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  • 父への手紙

    亡くなった父を弔うための手紙を認めたもの。

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企業におけるサイコパスとブラック企業

日本は、ブラック企業が多いと言われているが何故なのか、とアメリカ生活から戻ってきて10年経過した自分の疑問は、未だに未解決のままでした。 帰国して10年、実に5社で働いて感じたのは、外資系を含め、会社都合なのに自社都合で辞めさせる文化は普通に行われている気がしています。 会社都合での解雇などは、アメリカの方がもっと頻繁に普通に行われているというイメージが強いものの、アメリカでの就労は正社員としては3社、うち1社だけが会社都合の解雇、理由は合併によるチームの解散でした。

    • 父への手紙 26 医者の話だけは信じる

       父だけではなく、どんな人も「身内の言うことは聞きたくない」という洞察を持っているのではないかと思う。  ご多分に漏れず、父も家族の言うことにはなかなか耳を貸さない。でも、それはいたって普通の振る舞いだと思う。  自分が子供で親の言うことがどれだけ正しくとも、言われたその時には「そんなわけがない」と耳を貸さない事が多かった。  最終的に親の言うことは、経験則もあり、自分が大人になって同じような境遇に合うと、「あの時聞いた言葉は本当だったのだ」ということに気づく。  た

      • 父への手紙 25 運動音痴でもキャッチボールは上手い

         父のゴルフのフォームは卒業旅行先で一度だけ見たことがあるが、自分がゴルフをやらないので、いいフォームなのかどうかも分からなかった。    しかし、ボールが本来飛ぶべき方向へ飛んでいるかどうかくらいは、やったことない私でも判断がつく。    今思えば、卒業旅行で止まったホテル周辺にあったゴルフコースは、ザ・リゾートというようなゴルフコースだったと思えるほど、周りの景色を重視した超難関コースだったような気がする。    通常、コースを回る時は、複数で回ることが通例だが、その場に

        • 父への手紙 24 きっと執筆家になりたかった

           父は、間違いなく執筆家になりたかった。 売れない小説家を切望していたに違いない。 開けても暮れても読書、何も言わずに出かけても家族が心配することはなかった。 何故なら、行き先は、近くの図書館か、隣駅の図書館か、養老渓谷かの3択だからだ。  父の中にある地理の教科書の中には、地形を教える章では、「渓谷」「山地」の二つだ。 渓谷に行くなら「養老渓谷」。 近くに山地がないから、その代替案として「散歩」をする。 「散歩」の原動力となるのが、「図書館」だ。登山家である父

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        • 父への手紙
          26本

        記事

          父からの手紙 23 歯磨きが長すぎるのに虫歯

           父は、歯磨きがやたら長い。息子の私は、やたら短い。 そんな私には定期的に虫歯もあり、歯磨きの質が低ければ虫歯になるという根拠にもすぐに結びつきやすい。 父の場合はどうだろう。 朝も夜も歯磨きはしている。 恐らくどちらも同じ長さだろうが、夜は周りが静かなだけに余計に長さを感じる。 こんなに歯を磨くなら、さぞかしきれいなのだろうと思うが、全くそうではなかったりする。 歯ブラシも、父に握られ、歯に対して非情なまでの圧をかけられる。 もう悲鳴を上げるほどだ。 父の歯

          父からの手紙 23 歯磨きが長すぎるのに虫歯

          父への手紙 22 目薬は横にならないとさせない

           父のルーティンは興味深い。 引退してからは、部屋に籠っていても、薬を飲む時間になれば巣穴から顔を出しては用を済ませ、また巣穴に戻る。 この時間的なルーティンは、感心するほどだ。 最近は、目薬を差しに巣穴から顔を出すのだが、必ずカウチに横になって目薬を差す。 刺した後は、これも必ず、目をつむったまま数分眠ったようにじっとしている。 この生態だけは、まだ解明できていない。 関心なのは、処方箋を欠かさないということだ。  処方箋の場合、本来であれば、父のようにルール

          父への手紙 22 目薬は横にならないとさせない

          父への手紙 21 社会の流れには微動だにしない

          父は、最終的にグローバルなビジネス専門の企業の1社に勤めて、最後までこてこての昭和人間で社会人の幕を閉じた。  誰とは言えないのだが、かなり信頼のできる情報筋(分かりやすくここでは「母」と呼ぶことにするが)、からの情報だと、父は赤字に転落した部門の立て直しや、新たな拠点を開拓する、一番しんどい仕事を主にやらされていたという。  父の話だと、一時期、窓際で新聞だけを読んで世界情勢を把握、次の一手を考えるという仕事に従事していたという。 父の新聞の切り抜きと、株の運用は全く

          父への手紙 21 社会の流れには微動だにしない

          求人企業側の都合に振り回される候補者

          転職活動が人生のルーティンになってきた昨今、見えてきたことがある。 候補者で私のように、国内企業と外資系、両方に応募する方も恐らく一定数いるだろう。 その中で、外資系への応募は、一定数の応募につき、1社からの面接が入るくらいのパターンで面談活動が進む人がいると思う。 私は、5~6社応募で1社くらいの面接が外資系だけなら入る。 しかし、国内企業の場合は、100社を超える応募をしようが、お見送りのコピペメールしか来ない。 多くは、見送り理由を開示していない。 ごくたま

          求人企業側の都合に振り回される候補者

          父への手紙 20 ルーティン

           父は、家庭では家族に無関心でも、会社では仕事ができたという。 できているところを目撃したわけではないが、最終的に経営者にまで上り詰めたのと、赤字に陥った拠点を黒字回復して回る役割をさせられたということを聞くだけで、仕事ができたのだろうということは、容易に理解できる。 そもそも、仕事ができない人が、赤字拠点や部署を黒字回復することは至難の業だし、経営者にさせるにも、相当な政治力がない限りは、大義名分が見つからない。  そんな父を見ていると、行動パターンにルーティングがあ

          父への手紙 20 ルーティン

          留学の実況中継:フレッシュマン ブロークン・イングリッシュ

           フレッシュマンから一旦ESLへ話を戻そう。 ESLに入ったばかりの頃は、英語の聞き取りもままならないが、数ヶ月で講師の英語が分かるようになる。 しかし、話している内容の要点が分かるというレベル。 恐らく、留学が初めてのスピーキングの場所になっている人にとっては、皆同じ感覚だろうと思う。  その頃から、自分で手を上げて発言できるように徐々になってくる。 そうなる原動力は、他国の留学生が話すブロークンイングリッシュだ。  「自分の英語もブロークンで上手く話せないのが

          留学の実況中継:フレッシュマン ブロークン・イングリッシュ

          留学の実況中継:フレッシュマン フレッシュマン

           ESLの過程が終了すると、いよいよ正規のクラスの受講を開始することになる。 この時期を迎えるまでに、渡米から概ね1年が経過していることが多い。 勿論、交換留学など英語のクラスについていけるだけの英語力がある生徒に関しては、もっと短期間で正規のクラスを受講するまでに至っているかもしれないが、私は正直、時間がかかったものの、ESLに1年を費やしたことは、決して時間の無駄ではないと思っている。  フレッシュマンというのは、1年生のことを指す。 1年生:Freshman フ

          留学の実況中継:フレッシュマン フレッシュマン

          留学の実況中継:フレッシュマン 留学への興味

           留学を目指すとしても、そもそも留学に興味がなければ、意味のないお金の使い方になってしまう。 留学に興味がないのであれば選択肢の一つとしてはカウントしないことである。 なぜかと言うと、留学にはかなりの費用が掛かるのと同時に、勉強をしないと卒業するのが難しいので、それなりに心理的なストレスが常時かかることになるため、覚悟が出来ないのなら挑戦しない方がいい。 留学はお金持ちの道楽だという考えを持つ人もいると思うが、道楽であろうがなかろうが、留学の機会を得たのであれば、日本で

          留学の実況中継:フレッシュマン 留学への興味

          留学の実況中継:フレッシュマン 挫折から出た光

          1995年の春、私は一浪の最期を締めくくる大学受験を全て終え、あと数校の合格発表を待っている時だった。 現役では全滅、一浪の最後も全滅で締めくくろうという瞬間だった。 父の「どうせ、全部だめだと思うよ」という冷酷な言葉が心に刺さるも、図星だったこともあり、同意せざるを得なかった。 私は、高校受験も大学受験も第一希望を通過したことはない。もっと言うと、様々な通過点において第一希望は通過していない。 原因の一つは、身の丈を理解していなかったというのもあるが、何よりも、目指

          留学の実況中継:フレッシュマン 挫折から出た光

          父への手紙 最期に贈る言葉

           この執筆を終えた時には、父は、もう読むこともできない状態でもあるし、この世を去っているかもしれない。 家庭を顧みずというのはよく言われることではあるけれど、父の生まれた世代では、それが当たり前な立ち振る舞いで、がむしゃらに前進しなければならない世の中であったことも今では理解できます。  日本は、ハイコンテクストな社会と言われ、「言わなくても言いたいこと分かるでしょ」の社会かもしれない。 しかし、それは日本だけの話。 そんな日本においても、言わなければ分からないことは

          父への手紙 最期に贈る言葉

          父への手紙 19 いつの時代も中央大学法学部が世界一

           中央大学の卒業生及び在校生にとって朗報ではないが、父は中央大学が東大よりも優れた大学であると言い続けて、アルツハイマーと未知との遭遇を果たした。 以降、話せなくなったので、今でも同じ思いでいるのかを確認できずにいる。  就職した先が、海外の顧客を専門に扱う子会社だったため、英語はできたのだろう。 当時、名古屋に住んでいた父は、英語の強い南山大学が進学先の候補でもあった。  英語が得意だったため、外交官を目指すことにしたのだと言うが、そこで中央大学法学部へ進学する。

          父への手紙 19 いつの時代も中央大学法学部が世界一

          父への手紙 18 保育園の送り迎え

           両親が共働きだったので、保育園に通っていたが、ごくたまに父が休暇を取った時には、自転車で保育園まで送り迎えをしてもらったことがある。 片手で数えられるくらいの回数である。  もともとは、兄同様に幼稚園に通っていたものの、途中から母が働くようになったか、あるいは途中から保育園に空きが出て通えるようになったかどちらかの理由で、保育園に変わったと記憶している。  普段は、母が車で送り迎えをしてくれていた。 早番と遅番があり、遅番の時は、いつも私が最後に迎えが来る生徒だった

          父への手紙 18 保育園の送り迎え