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近代は「神道」、現代は「啓蒙主義」

今回奈良に長期滞在して感じたのは、多数の古墳が宮内庁によって、学問的にはその天皇の墓(陵という)ではないのに(または不明)、勝手に特定の天皇の墓にされてしまっていることです。

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[行燈山古墳(宮内庁的には崇神天皇陵):2021年5月。以下同様]

こんな不可思議なことが起きるのはなぜなんだろう、と考えると

宮内庁が、

「啓蒙主義の価値観を根拠とした日本国憲法を奉ずる現代に、戦前=近代の明治政府の価値観を持ち込んでしまっているから」

です。

厳密にいうと、私の視点は日本の今の社会の虚構=啓蒙主義の視点、つまり私は「歴史学の視点」が内面化されているので、「不可思議なことだ」と感じてしまうのですが、「神道」を「社会の虚構」として内面化していた戦前の人にとっては「不可思議なこと」ではありません。

戦前の天皇を神だと信じていた価値観とは「大日本帝国」という近代国家のナショナルアイデンティティ(国教)として明治時代に新しく創造された「神道」。

明治政府の近代化の一環として西欧を見習い、ナショナルアイデンティティを設定すべく明治政府は天皇家を中心とする「神道」を新たに創造・国教化。ここで誤解されそうですが、明治時代の神道は古代の復古神道ではなく、近代国家=ネーションステートとしての国家創造のためのツール=新しい宗教だったということです。今話題の「夫婦同姓の強制」も同じ理屈です(以下書籍参照)。

この結果、明治政府の近代化政策は、列島住民への「日本国民」という新しい概念の内面化に成功し、国民全員が一丸となって富国強兵に邁進し、戦前まで日本は欧米列強に侵略されることはありませんでした。

その後、太平洋戦争敗戦によって米軍に占領され、戦後は神道を国教とする価値観から、米国流の啓蒙主義を是とする価値観=日本国憲法に転換。同時に軍事的には米国の属国化(以下書籍等を参照)。そして今度は啓蒙主義が内面化され、今に至るという具合。

現代に続く天皇制もご存知の通り、日本国憲法に

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く

との如く、天皇の地位は、啓蒙主義の理念に基づき「国民の総意の前提において地位が保障される」という明治憲法の「前提条件なし」→「前提条件付き」の立場になったのです。

つまり「天皇→臣民」から「国民→天皇」に立場が逆転したのです。我々の学校教育も全て啓蒙主義の理念に沿った内容に大転換。なので戦後は、明治政府が創造した神道は、臣民全員が信仰すべき国教の立場から、数ある宗教の中の一宗教として立場が変わりました。

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[奈良県最大の前方後円墳:丸山古墳。丘が段々になっているのは戦前の食糧不足時代に畑として使っていたからそうです(地元の方談)。これも啓蒙主義が未発達な時代ならでは。しかも国道が、古墳を分断]

ところが、宮内庁が管理する古墳だけは啓蒙主義=学問よりも戦前の神道が優先され、学問的調査ができないままになってしまっているのです。例えば、学問的には既に仁徳天皇陵は、仁徳天皇の墓でないことが明らかになっているにも関わらず(歴史学の成果に倣い教科書も「大仙陵古墳」と名称変更)、いまだに宮内庁は「大仙陵古墳」を「仁徳天皇陵」として位置付けています(以下書籍参照)。

ちなみに奈良の巨大古墳「西殿塚古墳」は「第26代継体天皇の皇后」の陵として治定されていますが、陵墓として明らかに時代的ズレがあるらしい(以下書籍参照)。

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[上の古墳が渋谷向山古墳(宮内庁的には景行天皇陵)、下の古墳が渋谷向山古墳(同崇神天皇陵):JALの窓より]

民間の神道の信者の方が、大仙陵古墳を仁徳天皇陵として拝むのは全く問題ないと思うのですが、神道よりも啓蒙主義を優先すべき国家機関=宮内庁が認めていないというのはどういうわけでしょう。

ただし、宮内庁の言い分もわかる気はします。戦後「どこからどこまでを残存した神道の領域とし、どこからどこまでを啓蒙主義の領域にすべきか」、政府が明確な基準を作ってこなかったからではないか、と思います。皇居内で行われている天皇の宗教行事も、その線引きは曖昧なままのように感じます。

なので個人的には、宮内庁はローマ・カトリック教会の啓蒙主義との共存方法を見習ったらどうかと思います。ローマ・カトリック教会は、啓蒙主義の成果として明らかになったことや、異なる宗教の立場も素直に認め、自分たちの教義解釈と折り合うよう、上手に取り込んでいます。進化論然り(=自然科学の許容)他宗教の尊重然り(=諸宗教対話という信教の自由)。

この方法にしたがえば、古墳は「宗教的位置付けと学問的位置付けは違う」という見解を出した上で、宮内庁の慎重な管理のもと、考古学者が発掘調査してもよいのではないか、と思います。

そうすれば、神道の根拠たる「記紀神話の古代日本の姿」とは別の「学問的な古代日本の姿」もより説得力ある形で解明されていくのではないかと思います。

そして、双方の立場を共存させれば良い。

なお、最新の学問的研究によると「文武天皇陵」は、宮内庁が治定した「文武天皇陵」ではなく、

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(宮内庁が治定した文武天皇陵)

「中尾山古墳」ではないかと言われています。

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(中尾山古墳)

*写真:2021年5月 奈良県明日香村 石舞台古墳
               (蘇我馬子の古墳ではないかといわれています


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