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AIは美の基準を変えるのか

先日、Twitter(Xと言うべきか)でとても美人の女性が自分の写真を載せたところ、”絶対AIだろ、AIに違いない”というメッセージが大量に来たと言っていました。実際に存在する人らしい(直接知らないので、確かではない)ですが、何と言うかその反応が興味深かったです。

本当に美しいものはAIが作る?


興味を惹かれたのは、あまりに美人だと思える場合、人はきっとAIが生成したものに違いない、つまりAIが生成するものこそが、実在の人よりも美しいはずだという共通の理解のようなものが拡がっているんだなということです。

現在は特に人の場合が多いですが、これはいずれ風景とかにも、AIが見たことのない綺麗な風景を見せるようになると、美しい風景=AIが合成したという理解が進むかもしれません。それはいずれ、美しいものとはAIが生成するものであるという認識が人々に共有されるということでもあります。

そうなると、人は美しい人にはあまり魅力を感じなくなり、むしろAIが美しいとしないような顔に惹かれたり、風景でも、”死ぬまでに一度は行きたい場所”に選ばれるようなインスタ映えする場所ではないような場所に惹かれたりするようになるかもしれません。しかしそのような傾向がでれば、それもまたいずれAIにより学習され、美しくかつ人が惹かれる顔や風景が生成されていくでしょう。

AIが決める美の基準は公平か?

ここまでは、どちらかと言えば、AIが作るものこそが美の基準になることを否定的に考えて来ましたが、もしそのアルゴリズムが公平で多くの人の美に対する好みを学習したのならば、専門家ではなく、AIが選んだものこそが美しい作品とは言えないでしょうか。結局専門家と言っても見てきた作品の数は限られるわけですし、それなら世界中のありとあらゆる作品を学習したAIの方が、選択眼があるのではないかということです。これはある意味、美の選択がより公平になるとも言えます。

AIが作品を作るだけでなく、作品の評価もするようになると、少なくともある程度は受けいれられる作品を評価することも、今までにないものを美しいと評価することも可能ではあるでしょう。世界中の作品を公平に評価することを目指すのであれば、それはAIによる方が良いというか、それ以外ではできないのではないかとも思ってしまいます。

とりあえず、Twitterの話からちょっと考えたことをメモとして残しておきます。





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