見出し画像

外国語学習の必要性云々

語学レッスンの記事を書いている最中に、テレビからチャットGPTがアップデートされたニュースが流れた。言語処理速度が格段に上がり、人の話しかけに対して、ほぼ瞬時に返答が返ってくるという。しかも、かなり人間の言葉に近い自然な返答だ。

人が言葉を学ぶ意味はもうなくなってしまい、外国語学習などというものが過去のものになってしまうのだろうか。そんな考えがふとよぎった。
現実的には、まだ通訳者も翻訳者も必要だし、これだけ多くの外国語学習に関するコンテンツが多く存在するのだから、学ぶ意義はあるだろう。
とはいえ、もしかすると100年後には、「過去に学校で外国語を学ぶ授業があったなんて信じられない」と思われるのかもしれない。


しかし、語学をやったことのある人ならわかっていただけると思うが、他者の思考を通過して母語に変換された言葉と、自分が直接受け取った言葉は違うのだ。
たとえば海外ドラマや映画の字幕は、映像作品の制限上、秒単位における文字数が決まっており、その範囲内で訳さねばならないため、実際のセリフとことなることがある。また、通訳にしても互いの言語にない概念をどうにかこうにかやり繰りして変換していて、必ずしも1対1に訳されているわけではない。通訳者・翻訳者は、いかに的を得た且つ整理された訳を生み出すか、日夜ご苦労されていると思う。

ITを使った翻訳にしても、訳が絶対に正しいとは言い切れない。また、表現の中の言外な意味をそのまま受け取って良いものかも、相手方言語を知らなければ判断ができないのだ。
旅行程度ならIT翻訳は非常に便利だと思うが、コミュニケーションにおいて表現の深みを捉えられるかどうかは、やはりその言語を知っていなければならない。
そういう意味でも、今現在は外国語学習の必要はあると思う。

一方で私は、人が言語を獲得していく過程そのものにも興味関心があり、実際に体感していくことで、脳内の言語処理がどう変わっていくか、もしくは思考そのものが変化していくのか知ることに興味と喜びを感じている。
外国語学習以外だってそうだ。人間が新しいことを知っていく過程は、とても興味深い。

チャットGPTの言語処理レベルは私より上かもしれないが、チャットGPTにはまだ感情がない。
ITが感情を持った時に人の能力がどう変化するのか、知りたいがそれは少し恐ろしくもある。

#毎日note
#note
#日記
#障害者
#車椅子
#身体障害者
#チャットGPT
#外国語
#語学
#語学学習
#IT

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?