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妹の記憶

私の妹は、4歳の時にお空に行きました。
この当時、自分が「死」というものを理解していたかどうかは定かでないけれど。でも、もう会えないんだってことは理解できました。

悲しかった。本当に、ほんとうに悲しかった。
それから、言葉に言い表せない感情を、私はずっと抱えて生きてきました。

妹がお空に行った後、両親や周りの大人達から、楽しかった頃の思い出を何百回も聞かされました。
だから、私の中にある思い出は、私の記憶なのか、それとも、大人達によって上書きされて、記憶だと思い込まされたものなのか、正直分からなくなっています。

たぶん、上書きされた記憶の方が多いです。
だって私は妹を亡くした後、記憶を喪失していますから。
これからお話しするのは、そんな上書きされた記憶も含めての私の記憶です。

麦わら帽子👒

ある日、私と妹は、おばあちゃんに連れられて、麦わら帽子を買いに行きました。
おばあちゃんが私に「これはどうかな?」と勧めてくれた帽子は、普通の麦わら帽子でした。
私は特にこだわりが無かったので、それで問題ありませんでした。

けれど、妹は違いました。
妹は、私と違って「かわいい」をハッキリ主張する子でした。
おばあちゃんが勧めた麦わら帽子は「かわいくないからヤダ」といい、
女の子らしいリボンの付いている帽子を選びました。
「ぜったい、これが良い!」と譲リません。
自己主張の強い子です。

仕方なく、そのかわいい帽子を買って帰ることに。
後で母が「それ、予算オーバーよぉ」と呆れ顔になったのは、良い笑い話です。

ふうせん🎈

ある日、デパートに行くと、子供達にふうせんを配ってくれる人がいました。
私は、親の影から遠巻きにその様子を見ていました。
「ふうせん、ちょうだい」が言えない性格だったんです。

でも妹は、何の躊躇もありません。
「ふうせん、ちょうだい!」がハッキリ言えました。
「何色がいいかな?」と聞かれると「あか!」と即答。
「赤は女の子の色だから赤が良い」と言い、希望通りのふうせんを貰えて、ご満足。
歳の近い姉妹でしたが、真逆の性格でした。

砂糖水

そんな性格の違う2人でしたが、仲は良かったんです。
ある日、母がちょっと目を離したすきに、2人で台所に忍び込みました。
大きな茶だんすから、コップを取り出し、それから砂糖が入った容器を取り出しました。
母に見つからないように、静かに、しずかに。

コップに砂糖をいれて、水を注ぎ、スプーンで混ぜます。
混ぜ終わったら、あま~い砂糖水の完成です。
一口、ゴクリ。ふふふ。甘くて、おいしいわ。

どっちが、やろうと言い出したのか、もう覚えていないけれど、こういうことは協力します。2人で、ちょっとずつ味見して。ふは~、良い感じ♡

そして母に見つかるのです。
「あんたたちは、もう、なにやってるのよぉ~」
まあ、それも含めて良い思い出です。

来年は幼稚園のはずが

そんな調子で、私たちは2人とも、かわいがって育てて貰ったと思っていますが、特に妹はチャーミングでしたから、みんなのアイドルでした。

そして、私は一足先に幼稚園に入園しました。
幼稚園は歩いてすぐの距離にあったので、妹もどんな場所か見ていました。
母は妹に「お姉ちゃんと同じ幼稚園に行きたい?じゃあ、来年ね。」と言っていたようです。それは、妹にとって、とても楽しみなことだったに違いありません。
妹は入園前から、近所に同い年の友達がいましたが、幼稚園に入ったら、もっとたくさん友達ができたことでしょう。

だけど。
妹が幼稚園に入る日は来ませんでした。
突然。本当に突然。この世を去ってしましました。
世間では、これを「突然死」と呼ぶそうです。
本当になんで、こんなことになってしまったのでしょう。

思い出すだけで涙が出ますね。

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