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シャドバン中のおっさんの気持ち

Twitter/𝕏でシャドバンなんて大した事ないと思ってた。まぁ正直今でもそれは変わらない。けれども結論から言うと取り敢えず数日放置して様子を見ることにする。スペースも含め、どんなアクションもせずに数日で直るとか直らないとか。

けれどもこんな記事を書こうと思ったのは、そんな中でも心配してくれる人や、シャドバン中と分かっていても絡んでくれる人が何人かいるという事。そのこと嬉しく思うし、こんな変人にも居場所ができたのかなぁと思う。そんな方々に向けて(見てもらえるかどうかは別として)私の気持ちを少し。

これはいつも言っている事だけど、私はぼっち。妻も子供もいるので完全なぼっちではないかもしれないけど『友達』とかって話になると、まぁぼっちで間違いない。今更隠すようなことでもないと思ってたので、Twitter/𝕏でも公言してたし正直に言って別に友達を求めていた訳じゃない。隠すという言葉を使ったのは以前に友達を欲して悩んでいた自分がいたからなんだけど、友達を欲してた理由も曖昧で一般的にいうぼっちが嫌だっただけかもしれない。ある時に『あれ、なんで友達欲しいんだっけ?』と閃いて?それからは友達欲なるものが消え、心が軽くなった。

私に友達がいないのにはそれなりの理由があってそういう人間/性格なんだと思ってたし、去年?一昨年?にASDだとかかりつけ医に言われ調べて深く納得した。別に人間が嫌いとか避けているわけでもなく、そういう人間なんだと理解してまた心が軽くなる。私の感情的には昔から人間観察はすごく好きだった、というか心の距離が分からないから遠くから人を眺めているくらいがちょうど良かったのかもしれない。人間好きのぼっちw


人の関係で一番思い出に残っているというか、今でも忘れないのは母親のこと。母親というか母親の友達と母親の親と兄弟。私の母は私が10さいの時に癌で他界した。母親の明るく、人当たりの良い性格、30代だった事、実家の宗教上の理由で非常に大きな葬儀が行われた。それこそ何千人もの人が来て、10歳の私でも『人多いなー、早く終わらないかなー』と思っていた。

それから数年はちらほら人が家に来て仏壇に手を合わせたり、何やら何週間目のなんたらや、何周忌のなんたらやでよく人が実家を出入りしてた。でもそれも長くは続かない。数年もすれば人の出入りは減って、その後はぱったり。子供ながらに死ぬってこういう事なんだなと思った。忘れられちゃうって事なんだなと。

それから何年も経ってから、母親の墓に毎年墓参りしている人が居るとの話を聞いた。詳しく聞いてみると母親が一番仲良くしていたお友達だったそうで、たまたま墓場の近くに住んでいたとのこと。もう家族、親戚以外は忘れてるんだろうなーと思っていた時にそんな話を聞いて、そんな友達もいるんだ、と印象に残っている。正直にいうと何千人も葬儀に来た中でたった一人か、とも思った。

あとは私の母親の母親、毎年夏に母親の田舎の島を訪れるのだが、そこでおばあちゃんと会う時はその度に悲しくなった。私の母親が亡くなってからは「もう早く死にたい」を繰り返し言っていた。その島は人口が600人程度の小さな島なんで、半分くらいは知り合いというか、親戚のような付き合いのある島だ。母親をよく知っていた人たちは私や私の兄弟が島を訪れる度に、まるで昨日母親が亡くなったかのように泣く。

こういう場面では私も悲しくなるのだが、それ以上に母親を思ってくれる人がこれだけいるんだな、いたんだなと毎回思わせれた。私が私なりに妻を大事に出来ているのはそういうところから来ているのかもしれない。そして、友達を欲しがっていたのもそこら辺から来ているのかもしれない。


多くのTwitter/Xに見れる精神的な病を私も持っていた。多分、鬱とかそこら辺だと思う。いつ始まったかは定かでないけど小学校の後半から中学校の前半あたりだと思う。その症状が酷かった時もあるけど、なんだかんだで30歳の前半まで治ってなかったと思う。ここら辺が曖昧なのは診断を一切受けていないからというよりも、自分がそういう状況になっていた事にすら気が付けていなかった。ぼっちの宿命というか、ぼっちならではのストーリー。SNSから長いこと離れていたのも、自分と向き合う時間が必要だったのかなと今では思います。

治ってからは自分がひどい状況に居たんだなーと思い返すことができるw まぁ何にしろここ5、6年くらいがとにかく絶好調で、もう2度と鬱になることはないかなと思ってる。鬱になりそうであっても多分自力ですぐ直せる自信があるというか。

そんなこんなで去年、一昨年くらいからSNSってものを再開してみた。色々手を出してみたけど、Twitter/Xが面白い(今更かよ)最初は仕事中にラジオ感覚で聞けるスペースを徘徊してたのだが、ある面白いグループを見つけ少しの間リスナーで参加していたが、グループの崩壊がありバラバラに。また新たなスペースを徘徊して…で今に至る。


良い意味でも悪い意味でも変人らしいのですが、そんな私を構ってくれる人たちがいる。なんなら友達になってくれた人もいる。(やっと本題に近づいてきました…w)非常に嬉しい反面どうしたら良いのかも分からず、アラフォーが迷走する感じになってて滅茶苦茶恥ずかしい最近です。そんなアラフォーボッチは人の距離感が上手く掴めず、返そうと思ったポストに半分くらいまでコメントを書き消す日々w

そんな中起きたシャドウバン。色々調べていくと私に課せられた罰は結構重たいものらしく、下手にそのまま運用していると凍結されるらしい。もう何日もそんな状態が続いているので、そろそろ凍結されるかな?と思ったので、しばらくは閲覧用にしておこうと思います。スペースも一時休憩します。

リスナーのみでTwitter/Xを活用してた時だったら、多分そんなに気にせずに新しいアカウントを作るなりしてたと思います。が、今では私が消したくない欲求というか、繋がっていたい方々がいるのでアカウントが消えてしまったら悲しいです。ぼっちの時からは少し変わったのかなと

友達ってなんだっけ
仲良くなるってどうするんだっけ?
心の距離がわからん!
などなど、まだまだ分からないことが多い未熟者ですが、それでも仲良くして頂いてる人たちには感謝してます!これからもよろしくです🙇🏻‍♂️

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