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退職エピソード 〜どんな上司がいいですか?〜

退職エピソードその1〜インテリア雑貨販売〜

昔、新宿のデパートの中でインテリアショップスタッフとして働いていた。
インテリア雑貨といっても大きいもの・重いものも多く、肉体労働とも言えるかもしれない。しかもクレイマーなどがままあり、接客仕事も気が抜けない。その店舗は結婚式の引き出物なども請け負っていたため、とても不良品チェックなどが厳しく、ストレスフルでしかも賃金は低かった。一緒に働く同年代の友達がたくさんできたことがせめてもの救いだった。

私は自覚的に病んでいるどころか、薬を服用しなければ生活できない体だった。
そのことは秘密にして仕事を始めた。もちろん、言えば雇ってもらえないからだ。

けれど、ミスや体調不良もあり、ストレスフルな仕事にも耐えかねて、もう半分辞める覚悟で病気のことを上長に打ち明けた。
すると、その上長は、
私には病気のことはわからないし、分かろうともしたくない
という態度をとった。
そして、
「申し訳ないが、病気のひどい時だけでも休憩を早めにとらせてもらったりできないか」
と申し出た私にこう告げたのだった。
でもさ。あなたを中心にこのお店が回ってるわけじゃないから

それはそうですね。はいそうですね。間違ってないよ。
でも、体調不良の人に優先的に休憩を取らせるようなこともできないのだろうか。仮にもメンタルを傷つけている人に、そのような正論を突きつけることしかできないのだろうか。毎回休ませてくれと言っているわけでもないのに。

そのような上長の態度にもショックを受けた。

それから上長は私が病気持ちであることを会社のさらに上に伝え、私はやんわりと追放される形となった。
上長や会社には腹が立つ思いもあったが、私は、同じように心や体を消耗しながらも働いている周りのみんなに悪いと思い、辞める前に有給を使い切ることもせずにシフトを入れた。

今思うと、あの上長は彼女の健康が心配になるほどに太っていた。
もしかしたら彼女もまた病んでいて、でもそれに自覚的でなかっただけなのかもしれないと、私は勝手に想像した。
彼女の立場上、ストレスフルなのはもちろん私以上だ。
「私は病気じゃない」と気持ちを張り詰めた結果の、ああいった態度なのかもしれない。と思うのだ。


私の再就職

それからなんとか派遣で自分にあった中古品の通販担当という仕事を見つけて、そこで2年働いた。
若い職場ということもあるだろうけど、周りの先輩や上の人たちはみんなユーモアがあって、とても楽しい職場だった。
特に一番私の身近で教育してくれた先輩社員は、いつもギャグで人を笑わせているような人だった。渾身の力を込めて耳毛を抜いた話とか、ギャルっぽいバイトのモノマネとか。
通販担当で売り場勤務でなかった気楽さから、私語を注意されることもほとんどなかった。そんな環境の中で私たちは、主に社内恋愛の噂話を隅々までしゃべりたおすような日々を過ごした。
通販はまだ軌道に乗るか乗らないかのところで、私たちの努力が目に見えて売り上げにつながっていくのが嬉しかった。
かなりの高額品も扱っていて、それらが売れた時は、たとえ先輩社員がその日休みでも、メールを送って、喜びを分かち合った。

退職エピソードその2

でも、2年経って派遣の契約が更新されないことになった。
「あなたを正社員として雇ったり、バイトとして雇ったりするなら、人材派遣会社にそれなりのお金を払わなければいけない。そういう余裕はうちの会社にはない。だから、残念だけど」
と言われて、会社から離れることになった。

私はバイトでもいいから残して欲しいと言ったこともあるが、お金のこともそうだし、彼らに対して私は、そこまでして残って欲しいほどの能力ある人材、というわけではなかったのだろう。正社員の人事異動でその部署は人員が足りていた、という事情もある。でも、同じ派遣会社所属の派遣仲間は早々に切られていたから、三ヶ月更新を続けた結果2年という私の勤務期間は長いほうだった。

それを告げたのは部署の上司で、その時その会議スペースには、私と一緒にいつも働いていた先輩の社員も横にいた。

私は、バイトにもなれない悔しさ、自分の能力の足りなさ、派遣というシステムで働くことの切なさ、しかし病気を隠しながらも二年間やってこれたことへの満足、いろんなものが渦巻いて、泣くまい、泣くまい、と思っても涙が溢れてきた。

季節は夏で、私は短い半袖を一生懸命伸ばして涙を拭っていた。

長袖のワイシャツを着ていたその先輩社員は、私に、
「ソデ、貸そうか?」
と言ってくれた。

私は半泣き半笑いで「いいっす」と答えた。

そして、次にもし先輩や上司を持つなら、またこんな人がいいと切に思った。

私も先輩もハンカチを持っていなかったことが、なんだかおかしかった。

高額の大物が売れた時、ハイタッチするように喜び合ったこと、面白い話をたくさん聞かせてくれた記憶が涙と一緒に溢れてきた。

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