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「200円の素うどんを頼むことすら躊躇する、貧乏学生だった自分」が、今の自分に教えてくれたこと

この3年くらい、学生時代のご縁があって大学の授業でゲストとしてまちづくりやキャリアのことを話す機会を毎年いただいています。

今年も先日、母校で自身のキャリアをお話しする機会をいただき、小規模だったので、久しぶりに対面でお話しをしてきました。

そもそも、その授業というのが、キャリアヒストリー等をインタビューする際のポイントを学ぶ授業であるため、自分の人生の変化などにフォーカスして、こちらも意識的に話をします。

比較的、自分のキャリアについて話す機会が多いものの、高卒で就職して大学行き直したり、アフリカに住んだり、今は別居婚でワンオペだったりで…大雑把に言えば「バイタリティすごっ」みたいな言葉ですまされがちなのですが、今回はたくさん自分自身がハッとする問いかけをもらいました。

「これまでの人生で、一番失敗したと思うことはなんですか?」


今回、特に自分の思考がぐるりと深く廻らされたのは、「これまでの人生で、一番失敗したと思うことはなんですか?」という学生からの質問でした。

そこまでの話は、「どんなことが起きてもポジティブに捉えて生きてるよ!」というスタンスで全てのことを伝えていて、実際に飾って言ったわけではなく、あまり過去に捉われず、今起きていることをプラスに捉えて過ごせている方かな〜と思っています。

一方で色々と話をした後、本当に最後の方に聞かれた「失敗体験」は、なんだか自分にとって不思議な気持ちにさせられる質問で、もちろん星の数ほど失敗はしているんだけど、一番ってなんだろう…と。これまで、真剣に考えたことも、棚卸ししたこともなかったのです。

私がその場で出した答えは、「貧乏学生だった自分が、勝手に決めた限界の存在でした。

社会人から学生になった私が、勝手に抱えた「不自由」


私は家計の理由などで、高校卒業後一度就職してから大学に入学しています。この話はまた別の機会に詳しく書けたらいいなと思うのですが、奨学金とアルバイトで生活費や学費の多くをを賄っていました。

当時の私は、どうしてもバイトで忙しかったり、疲れていてお弁当が作れなかった時に、学食で200円の素うどんを頼むことに、罪悪感を感じるレベルでした。

2年生になって、成績優秀者としてはじめて給付型・返還不要の奨学金をいただいた時に食べた、1000円にも満たない1杯のラーメンをご褒美として食べたことが忘れられないくらい、とにかくお金がありませんでした。笑

あの頃、自分が学ぼうと決めて行動したことで、「自分で能動的に人生を創る」という自分自身の礎を築けたことは、人生の財産であることは間違いありません。

一方で、唯一後悔しているな、失敗したかもしれないな、と今回の問いで感じたのが「もっと、自分の可能性を信じて、方法を見つけて、欲張ってもよかった」ということでした。

もっともっと発想を変えれば、学生時代には本格的なインターンもできたかもしれない。海外にも行けたかもしれない。友達とももっと遊べたかもしれないし、新しい何かに挑戦もできたかもしれない。

どこかで、「お金がない」ことで、自分の本気の選択肢を考える前から思考をシャットダウンしてきたことが、数え切れないほどたくさんあったように思えたのです。

また、大学卒業後の就職先探しでも同じ思考の仕方をしてしまっていたなぁと振り返って感じています。

確かに、日本の新卒一括採用の中では「職歴あり」だと受けられない会社、社会人から学生に戻った方の受け入れ経験がなく前例がないからと断られる会社もありました。

だけど、自分の年齢や経歴にコンプレックスを持っていたことから、「こんな大きな会社は、受けたところで受からないだろう」みたいな先入観で、会社を選ぶ必要はなかったなと、今だったら思えるのです。(結果的に本当に良い経験をさせていただけた、1社目の会社に巡り会えたけれど。)

勝手に限界を決めていたこと。選択肢にすらしなかったこと。
勝手に自分が抱えた「不自由」で、自分の可能性を狭めたこと。

これが、今週私が一番感じた「失敗体験」でした。

とりあえず、夢見るところからはじめてみるか。


200円の素うどんを注文することすら躊躇する、「勝手に限界を決める女」だった頃から、気づけば12年もの時が経ちました。

多少は大人になって、きちんと自分のできる範囲に責任を持つこと、時に捨てることを決めることが重要であることも、それなりに理解しているつもりです。

一方で、今度はそれを言い訳に、今もどこかで勝手に自分が抱えた「不自由」で苦しんではいないか?と、今回ふと思ったわけです。

仕事も、家庭も、ライフワークも…となると実際に限界はあるけれど、働く母だから、夫が単身赴任で年に1度しか帰ってこないから、時間がないから…と、事実ではあるものの、そこから思考的な不自由さをつくっているかもしれないと、ちょっとだけ反省しました。

本当に、今自分が心からやりたいことはなんだろう。
本当に、今なりたい自分はどんなひとなのだろう。
本当に、自分が実現したいまちづくりはどんなことなんだろう。

そんなことをこの年末に考えるところから、はじめられたらいいなと、今は思っています。

来年はもっと夢を見て、もっとダイナミックに働く、かっこいい母ちゃんになるのだ。みてろよ、今の自分。

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