そして、私たちが住んでいた南アフリカの行政首都・プレトリアは自然が多く、日本のように住宅の区画が密集していなかったことも、再び東京に戻らないという選択肢を後押しした。

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(また行きたいなぁ〜、プレトリア。素敵なジャカランダ並木)

旦那の職場は、帰国すればまた東京勤務だったけれど、私たちの地元である静岡県東部は東京まで新幹線通勤が可能だ。満員電車に揺られる1時間と、座って行ける新幹線1時間+αとを天秤にかけて、後者を選択した。

3年間で変わったこと

私は南アフリカでオンラインでできることをと、ライターの仕事をしていた。元々扶養の範囲内で行っていたけれど、日本に帰国後2ヶ月でパートに出るよりは、十分多い収入を確保できるようになっていた。

しかし縁あって、取材を通じて知り合った現在勤務する会社に入社することになり、市民協働型の施設づくりの事務局→広報と、とっても濃い時間を過ごすことに。

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(誰が撮ってくれたんだっけ。完成直前のみしま未来研究所!)

南アへ渡る前、大学卒業後・2年だけの正社員経験。もう正社員に戻ることはできないだろうなぁという一種の思い込み・コンプレックスすらあったけれど、まちづくりの仕事をしたいと思っていた私自身にはこの上ない環境に巡り合った。社長が上司だったこともあり、組織の変化、ビジョン実現に向かうためのアクションなどをより間近に感じる機会も多く、素晴らしい時間をすごさせていただいた3年間だった。広報は先月からチームになって、リーダー経験も積んで成長したいなと、マミートラックを突き破って、挑戦を続けようとしている。

一方の旦那は、東京での仕事を辞めた。そして地元・静岡の企業へ転職して1年が経った…。が、しかし。明後日からその仕事を辞め、国際協力の道へ戻る。海外単身赴任。任期は2年だけど、今後ポジションを見つけることができたら、そのまま海外勤務継続もあり得る状況となった。

長年目標としていた仕事だし、海外へ単身赴任することへの抵抗は正直夫婦間では、それほど無いと思ってる。

心配なのは4歳の息子。イタリアがどこにあるのかも、どのくらいパパに会えないのかも、わからないからね。ママも仕事が大好きだけど、さすがに実家を頼っての残業は週1回まで。基本は時間通りに帰って、寂しい思いをさせないようにしなくちゃな〜と思っております。

グローバルとローカルの間で、できる家族の在り方

国際協力をしたいパパと、日本のまちづくりをしたいママとで、【働く場所】という意味ではもう別々の道を選択する期間ができることは不回避。

だからこそ、前向きに。今のそれぞれの興味と仕事があるからこその、家族の在り方があると信じています。

この在り方だからこそできる、子どもが得られる経験や学びを、ちゃんと言語化して成長を見守っていきたいな。これから、いろいろ大変なこともあるかもしれないけれど。まあ、やってみないとわからないでしょう!!!

やったるで〜〜〜!!!
というわけで、2021年も機嫌よく、楽しんでいきます。これからも、どうぞよろしくお願いします。


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