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「ふんぎゃーっ」と叫びたい

この記事を書く前に、実は600字程度の文章を書いている。書いてみて何だかまとまらないなと思い、そちらは寝かしておくことにした。
こういう時は、たいていネタにつまった時だ。

「書くことが全くない」という日は本来ないはずである。
1日何も起きなかったとしても、隅々まで細かく見渡せばいくつかの拾い物はあるし、1日中何も感じなかった・思わなかった・考えなかったなんていうことはありえない。
あるいは、いろいろ思うことはあるけれど、書くに足りない話だったり、何らかの事情で書けないことはある。特に他者が絡むと書けないことが出てくる。
今現在、私は”あのこと”や”このこと”を書きたいが、そういうわけで書くわけにいかず、表面上は何もない平凡で当たり前の日ということになっている。

「平凡で当たり前の日」は、その中にいると有難さがわからない。私はどちらかというと起伏のある日々の方を好むが、渦中にいるときは極端に嬉しかったり、極端に悲しかったり、極端に怒っていたりするものだから、とにかく疲れる。なぜそんな性格なのか、本当によくわからない。


今日はあることで怒らなければ(叱るではない)ならず、怒鳴らずに、怒りをどう相手に伝えるか頭を抱えた。本心か振りなのか、低頭平身な相手に、常識ある大人として、しかし「怒りはおさまっていませんよー」と伝えるのは本当に難しい。

読者の皆様には何を書いているかわからないと思いますが、とにかく私はある人に怒っているのです。
なんなら「ふんぎゃーっ」と叫びたいし、”お前”呼ばわりしたいくらい…。

ね?ネタに困っている日でも「1日中何も感じなかった・思わなかった・考えなかったなんていうことはありえない」でしょ?

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