見出し画像

何が「新」なのだろう

この記事が投稿されるのは火曜日だから、タイムラグがあることをお許しいただきたい。


土曜日夜といえば「ブラタモリ」だった。3月に番組が終了し、次に始まったのが「新・プロジェクトX」である。プロジェクトXが最初に放送された2000年頃、私も何度かこの番組を観ていたが、難儀なプロジェクトを成し遂げる人たちの話に、彼らに習って我が身も何かできないものかと勇気をもらいつつ、拝見していた。


「新」という冠がついてから4回目の黒部ダムと5回目の明石海峡大橋の大工事の回を観た時だった。どちらの工事も、当時としては画期的発想と技術で成し遂げたものであり、たいそう難工事であったが、人が想像することは必ず実現できるというジュール・ヴェルヌの言葉通り、見事に大仕事を完遂された人たちのご苦労を思った。
私たちの暮らしは、こうした人たちの努力や汗の賜物である。

黒部ダムの回では、妻が病に倒れ入院しても黒部の山深くから帰ることなく、責務を全うしたというエピソードがあった。明石海峡大橋の回では入社当時は残業をせず、仕事が終われば自分の楽しみに勤しむ主人公が、部署代わりをきっかけに仕事に励むようになる話しが取り上げられた。
私はこのことにちょっとした違和感を抱いた。番組の”主人公”となる人たちを批判したいわけではない。当時ではこういう働き方が当たり前で、かっこよかったのだ。
しかし、今や令和であり、仕事と私生活のバランスを取ろうという時代である。むしろ出来る限り仕事の時間を減らして、私生活を充実させよう、家族との時間を大切にしようという時代である。
それ故か、彼らをかっこいいどころか、”それダメでしょ”と思ってしまったのだ。

念のためもう1度言うが、彼らの働き方を批判したいのではない。
あの時代とは、もう価値観が違う私たちの暮らしにおいて、この番組は共感を得るのだろうかと、私は思わず考えてしまったのだ。

もしかすると、この2回の放送は当時の再放送なのかもしれないとすら思い、公式サイトで確かめたがそうではなさそうだ。
私は、この番組が”あの頃のように働け”と言っているように思えてしまう。
「新・プロジェクトX」の何が「新」なのだろう。
このまま視聴を続けたらわかるだろうか。

#毎日note
#note
#日記
#障害者
#車椅子
#身体障害者
#新・プロジェクトX
#プロジェクトX
#NHK
#ドキュメンタリー
#ワークライフバランス
#働き方


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?