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怒り

今日も月一回のカウンセリングでした。

今日テーマにしたかったのは、暴力と怒り。

怒りというと、私に浮かんでくるのは暴力と怒声、周囲のざわめきと落ち着かなさ。

直ぐに怒鳴り散らす父親が嫌いでした。

馬鹿だと思っていました。

直ぐに怒る人は愚かで馬鹿だと思っていたから、自分が、そんな人間にはなりたくなかった。

だけど、いつしか怒りでいっぱいの人になっていました。

自分が怒りのエネルギーを溜め込んでいるのは知っていたから、いろいろとやってはみたが、フィットしない。

今日のセッションで浮かんできたのは、母親への怒りだった。

母親に対して、複雑な想いがあるから、怒っているはずだった。

しかし潜在意識は違っていた。

『母親を悲しませるから怒れない』だった。

そのときの自分の感情は置き去りになっていました。

本心は、『私は悲しかった、とても悲しかった』だった。

私の気持ちなど、一切考えてくれなかった母親。

私の気持ち、心に無関心な母親。

母親への怒りをオンにしたことで、力が湧いてきている。

自分のことなんだけど、子どもの親への愛の深さって、本当にすごいんだなと再認識させられた。

何度もセラピーを受けているが、隠しに隠し続けて、やっと私の宝物を見つけ始めた。

1人では、ここまで来れなかった。

どうしても認めたくなかったからね。

他人に委ねるなんて出来なかったからね。

だけど、人間関係でもつれにもつれた感情には、どうしても人間が必要だった。

乳がんになったとき、自分の人生を生きたいと願いました。

他人に振り回されて死ぬために生まれてきたなんて許せないじゃない?

信頼するセラピストの1人が、自分の純粋な怒りは創造性につながるって教えてくれました。

創造性に憧れながら、私は自分の作り出す世界が怖かった。

暴力ありき、狂気の世界しか作れないと思い込んでいたから。

それはそう、だってそれが愛だと思っていたんだから、愛欲しさに求めてたんだから。

そういう世界になる。

創造性の意味を取り違えていたから、創造性を否定していた。

あまりに悩みすぎて、考えすぎて、苦しすぎて、もはや苦しみの原型が何だったのかすら、分からないくらい苦しんだけれど。

今、ここに居られる。

今、生きている。















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