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絶望したい日本人

コロナに、安部元総理の殺害事件。
SNSやニュースサイトでは、日本を憂う言葉が並ぶ。

日本人は絶望が好きなのではないか。
日本を憂う事が、気持ちいいのではないか。と。

日本人はいつも幸せそうに言う、もう日本は終わったと。

もうずっと日本は終わり続けてきた。
日本に生まれたことがこの世の終わりみたいなことをいう人もいる。

しかし実際には、日本は幸せな国だ。
よほど特殊な状況をのぞき、飢えて死ぬ事はない。高度な教育が受けられ、読み書きに困ることはないし、たくさんの娯楽もある。
生きることからは自由なのだ。なんてすばらしい事なのだと思う。

それだけで十分幸せな事であるが、幸せすぎる日本人にとってそうは問屋が卸さない。

もっともっと幸せに。もっともっと豊かに。

隣の人が自分より稼いでいると聞くだけで心はざわつき、情弱は死と言わんばかりにネットにかじりつく。

SNSでは自分より幸せな人達がキラキラした写真を載せている。所有していないことへの焦り、美しさへの渇望、フォロワーの数に一喜一憂する。

一方で報われない気持ちでSNSは溢れている。絶望の言葉を並べ、何かを批判するのに必死だ。まったく無関係な相手ほど攻撃しやすく、憂さ晴らしにはもってこいだ。

ずっと日本に絶望し、何を探しているのかももうよくわからない。不幸な日本人は、幸せそうに絶望する。

私たちのユートピアは世界中どこを探しても存在しない。どこにでも、どの人にも暗い絶望があって、抱えているものだ。

SNSやメディアからふと顔を上げてみると、キレイに整備された道に大きな摩天楼がそびえ、人生を豊かにするエンターテイメントには事欠かない。少し足を延ばせば大自然があり、深く息を吸い込めばそれだけで日々の疲れは消えてなくなっていく。

美味しい食事は安く提供され、仕事も選びさえしなければ豊富にある。

日本は紛れもなく幸せな国だ。民主主義最後のユートピアではないか。

しかし、その幸せな日本も停滞し、衰退し、少子化は進み、冷え切っていた地方経済は、コロナのせいで瀕死のところまできている。じゃぶじゃぶと刷られるお金はさながら命を握るエアレーションのようだ。

若者たちは、成功のチャンスもなく、ただ自由を夢見てSNSに投稿を続ける。

もうすっかり古いシステムになってしまった民主主義の最後のユートピア、日本は、残った富を食いつぶし、滅亡してしまうのだろうか。

それは、盛者必衰のことわりからすれば、至極当然のことなのかもしれない。

しかし私は思う。皆が見向きもせず、衰え廃れていく中にこそ、そこからまた盛者になるチャンスがあるのではないかと。

昔、祖先が絶滅の危機に瀕しながら海に達し生きながらえるために、初めて貝を食べたその日のように、危機や大きなストレスの中にこそ繁栄のチャンスは眠っているように思う。

これからの日本を生きるために必要なことは何か、少し考えていこうと思う。



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