本日の読書 #052 「漢字とカナの使用割合」
参考書籍:『日本語の作文技術』本多勝一
第五章 漢字とカナの心理 より
漢字とカナの使用割合。
文章に関する話題には付きものだ。
これまで、文章術に関する本も、いろいろと読んできた。
古賀史健さんは『20歳の自分に受けさせたい文章講義』で、
「われわれは無意識に漢字を拾い集める習性があるため、漢字を引き立たせるために適度なひらがなを使う」
といったことを語っている。
唐木元さんは『新しい文章力の教室』で、
「文章は漢字が多いと黒くなり、ひらがなが多いと白くなる。ちょうどいいグレーを目指すべきだ」
としている。
このnoteでも有名な編集者の竹村俊助さんは、
「迷ったら漢字をひらく(ひらがなにする)方が良い」
と言っている。
三者三様の言い回しがあるものの、主張は共通で、
「漢字を使いすぎない方がいい」
というものだ。
よく言われる「ひらいた方がいい漢字」には、たとえば
など、たくさんある。
ちなみに「沢山」もそうだ。
そこらへんの知識はボンヤリと頭に入っていたが、
そのうえで本書には興味深いことが書かれていた。
それは
「文章が読みやすくなるなら、統一しなくて良い」
ということだ。
noteで例えれば、同じ記事の中に
「出来る」と「できる」が混在していてもOKだという。
ほお。
それは考えたこともなかった。
つまり文章は「読まれるため」にあるのだから、「表記が統一的であるかどうか」は本質ではないと。
たしかに。
漢字をひらくかどうかは、前後に配置された文字との相性で考えるべきであり、「出来る」を問答無用で「できる」に直すべきではない。
重要なのは「絵画的に読みやすいか」だという。
「平仮名」も、可能な限り「ひらがな」と表記したいところだが、
例えばひらがなにひらがなが続くと読みづらい。
↑ 実際にこの文がもう読みづらいことからも分かる。
これを直すのであれば、
「例えば、ひらがなの前後に、ひらがながあると読みづらい」
みたいに表現を変えても良いし、読点が多いのがキライな場合は、
「例えば平仮名に平仮名が続くと読みづらい」
としても別に良いんだよ、というのが著者の主張だ。
そのときたとえ、同じ記事の中で「ひらがな」という表記が使われていたとしても。
うーん。
文章は奥が深い。
以下は参考にさせていただいた記事。
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