新しくない原風景

GRASS ROOTS FARMが始まってから、早いもので2年が経った。

2021年9月14日GRASS ROOTS FARM発表記者会見@島家住宅

この2年間で感じたことを文字に残しておきたいと思う。

水戸ホーリーホックのブランドプロミス

水戸ホーリーホックでは、「新しい原風景」という言葉をブランドプロミス(社会との約束)として掲げている。一見反対のように見られる「新しい」と「原風景」という言葉。我々がもっともっと地域に溶け込んでいき、新しい原風景を作っていく決意だと思っている。
例えば、大学生になり東京で一人暮らしをすることになった水戸市出身のAさん。幼稚園ではホーリーくんと一緒に若いお兄さん(コーチ)がスポーツ体験教室に来てくれ、小学校、中学校では当たり前のように「ホーリーくん牛乳」を飲み、たまに両親に連れられ「キッズパスポート」でホーリーホックの試合を観戦。試合で「ホーリーにんにく」を買って、試合がない日でも食卓にホーリーホックを感じられる。中学校ではキャリア教育(MAKE FUTURE PROJECT)で授業に選手が来てくれ、高校に入ると年1回ぐらい友人とケーズデンキスタジアムでホーリーホックの試合を観戦。水戸駅にはホーリーホックのトップパートナーであるJX金属の看板が至る所にあった。そんなAさんが東京に出て見て、水戸にはないホーリーホック以外の刺激はたくさんあるが、意識をしないで脳の一部にあった「ホーリーホックの日常」がなくなったことが寂しいと感じることがある。
→こういうことかなと佐野は解釈している。


大切なこと

私はこの2年間ひと通り、農業に関するYouTubeを見て、種苗屋さんには分からないことを徹底的に確認した。本もたくさん読み、いろいろなところから農業に関する知識を得ようとした。場所(土質、気候)による違い、人(意見)による違い、農法による違い、もの(肥料等)による違い、に苦労することも多くあった。

まだまだ、結論には辿り着かないが、一つ大事なことに気がついた。
いや、思い出した。

西村GMとVONDS市原で働いていた頃。
詳細は割愛するが、本当にたくさんの方々に支えられた。
自分を曝け出し、自分を認めてもらい、味方になってもらう。
私の考え方の一つ「人の繋がりは嘘をつかない」というのはこの頃構築された。
水戸に来て、上記の考えから水戸青年会議所に入会し、同志が多くできた。
クラブのスポンサーになってくれる友人も多い。

少し話が逸れたが、農業の勉強と並行して、城里町の上古内地区でも同じことをやればよいのだと気付かせてくれた友人がいる。

鯉渕氏との出会い

圃場の所有者鯉渕氏

旧TwitterのGRFアカウントに何度か写真を掲載したことはあるが、改めてGRF圃場の所有者である鯉渕氏。もともとお茶の加工場だった納屋の一画も作業場として無料で貸してくれている。今では食事にお酒に遊びにご一緒する仲になった。
鯉渕氏が田舎コミュニティの入り方を教えてくれた人。いや、鯉渕氏が潤滑剤となってくれたからこそコミュニティに入れたといっても過言ではない。
本当に感謝をしている。

雑草戦争

私は夏場の雑草との戦いをなめていた。
きっと雑草を誰も処理しなければ、城里町の大半は3年もすれば、緑に覆われ自然に帰るだろう。(風の谷のナウシカの世界のように)それぐらい雑草の強さを肌で感じた。
みなさんも思い出してほしい。
夏田舎の道を車で走ると、当たり前のように草刈りをしている人がいる。
行政がお金をかけて除草をする範囲なんて、道路(歩道)から60cmぐらいのようだ。それ以外の場所は、地域の人が助け合って除草をしている。地域のゴミ拾いがあったり、刈払機を持ち寄ってみんなで除草する日を作ったり。
「助け合い」そこにヒントがあった。


いざコミュニティへ

私はまず、挨拶は必ず自分から大きい声でしようと心掛けた。
でも鯉渕氏と地域の方で3人で話すと、地域の方は鯉渕氏の方しか向かない。
勇気を出して、よく圃場の周りを散歩している80代の女性「冨田さん」に収穫したにんにくをあげてみた!
すると、次冨田さんにお会いした時にこんにゃく作ったからと、刺身こんにゃくをいただいた。次会った時に(少し大袈裟に笑)美味しかったと伝えると、それから冨田さんの畑でできたものを定期的にいただけるようになった。
たまねぎができたときは、圃場の隣の大坪さんの家に「いつも騒がしくしてしまいすみません」と持っていったら、圃場を知らない間にトラクターでうなってくれていたり、草刈りを手伝ってくれたり、リポビタンDを持って話しかけに来てくれたり、もう本当に感謝しかない。大坪さんはビールが好きと聞いて、感謝の気持ちでビールを持っていったこともあった。「新しくない原風景」つまり「日本の原風景」がそこにはあった。

損得勘定ではなく、助け合って生きてきた田舎独特の社会。
「お裾分け」
下心を持つのではなく、心を曝け出し、圃場に足を運ぶことで認めてもらう。あれ、市原市のころと同じ感覚だ。
私も現在はできる範囲で、地域の周りの草刈りをしている。
少しずつではあるが、点と点だった地域との関係が線となり、面となりつつある。圃場にいてもいろいろな方が声をかけにきてくださり、車で通ればクラクションを鳴らしてくれる。

正直な話・・・茨城弁で話の半分ぐらいしか聞き取れない方もいるが(笑)


光回線

いい話も悪い話も「光回線」のように早いのも田舎特有であると思う。
圃場を草だらけにしていたら、いっとき悪い噂もたった。
鯉渕氏や近隣の方からも注意を受けた。
言っていただけているうちが華。圃場に足を運ぶ回数を増やした。

7月には、お祭りに誘っていただいた。

お神輿を担いでいる様子

お神輿を人生で初めて担がせていただき、話をする時間もいただいた。
区長の方にもご挨拶をし、4年ぶりの小さなお祭りは終わった。
すると今度は、ホーリーホックの人が祭りに来た!と地域はザワついていたときいた。区長も巻き込んで、この地域からスタジアムに来ていただける施策を考えたいと思う。


歴史ある水戸

少し農業から離れてしまうが、水戸の歴史に興味があり、勉強したことがある。
水戸学、佐竹氏、水戸光圀、天狗党、桜田門外の変。
城里町上古内地区は仏教を弾圧され、神道にするということで鹿島神社という神社が建立された。現神主の鯉淵氏は、桜田門外の変の鯉淵要人の子孫だという。家の中の柱に刀の傷があるのを見せていただいた。また、仏教から神道になった関係で、江戸時代からのお墓が並ぶ墓地を見せていただいたが、ある時期から「戒名」がなくなっていた。
地域に溶け込むためにその地域の歴史を知るというのは、絶対に必要なことだと再確認した。


高齢化

GRASS ROOTS FARMを立ち上げた課題の一つに農業従事者の高齢化という問題がある。それはまさしく上古内地区にも当てはまっている。
8月中旬に訃報が相次ぎ、4名の方が亡くなった。
そのうちの1名の方とは親交があったので、お線香をあげに家に伺った。

その方はニラ農家でGRFの圃場の道路挟んで反対側にビニールハウスでニラやオクラを作っていた。若い頃から農家だったそうで腰も90度曲がってしまって、声も下向きに喋るのでうまく聞き取れない。

私がGRF発表記者会見を行う前からトラクターで土壌改良をしている時、あるとき道路を渡ってこっちに来てくれた。私は何も知識がない状態でただやっていただけで理論武装も何もできていなかったので、何を言われるか正直不安だったが、「そんだけやったらいい土になるよ」と勇気をいただいたのを今でも覚えている。
ご冥福をお祈りします。もっともっと頑張ります。


GRFボランティア

作業後の写真

そして、GRFボランティアというのも始めた。
ニンニク収穫の時は暑く長い時間の作業でも、畑で子どもたちがクラブのチャントを歌い、励まされ、みんなで終わった達成感を分かち合った。

最初は旧Twitterのアカウント名しか知らない関係。
そこから、アカウントの名前と顔が一致してきて、本名もわかってきて、お住まいや趣味まで。。。そして、一緒に食事をするまでに!
作業後の皆さんの笑顔は達成感に満たされ、このコミュニティをもっともっといいものにしていきたいと思っている。

3年目へ

本当にたくさんの「人」に助けられてGRFは少しずつ成長してきていると思う。
営利企業である我々が行う事業であるから、収入を産まなければいけない。
でも、たかが2反歩弱の圃場で野菜の販売だけで収益を生むのは正直難しい。
でも以前noteに書いたように、多くの人を巻き込み、ムーブメントを起こしていくことで、GRFは色々な側面に付加価値をつけられる活動になっていく可能性があると思う。3年目。GRASS ROOTS FARMの輪を拡げていきます!

GRASS ROOTS FARM
佐野



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