見出し画像

「人に厳しく」にチャレンジしてみる

みなさんこんにちは。
部活のリーグ戦も後半戦に突入し、勝ち星をなんとかつけたいと模索しています。
大学3年生の大杉です。

とは言いつつ、技術云々はたかが1週間でどうこうなる問題ではありません。

そこで、前回の試合の敗因を考えたり、また昨日スポーツ教室のレッスンがあったためその振り返りをしていたりした時、そこに共通点があることに気づきました。

それは、
試合、レッスンが始まる前の少し気の抜けた、または和気藹々とした雰囲気をそのまま開始後に持ち込んでしまっていた
と言うことです。

その結果どうなってしまうのか、実際どうなってしまったのかは自明のことではありますが、改めて振り返って考えてみます。

リーグ戦

正直、試合前に準備時間がほぼありませんでした。

それもあってか、いつも以上に集合時間前の気の緩さが試合にも雰囲気として持ち込まれていたように感じました。

結果、試合で起こったエラーを笑って受け止める、これ自体はエラーをした選手の気持ちを切り替えさせるため、リラックスさせるためでもあるためいけないことではないのですが、そのエラーが何度か続いても、その笑って流す雰囲気が続いていました。

それでは、むしろエラーしても仕方ない、何回でもミスしていいと言うようなゆるい気分がチーム全体に蔓延してしまいます。


チームとして求めているのは当然勝利です。仲良し野球ではありません。


そんなゆるい雰囲気ではミスも良くない流れも連鎖します。

最終的に、そのミスの続いた次の回から切り替えよう、と念を押して、実際大量得点には繋げられたものの、逆転は叶わず敗北してしまいました。

指導現場

指導現場でも、似たようなことがありました。

信頼できる、仲のいいコーチと一緒にレッスンできることは、レッスンクオリティを高める中でとても大きな要素です。


ただ、その「仲がいい」の部分をレッスンに引っ張り出してしまうと、逆に緊張感のないレッスンになってしまい、私の求めるレッスンを実現できない要因にまでなってしまうことがあると改めて気づきました。

ここでの私の求めるレッスンは話すと長くなるのですが、簡潔に言うと子ども、親御様、一緒に入るコーチ全てにとって何らかのプラスの感情、要素が得られるレッスンです。

そのためには、それに必要のない要素、それを阻害する要素はなくしていく必要があります。


嫌われる勇気

このタイトルの本を手に取ったことがあるでしょうか。

と言いつつ、恥ずかしながらまだ私もないのです。

ただ、レッスンや部活の反省を信頼して話せる先輩としていた時にこの言葉が出てきました。

と同時に、この言葉にすごく納得しました。


これまで部活や指導、そしてその他の現場でゆるい雰囲気や気持ちを引きずって失敗したと言うケースは、実は私の中で山ほどあります。

その原因は、

逆に悪い雰囲気を作るんじゃないか、嫌われて信頼を失うんじゃないかと不安で言い出せなかった

と言うものがほとんどです。

だって怖いですもん。特に周りには年上とか同い年が多いし。


ただ、そこも目的からの逆算なのだ、と言うことに改めて気づきました。

これまではメニューだったり練習だったり、行動だったりをなりたい姿、実現したい姿のゴールから逆算していました。

ただ、それだけではなく、もっと他のことも逆算から考えられる、考えることで行動が変えられるのだと知りました。


とは言いつつ、いきなり変えることは正直自分のマインドセットを大きく変えなければならないため、負担も難しさもある気がします。

ここの成長は子どもたちの成長と一緒で、スモールステップでも、自分のやるべきことを考え、実践していかなければならないと思っています。


そんなこんなで、改めて自分と向き合う必要がある気がしました。
またどこかに旅に出るかもしれません。

自己研鑽、自己理解はいつまでもできそうですね。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。


それではまた!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?