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少女に気軽な一人旅が届くまで問題5

鉄道連絡船に寄り道しましたが、1926年、とうとう昭和を迎えました。
まずはこの時点での交通についてざっくりと説明します。

青函航路があるので青森──函館間の乗り換えOKです。北海道に鉄道連絡船で行けます。
関門航路があるので下関──門司間の乗り換えOKです。九州に鉄道連絡船で行けます。
宇高航路があるので宇野──高松間の乗り換えOKです。四国に鉄道連絡船で行けます。
関釜航路があるので下関──釜山間の乗り換えOKです。朝鮮に鉄道連絡船で行けます。長春まで行けちゃいます。
今の日本の領土ではない場所にまで鉄道連絡船で行けるので、かなりすごいです。念のために付け加えますが旅客機はまだありません。日本から旅客機に乗れるのは戦後割と経ってからです。

この時点で日本が領土としているのは、現在の日本領土に当たる内地、樺太、台湾、朝鮮です。(一時的に遼東半島が領土となっていた時期もありましたが、すぐに返還したのでこの時点では領土ではありません)
そして領土以外にも租借地があります。
関東州(満州。首都大連)、南洋群島(現在の北マリアナ諸島、パラオ、マーシャル諸島、ミクロネシア連邦)です。
他にも行政自治権や治外法権を持つ租界が杭州、蘇州、天津、漢口、重慶に、上海に他国と共に共同租界が、北京に事実上の共同租界である公使館区域があります。(このへんウィキペディア丸写しです。すみません)
日本としてイメージされるエリアがかなり広いです。

──とこんな感じで昭和が始まります。

1927(昭和2)年4月、現在の大手私鉄で唯一の開業していなかった小田急線が開業します。一部単線のエリアはありますが小田原線全線です。これで大手私鉄が全部出揃いました。
そして同年が終わる直前、12月30日。東京地下鉄道、上野──浅草間。初の地下鉄が開通します。現在の東京メトロ銀座線です。

1928(昭和3)年、日本無軌道電車が阪神急行電鉄、花屋敷駅──新花屋敷を繋ぐトロリーバスを開業します。ただし営業が今ひとつで1932(昭和7)年に廃止されます。
これでトロリーバスがなくなったかというとそうではなく、同年に京都市電気局が京都市営トロリーバスを開業します。

1930(昭和5)年、鉄道に関する重要な変化が訪れます。鉄道省が全線でメートル法を導入し、キロ数で実際の距離を測り直し、運賃4月1日からキロ数に対応した運賃に変更されます。

1936(昭和11)年、南海鉄道で初の冷房車が登場します。扇風機を設置した電車が珍しかった時期に冷房です。しかも冷房車に乗るのに増額も不要。当時として尋常でないサービスです。ものすごく快適で大好評を博しましたが、めちゃくちゃ電力を食うことと、後述の日中戦争勃発時に贅沢だと物言いが付き、翌年冷房は使用中止になりました。
同年に国有鉄道の特急列車『燕』にも冷房車が導入されていますが、こちらは食堂車のみです。こちらも1940(昭和15)年に使用中止になっています。

1937(昭和12)年、日中戦争が勃発します。こちらはポツダム宣言までずっと続きます。ここからしばらく戦中です。それが理由で前述の冷房車なども使用中止になったりしている訳です。

1938(昭和13)年、陸上交通事業調整法が設定されました。タイミング的に戦時立法のように見えますが、乱立する私鉄、バス、軌道などを整理するための平時立法です。ただしこの戦時体制に対応するためにきな臭い状態になっていきます。中規模、大規模の会社をどんどん統合していきます。

1942(昭和17)年、関東では東京急行こと東急に多くの私鉄が合併し、大東急と呼ばれる規模になりました。この時期めちゃくちゃ広い範囲が大東急です。
1944(昭和19)年、関西急行鉄道と南海鉄道が合併して近畿日本鉄道となります。関西急行鉄道は大阪電気軌道が参宮急行電鉄、伊勢電気鉄道などと合併して設立されたので元々かなり広い範囲を走っていましたが、南海鉄道と合併してすごい広さを網羅することになります。

合併しまくりで見ていて途方に暮れますが、緊縮ではないことも起こっています。
1942(昭和17)年7月、関門鉄道トンネルが開通します。世界初の海底鉄道トンネルです。11月には旅客列車も運行開始します。これで電車で本州から九州に行けるようになりました。

この頃、1943(昭和18)年に名古屋市交通局の名古屋市営トロリーバスが開業しています。これでトロリーバスの会社は二社になりました。
ただ、明るい話はせいぜいこのくらいで、後は割と暗い話ばかりです。

1943(昭和18)年、1944(昭和19)年、22社の私鉄が戦時買収私鉄指定によって国有化されます。

1944(昭和19)年、軍事輸送強化するために特急列車、一等車、食堂車、寝台車など、快適さに振った車両がなくなります。

そして1945(昭和20)年8月15日、ポツダム宣言受諾を知らせる大東亜戦争終結ノ詔書を日本放送協会がラジオ放送します。
9月2日、降伏文書に調印され、10月2日から日本は1952(昭和27)年までの間、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に占領されることになります。

少女が一人旅できるはずもない状況の、占領下の日本の状況に続けます。

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