調べないことリスト。
というタイトルの下書きを見つけた。
2年以上前にこの記事を書こうとしてそのまま公開されなかったらしい。
今と変わらずしょうもないことを考えてるな、と呆れつつ、掘り下げると面白そうなので2年越しに続きを書いてみようと思う。
これについては調べないぞ、と思っていることは今でもいくつかある。
調べる前のワクワク感に対して、答えを得たときのスッキリ感が見合ってないなと思うことがよくあるからだ。
例えば、
・メロンパンの名前の由来
・目に入ったゴミはどこへ行くのか
・抜けた髪の毛の本数に対して生えてくる髪のスピード追いついてるのか
とか。
改めて書き出すとわざわざリスト化などする必要のない内容ばかり。
この素朴な疑問数年寝かせてるけど、ずっとこのままでもいいかなとも思ってる。実はこうなんじゃない?と自分で仮説を立てるのも嫌いじゃないし。
「調べる」っていうのはまぁ、ネット検索のことなのだけど。私は無駄にいろんなことをネット検索してしまいそうになる。
だめだめ。すぐそうやってネットに頼るんだから。
つい先日、「今年の梅雨明けいつ?」ってアレクサに聞いてしまった。
いつこのジメジメから解放されるのだ!と私は躍起になっていた。
アレクサは九州地方、関東地方、東北地方、それぞれ例年だとこの位になりそうです。と親切丁寧に答えてくれた。
ふーん。。と思って、すぐ忘れた。
不毛すぎるやりとり。いや不毛にしたのは私の方。アレクサに罪はない。
✳︎
昔友人たちとの会話でハリウッド俳優の話題になったとき、その場にいる全員がジョニーデップの名前を思い出せないという事態に陥ったことがある。
ほら、、あの人!
海賊の…!チョコレート工場のね…!
名前以外の情報は泉のように湧いて出てくるも、名前だけがきれいさっぱり出てこない。
こういう状況って、一種のプレッシャーみたいなものが相手に伝染するのだろうか。
まだこの会話に参加していない人を見つけて
「ねぇ、あの人の名前何だっけ!?」と聞いてみるも
「ああ、それはね…………何だっけ?」と同じように迷いの森に入ってしまう。ああ、またひとりこちら側へ引きずり込んでしまった。
大袈裟でなく、そこから1時間くらいだろうか。うーん、うーんと唸りながらひとりのハリウッド俳優のことをその場の全員で考えていた。
私の人生でこれほど彼を思った日はない。
ひとり思い出せた人が途中現れたものの、場の空気を読んでか答えを言わない。残りのみんなに必死でヒントを与えている。
なんだこの平和すぎる空間。
なんというか、その時間はモヤモヤが楽しい時間だった。
面白いのは、その場の誰ひとりとしてネット検索しようとしなかったこと。まったく意固地だねみんな。
いや一人くらいそういう人が居てもいい。
早々に疑問を解決してさっさと次の話題へ移るのも全然あり。
でもそのときのメンバーはかたくなにそれをしなかったのが何だか愛おしいなと思っちゃう。
そんなしょうもない時間を過ごす気満々って感じで皆考え込むもんだから、私も全力で乗っかってしまったのだ。
あの無意味で愛しい時間というのは、作ろうと思って作り出せるものじゃないんだろうな。
✳︎
結局何が言いたかったのだろう。
2年前の記事を掘り返してみたもののまた上手くまとまらなかった。
2年前の私ならボツだねこの内容は。
でも2年経った私は何の抵抗もなくこのクオリティの記事を上げられる。
成長なのか?諦めか?
調べないことリストは、自分から情報を取りにいかないだけで、その内容を知りたくないというわけではない。むしろ知りたい。
知的好奇心(というのか?)は大人になるほど増してきている。
ただその内容は、他者から与えられるものだとよりドラマチックかなと思って、寝かせてる(ということにしておく)。
あえて寝かせておく。モヤモヤしておく。スッキリさせない。
そういうことが、あってもいいよね。
ここまで読んでいただいたこと、とても嬉しく思います。