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なくても生きていける。

2月までは何かと慌ただしくしていて、本を読む時間をなかなか取れなかった。というか本を読もうという気力が起きなかった。
私は本は好きだけれど、読まずにはいられないというほどの読書家ではないなと思っている。
私の場合、少しの忙しさや暇の無さで、あっという間に読書という時間の優先順位が下げられてしまう。そして読まなくても普通に生きていける。

活字中毒のような、常に本を持ち歩いていて読書が生活の一部になっている人はなんだかちょっとうらやましい。もっとお手軽なコンテンツはたくさんあるのにそれらをスルーできる意志の強さを感じる。それがカッコイイなとも思う。

私は本に救われたり、励まされたりした経験がたくさんあるのに、それらを簡単に忘れてしまいそうになる。だから読書メモやnoteで感想文を書いていて良かったなと思うことは良くある。当時の文章を読み返すと、今の自分とは微妙に関心がズレていることがあって、何も変わっていないようで、実は日々感じ方や考え方は変わっているんだなと気づく。

先日読んだ本がそこまで入り込めずに読了してしまって、なんだかなぁという気持ちでいる。その気持ちの一端は、レビューを見て購入したというところにもある。
私が普段本を選ぶときは作家さんを重視しているけれど、今回はレビューで絶賛されていたのでこれは読んでみたいという気持ちで買ってみた。
実際読んでみると自分の今の好みとは違ったみたい。本のレビューは見極めるのが難しいなと改めて実感した。当てにならないっていうのは何度も経験してるのに。

本の世界は海だね。本当に大海原だと思うわ。
簡単に溺れちゃうくらい沢山の本がある中で自分にヒットするものを見つけだすのって大変だ。でも出会えると運命を感じる。

これは自分に合わなかったな、っていう本は結構記憶に残ってる。どういう部分に共感できなくて挫折したかとか、この展開に冷めてしまったとか、結構鮮明に。むしろ好きな本より事細かに説明できるかもしれない。
なんだか嫌な性格だと思われるかもしれないけど、私のなかではこれが結構重要だなと思っている。
たぶんそこに、自分の中で大切にしたいことが明確になる過程があるんだと思う。それをこだわりと呼んだりするのかな。

そう考えると、好きってのはすごく漠然としている。
好きなものこそ、なんとなくとか、雰囲気とか、ときめくとか言ったりして。私の場合はそう。
苦手なものや好みとは違うものに出くわしたとき、漠然だった好きが明確に浮かび上がってくるんだなぁきっと。だからこれ自分に合わねぇって本でも何かしらの気づきはある。

せっかくなので個人的な本の趣味嗜好を掘り下げてみる。(誰得)
以下、いま好きな部類に入る本。

・キレイにまとまりすぎてないお話
起承転結がはっきりしてるとああ、これは物語なんだよなぁと再認識(?)してしまって寂しい気持ちになるから。

・BGMが似合わなそうな本
その本に似合いそうなBGMがすぐ見つかる本は上記の項目に当てはまることが多い。作中でも不穏なのかほのぼのなのか過剰に匂わさない方がすき。

・多面性を抱えた人物がいる
登場して数行でいい人悪い人認定されちゃう展開は寂しいから。ただ、多方面に配慮され過ぎた設定も魅力半減。

・幻想より日常系
遠くのことより身近にある出来事や人である方が個人的にワクワクする。

・共感に傾倒しすぎてない
共感の対義語を驚異と例えた人がいたけれど、一理ある。大きな共感の中に驚異があるもの、驚異の中に少しの共感があるもの、私は後者の方を好きになりがち。

以上、なんだか否定形ばかりで私のひねくれた部分が露呈されただけだったような…?でも苦手が分かれば好きに辿り着くのも早いからね。
今後この好みは変わっていくんだろうか。また数年後やってみよう。

レビューは当てにならないと思いつつもやっぱり見ちゃうときもある。
★5より★1の人のレビュー真っ先に見る癖やめたい。けど、モノに対する熱量自体は両者同じくらいだったりするから面白いんだよな。

今読んでいる本はかなりの長編だけど面白い。
これは時間を忘れて読める本だと思って味わって読んでる。私の場合、話のオチとか物語の展開とかより、文章の緻密さや描写自体に惹かれることが多いので最初の印象が良ければそのままの熱量で読めることがほとんど。瞬間瞬間で感動するタイプ。
とは言いつつ、作中の人物がこれからどうなってしまうんだろうとハラハラドキドキも味わってる。

なくても困らないけれど、この感情は捨てがたいよなぁと本に触れるたびに思う。
そんな3月でした。


ここまで読んでいただいたこと、とても嬉しく思います。