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【CLE】偉大なる監督の勇退

 2023年10月1日(現地時間)のタイガース戦をもって、チーム名がインディアンズの時代から11年間指揮を執ってきたTerry Franconaテリー・フランコーナ監督(以下Titoティトと呼称)が退任しました。チーム史に残る成績を残し、多大なる貢献を果たした彼の監督生活を振り返ります。

※この記事では2021年以前の事柄を指す際は「インディアンズ」、2022年以降は「ガーディアンズ」と呼称します。予めご了承下さい。


1. 就任の背景

 2011年にレッドソックスの監督を退任したTitoは、1年間ESPNの解説を務めていました。8年間ビッグクラブでのピリピリとした監督生活を送ったことで毎日のように頭痛に悩まされたことが、休養を兼ねて一度グラウンドを離れる決断に至った理由でした(成績不振に加えて求心力が低下していたことも一因)。2001年にインディアンズのGM補佐を務めていましたが、それ以外では現役時代からずっと現場レベルで試合に関わっていたTito。球団から一歩離れた立場というのは初めてのことでした。当初は気を楽にして野球を見られることに新鮮さを感じ、レポーターとしての仕事を楽しんでいました。
 しかし、放送の準備のために球場入りするたびに現場で関わっていたときのことを懐かしく感じ、8月には復帰意欲が再燃していたようです。何十年も最前線に身をおいていたのですから、プレーに直接関与することはもはや生活の一部であるはずです。このような感情を再び持つことは自然のことでしょう。
 インディアンズの監督に就任する際、Titoは当時GMだったChris Antonettiクリス・アントネッティ(現 編成最高責任者)との会談で、17ページにも及ぶマニフェストを提出していました。当時は負け越しが続いていたインディアンズですが、Titoはこのチームの監督に就くことをチーム運営に関する自らの知見を深めるいい機会と捉え、不振のチームの舵取りを引き受けることに全く抵抗がありませんでした。
 また、マニフェストを受け取った側のフロントも、Titoを監督に据えることが将来的な成功に繋がると直感していたようで、相思相愛だったようです。既に名監督であったTitoがこれだけの準備をして、インディアンズの監督になる意欲を伝えてくれたことに衝撃を受けていました。

2. インディアンズ/ガーディアンズでの功績

 まずは監督を務めた11年間の成績で見てみましょう。

・在任11年(歴代1位)
・1678試合指揮(歴代1位)
・通算921勝(歴代1位)
・通算勝率 .549(歴代5位)
・地区優勝4回(歴代2位)

Baseball Referenceより引用, 数試合のみ指揮した監督を除く

 地区優勝の回数は1990年代後半に黄金期を作り上げたMike Hargroveマイク・ハーグローブ、通算勝率は1977年に監督として殿堂入りした名将Al Lopezアル・ロペスら4人の後塵を拝しましたが、積算系の成績では尽く歴代最多の記録を残しました。シーズン勝ち越しの回数が9回というのも立派な数字でしょう。
 また、就任前の直近4年を全て負け越し、90敗以上を3度も記録したチームをいきなり常勝チームに仕立て上げたことも称賛すべきです。成績不振が続けばシーズン途中でも解任される厳しい世界において、明らかに難しい状況の監督を引き受けることは容易ではありません。その点を厭わずに引き受け、なおかつすぐに結果を出したあたりは、実績のある監督だからこそなせる技です。
 惜しむらくは、チームが1948年以来遠ざかっていたワールドチャンピオンをもたらせなかったことでしょうか。2016年のワールドシリーズといえばカブスが「ヤギの呪い」を打ち破って106年ぶりに頂点に立ったことが有名ですが、その相手がTito率いるインディアンズでした。先述のLopezHargroveでもあと一歩のところでなし得なかった偉業。第7戦の8回裏にRajai Davisラジャイ・デービスの同点2ランホームランで追いついたときは完全にインディアンズの背中を押していましたが、それでも賜杯を抱くことができなかったのは神のいたずらか、Jason Heywardジェイソン・ヘイワードの名演説のせいでしょうか。

3. 退任の経緯

 これほどまでに素晴らしい結果を残した指揮官であったTitoですが、近年は体調不良に悩まされ、シーズンを通して指揮することができずにいました。

2020年 様々な箇所の手術で8月以降はほぼ指揮せず
2021年 腰の手術で8月以降全休
2022年 3年ぶりにシーズン完走
2023年 6月末に体調不良で3試合欠場

 現役時代から膝の怪我に苦しみ、引退後も監督やコーチを務めながらも細かな病気と付き合いながらメジャーリーグと向き合ってきましたが、ここ最近の様子を見ても限界が近かったのは明らかでした。退任会見の中でも健康面さえ問題なければ監督を続けるつもりだったとフロントから説明があり、双方に遣り切れない思いがあったと思います。
 長年の信頼関係を築いていたおかげで、Titoの契約は一般的なチームと異なり、フロント側の意向よりも本人の意志が優先されていました。2021年に一度契約が切れた際も、本人の続けたいという想いを汲んでから契約を締結しています。フロントと現場のトップという役職を超えた間柄であるがゆえの特殊な事例ですが、フロントと監督のどちらも過干渉することなく、良い関係を維持し続けられたことも、長期政権がずっとうまく行った一因でしょう。それ故に、関係性だけではコントロールできない問題でこの体制を崩さざるを得なくなったことが残念でなりません。

4. 素晴らしきモチベーターとして

 監督としてのTitoを一言で表すならば、「モチベーター」という言葉が正しいでしょう。
 監督就任直後から、彼は選手、コーチ、フロントなど人を問わずコミュニケーションを取り続けていました。選手を引退した際に父親から言われた「選手に嘘をつかず、チームの行く末に責任を持って指揮する」という言葉通り、チームに関係する全ての人に対して誠実な対応をし、ユーモア溢れる語りで周囲を惹きつけていました。ダイヤモンドバックスで問題を起こしてトレードされたTrevor Bauerトレバー・バウアーも、フロントとともに本人の独特な考えに理解を示し受け入れたことで、7年近くインディアンズでプレーすることができました。選手にモチベーションを与えることは本当に上手な監督だったと思います。今シーズンも序盤不振にあえいでいたJosh Naylorジョシュ・ネイラーに対してこのような場を持ち、キャリアハイの成績を残すまで復活させました。

 そして、それは次の監督であるStephen Vogtスティーブン・ボットに対しても向けられていました。監督就任に際し、早くもVogtから監督についての相談を受けていました。就任会見で「Titoの模倣ではなく独自の色を出す(要約)」と述べていたVogt新監督ですが、現役時代からからロッカールームをまとめてリーダーシップを取ってきた彼にとっては、Titoが最も参考になる手本だったでしょう。詳しく何を伝えたのかはわかっていませんが、最後の最後まで監督としての役割を全うしてくれました。

5. スクーター

 閑話休題。
 Titoは本拠地のプログレッシブ・フィールドに来る際、いつも愛車のスクーターを利用していました。

 貫禄が出てきた体型で小さなスクーターを走らせ、クリーブランドのダウンタウンを駆け抜けて球場へ向かう姿は、現地の人々に愛される姿でした。また、時には球場内でもスクーターに乗って走り回り、あるときは本拠地のグラウンドに運び込まれ、オブジェのように飾られることもありました。スプリングトレーニングに向かう際には施設のあるアリゾナ州グッドイヤーまで運んでもらっており、彼の相棒として獅子奮迅の働きを見せていました。時には球場へ向かうなかで自分を叱咤激励するTitoの姿も見てきたスクーターは、彼の生き写しと言ってもいいでしょう。
 そんな戦友も、Titoの退任とともに終わりを迎えます。9/27のレッズ戦の直前に、何者かにスクーターが盗まれてしまいました。幸いすぐに見つかりましたが、糞便が付いて再び動かすことは不可能な様子でした。前年にも盗まれていたにも関わらず無事戻ってきて再び働き始めていましたが、遂に寿命を迎えてしまいました。
 Titoは彼の「死」を悼み、クラブハウスにて毛布を掛けて弔いました。R.I.P.

6. 彼はついに『Retire』という言葉を使わなかった

 話を戻します。
 昨年から何度となく辞任の可能性がありましたが、御年64の本人の口からは、遂に引退の言葉を発することはありませんでした。その意図を汲み、本記事でも「監督を引退する」というニュアンスは一度も用いませんでした。これについて、会見の中でTitoはこのように語っています。

“I never was real concerned about the word ‘retire’ because I guess when you say ‘retire,’ it’s like you’re going home and not doing anything,” Francona said.
 
(筆者意訳)
「私には『引退』という言葉が頭にちらつくことは一度もなかった。なぜなら『引退する』と言うとき、それは家族の元に戻り、何もしなくなるということだからだ。」とTitoは言った。

MLB.comより引用

 退任理由が健康面の問題である通り、まだ野球に対する情熱は消えていません。2012年にレッドソックスの監督を辞めた際も1年と経たずに現場復帰への意欲が戻っていました。体調がシーズンを走り切るに耐えうるレベルまで戻れば、またメジャーの監督やコーチに招聘されることも十分ありえます。今シーズンアストロズの監督を務めたDusty Bakerダスティ・ベイカーは74歳、レンジャーズのBruce Bochyブルース・ボウチー監督は68歳です。まだまだ老け込む年齢ではありませんし、そんなつもりは今のところ毛頭ないでしょう。インディアンズの監督に就任したときの熱意をまた見せてほしいです。
 もしかしたらこのままメジャーリーグから離れてしまうかもしれません。それでもTitoは、可能な限り何らかの形で野球と触れ合い続けると思います。話し好きな彼ですから、残りの人生は地元の人たちと楽しく球を追いかける、そのような幕引きもあるでしょう。『Retire』と言う日が来るまで、心の底から野球を楽しんでほしいですね。

7. おわりに

 Titoが指揮する最後のシーズンとなった2023年は、就任してからワーストとなる勝率.469という残念な形で終わりました。それでも彼がこれまで残した偉業に影を落とすことはありません。
 彼はとにかくクリーブランドのファンから愛されていました。それはガーディアンズのファンだけではありません。同じクリーブランドを本拠地としているNBAのキャバリアーズ、NFLのブラウンズのファンもそうです。「クリーブランド」というコミュニティ全体に多大なる貢献をしてくれました。

 ガーディアンズでの監督人生は一度ここで終わりとなりますが、それを残念に思うのではなく、今後の活躍を祈念してこのnoteを締めます。またメジャーリーグの舞台に彼が戻ってくることを願って。


参考記事

https://www.beaconjournal.com/story/sports/mlb/cleveland-guardians/2023/10/02/guardians-manager-terry-francona-retiring-discusses-time-as-manager/70948621007/

サムネイルは以下より引用

https://twitter.com/CleGuardians/status/1707161468653687111?t=PVHdtzGBznx2eiaCRCxynQ&s=19

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