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猫を看取る

はじめに

猫を看取るのは大変だ。
何といっても悲しいし、涙腺は常に緩みっぱなしだ。
人間にはタフさが要求される。

とは言え、当の猫は、具合が悪いので人間のことなど構っていられない。
猫を看取るのは、これで3匹目だ。実際には実家で飼っていた猫たちを含めると9匹になるのだが、私が実際に最後まで世話ができたのは3匹である。

いずれも慢性腎不全で、現時点での猫生の寿命といっていいと思う。
3匹目の看取りにあたり、今の気持ちを書き記しておこうと思う。

人間の想いと猫の想い

人間とは勝手なものだ。
弱っている猫を見ると急になにかしてあげたくなるものだ。

元気な時は、鬱陶しい時もあったり、猫に鬱陶しがられたりする。

1匹目の看取りは、18歳だった。
人間のエゴでしかないが、できる限りをしてやりたいと思い、長く入院させた末の看取りとなった。

長い入院を終え、家に帰って来てすぐ、精魂尽き果てたと言わんばかりに息を引き取る様を見て、本当に申し訳ない気持ちになった。

最後の瞬間は確かに私の腕の中であったが、それは私の勝手な想いの末の結果だったのではないかと思う。

2匹目の看取りは、両親に預けていた猫だ。正確には私が援助しながら両親に飼わせていた猫だ。6匹の猫を色々な形で看取って来た両親が最後の猫を看取った後、元気をなくしていたので私が連れて行った猫だ。

案の定、猫可愛がりし、大きく育ちすぎたその子は、10歳の歳に腎臓を患いすぐに旅立った。
ただ、体調を崩してからはほとんど日をおかず、延命治療もなく旅立った。もしかしたら最後はとても苦しかったかもしれないが、言葉通りぽっくり逝ってしまった。

最後に見た元気な猫は、正月にカツオの刺身をもらって、ご満悦の猫だった。
この世の食べたいものを全部食べて、ぽっくり逝ってしまった。

そして先日から、3匹目の看取りが始まった。
13歳と半年ほど、私と夫の人生の一番大変だった時期を一緒に過ごしてきた猫が逝こうとしている。

慢性腎不全の猫は、早めに治療を受けさせることで延命が可能だ。
しかし、好きなものが食べられないのは人間と同じ。

療法食は味気なく、好んで猫は食べない。
腎臓の数値が、と言われてからは、食事に気を使っていたものの、人間の食べ物を盗み食いしては怒られ、夜には人間の枕で寝る。人懐こく我儘な猫である。

そして、猫は体調を崩した。

慢性腎不全の猫は、大体このパターンだ。
ある日、パタッと食べられなくなり、体重がどんどん減っていく。
寝ている時間がどんどん増えて、動かなくなっていく。

慌てて駆け込む病院でもらえるのはせいぜい吐き気止めや、胃薬である。
はやる飼い主の気持ちをよそに、適応される治療は対症療法でしかなく、それも基本的には小出しである。

こんなに具合が悪そうなのに、胃薬を1日1錠。
頑張って積極的な治療を求めても造血剤や栄養剤が関の山である。

近年は、慢性腎不全にも再生医療の適応もあるようだが、かなり無理を言わないとやってもらえないと思われる。
金に糸目はつけない、何とか助けてほしい、できる限りのことをしたいと訴えれば引き受けてもらえるかもしれない。

人間は慌てふためき、思い出に涙を流し、ああ、あの時と後悔し、何も手がつかなくなる。

一方で、猫の想いはせいぜい、
「ああ、具合が悪ぃのに余計な事してくれてよ」
程度である。
体温計を尻に入れられるとき、猫生で一番怒っている。

苦労して飲ませた薬を猫はあの手この手で吐き出し、床に落ちた薬のかけらを見つけては、人間は肩を落とす。
心を鬼にして背中に針を刺した後は、人間の気持ちなど知らぬと言わんばかりにそっぽを向き、人間の心をざわつかせるのだ。

しかし夜になれば、撫でてくれと身を寄せ、一緒の枕で寝る。
明日も頑張ろうな、と声をかけて眠りにつく。

猫のために部屋を用意した。1匹目が入院していた病院を思い出し、湿度と温度を管理してふかふかのベッド、小さなキャットタワーに、見守りカメラ。トイレが間に合うようにすぐそばにトイレを2つ。
大好きなChaoちゅーるは常に器に入れられ、新鮮な水もすぐ飲める。

しばらくは具合がよさそうにしているが、おもむろに散歩を要求し、あちらこちらと見回って、長年寝ていた場所で寝る。

猫は勝手である。
この残された時間の苦しみが軽減され、猫が眠るように逝けるのを願うばかりである。


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