【恋愛短編小説】 花弁と共に ”後編”
退院後、マネージャーとして部に復帰した。
顧問の先生に受験の事もあるため退部も提案されたが、僕は残ることを選んだ。
今度は、逃げたくなかった。
できる範囲で最後までやり切る。
今はそれが必要なことだと思ったから。
後悔はあるし未練もある。
そんな簡単に割り切れるほど大人には成れない。
でも、だからって。
今までしてきた事を無かったことにはしたくなかった。
ー インターハイ県予選100kg級決勝戦 ー
両者一歩も譲らない攻めの姿勢で、激しい試合展開に観衆も大いに賑わいを見せていた。
一つ一つの攻めが決め手に成りうる、瞬間も気の抜けない場面。
小外刈りで体勢を崩した大博に、大外刈りの追い討ちが襲う。
誰もが決着を予感した時、会場に怒声が鳴り響いた。
「負けんなぁ!大博ーーー!!」
気付けば大口を開け叫んでいた。
その声に呼応するかのように大博は巻き込むように体を拗らせ、無理やり払い腰の体勢を作った。
「ウォーーー!!」
畳にぶつかる激しい衝撃音の後、会場が沈黙に包まれた。
予想だにしていない展開に会場が震える。
スポーツ観戦なんて、何が楽しいのか解らなかった。
必死になって汗を流して、息を切らして、競い合って努力して勝ち取るからこそ、勝負に意味があると。
他人の勝利に乗っかっている観客の気持ちが理解できなかった。
畳から降りた大博が真っ先に駆け寄ってくる。
僕の崩れた顔を見て、一瞬だけ驚いたような顔をしていた。
「ありがとう」
咄嗟に出た言葉だった。なぜその言葉を選んだのかは自分でも分からない。
でも間違ってはいない気がした。
その言葉を聞いた大博の目から、堰を切ったように涙が溢れ出してくる。
その表情をみて、さらに喜びが込み上げてきた。
何でこんなに嬉しいんだろうか。
あの日、テレビの前で歓喜していた人たちの気持ちが、少しだけ理解できた気がした。
卒業後の進路は迷わなかった。
やりたい事というよりは、それがしっくりくる感覚だったと思う。
専門学校では学業に全てを注いだ。
大学に進学した友人の日常をSNS見る度に、羨ましく思う気持ちもあったが、それ以上にやりがいと充実感を感じていた。
慣れない勉強に苦戦し、課題に追われる毎日だったが、新しいものに挑戦する事が、何かに打ち込めることが嬉しかった。
あれから、何度春を重ねただろうか。
慣れないスーツを身にまとい、再びそこを訪れていた。
あの時と違うのは、年齢や背丈だけではない。
葉桜ではなく、満開に咲き誇る桜を見上げる。
ふと視線を振ると、見覚えのある病院が見える。
今日からここが職場だと考えると、くすぐったいような決まりのわるい気持ちになる。
国家試験も無事合格し、理学療法士としてこの地に戻ってきた。
今でも、あの日見た徒桜に縛られているのかもしれない。
横にあるベンチに腰掛け、先ほど自販機で買った缶珈琲を片手に桜を眺める。
薫るアロマと苦味が浮かれた気持ちを少しだけ冷静にさせてくれる気がした。
舞い散る花弁を眺めながら、君との思い出を反芻する。
色濃く残るその記憶に、淡い思いを乗せる。
どれくらいそうしていたのだろうか。
突然、強い風が吹いた。
顔を横に向けると、揺れる前髪の間から視界の端に黒い人影が見えた。
スーツということは同じ新入職員だろうか。
曲線のある体型は女性を思わせる。
ゆっくりと距離は縮まっていく。
同期になるのだから声をかけない方が不自然だろう。
声が届く距離になるまで気づけないふりをして、心の中で初めましての挨拶を考える。
第一印象は大事だと、最近見たビジネス参考書でも書いてあった。ここは社会人として大事な一歩だと、小さな覚悟を決める。
足音がすぐ隣で止まった。
それを機に、今気付いたかのように顔を振り上げる。
その瞬間、全てが奪われたように全身の力が抜け落ちた。
右手に持っていた缶が地面に落ち、「カンッ」と甲高い音を鳴らした。
「大丈夫ですか?」
缶を拾い上げ、訝しげな顔を作る。
「あれ?これ空ですね」
溢れるもので視界が歪んでいく。
「どうしたんですか!大丈夫ですか?」
君は覚えていないだろうか。
それでもいいと思った。
またここから、始めればいい。
今度は、ゆっくりと時間をかけて。
「ありがとう」
何度春が巡っても、きっとこの日を思い出すだろう。
君の存在が、僕の中に深く刻まれていく。
花弁と共に。
(終)
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