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お天道様は見ている?

日本人が正直者であることの理由に、お天道様がみているからというのがあります。このことは日本人はなんとなく世間のようなものを規範としていて、西洋的、キリスト教的な倫理感がなくてダメだというような文脈で言われることがあります。このことには前からちょっと引っかかっていました。何故かというと、日本では財布とか失くしても戻ってくることが多いし、それはつまり拾った人がちゃんと届出をしているからです。西欧でこういうことはほぼないとよく聞きます。

この日本人の心性はどこから来ているのかということがずっと疑問でしたが、最近読んだホツマツタエに関する本を読んで、少しそうなのかなと思う所があったのでメモしておきたいと思います。

『ホツマツタヱ』とは、日本列島に私たちの祖先が住み始めた時代から、12代景行天皇までの時代が記述されているようなのですが、その時代をヲシテ時代と呼ぶと、その時代の人々は、ヒトの心は、タマとシイに別れていて、死んだ時、タマは宇宙の中心(アモト)に帰り、シイはクニタマ(地球)に戻ると信じられていました。つまりヒトの心のうちのタマは、宇宙を写した小宇宙のようなものであり、一方シイは、欲求をつかさどるものということらしいです。つまりお天道様というのは、宇宙そのものを自分の内にあるタマに感じてそれに従うということだということです。

これは、ヤマト民族が創造主が無色透明のようなものとして認識していたことになります。ヤマト民族の間で、キリスト教的な原罪というものが根付かなかったのもこのような認識があってのことのようです。創造主のようなものを認識していたということは、ヤマト民族の根本は一神教に近いところがあったのではないかと思われます。最近疑問に思ったことは、日本にはユダヤ教徒(秦氏など)やネストリウス派キリスト教徒(蘇我氏など)が来ているのに、彼らは自分たちの宗教を捨ててヤマト民族と同化しているように思われることです。それはヤマト民族が信じていたものを受け入れることができたからではないかと思うのです。そういう認識を取り戻していくことが大事ではないかと思い、ホツマツタヱをもっと学びたいと思います。


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