エレスさんのヒプノセラピーを受けた話
おととい、わたしはひさしぶりにバイクに乗った。
バイクといってもでっかいかっこいいやつじゃない。
ちっこい50ccの原付がわたしの相棒だ。
ひとりになりたいとき、大声で歌いたいとき、あるいは泣きたいとき、そんなときにわたしはバイクに乗る。
なんでそんな気分になったかといえば、エレスさんのヒプノセラピーを受けたからだった。
ヒプノセラピーについては、最後に書く。
その前に書いておきたいことがあるので順番に。焦らないでねwww
After: ヒプノセラピー
ヒプノセラピー直後、ものすごいシンクロが起こったので、それについてまず書いてみる。
めちゃくちゃエンジェルナンバーを見たというのが一つ。
当日は「ママの休日(パパの日)」だった。
夕方から元夫がうちに来て、娘たちの面倒を見てくれる。
わたしは夕方から束の間の自由を得る。
そういう日だ。
お昼にセッションを受けたのち、わたしはスーパーへと向かった。
ママの休日を取るための一仕事、夕飯の買い出しのためだ。
スーパーへは自転車で約10分の道のりなのだけれど、その間にエンジェルナンバーを数えきれないほど見た。
「‥.1」「..22」「.333」をそれぞれ2回ずつ 、「8888」「7777」「9999」をそれぞれ1回ずつ、「..25」を2回、それ以外に「8008」「2525」「1010」…もうよくわからないほどに見続けて途中から数えるのも諦めた。
帰りの10分も同じだった。
何が起きてるんだ?と思った。
その後、今日のひとり時間をどうしようと考えた。
どこかのお店で note をひたすら書くとか、カラオケ屋さんで大声を出して声の調子を整えるとか、明日の仕事を前倒しでやっちゃう?とか思いついては消えていく。
帰ってきて自転車を駐輪場に止めたときに、ふと埃まみれのバイクが目についた。
今日はバイクにしようかな。
どこか遠くに行ってみる?
都内の道をどこまでも、走れるところまで行ってみよう。
そんな風にi-Phoneで調べた道を走り出したのだけれど、一回道を間違えた。
脇道にそれるはずが地下道に入ってしまい、曲がるはずのところを通り過ぎてしまったのだ。
そうしたら、ビルの間、遠くに小さな東京タワーが見えて、あれ?と思った。
こんなに綺麗だったっけ。
そう思いながら走るバイクとわたしは、少しずつ東京タワーに近づく。
そしてたどり着いた交差点、そこは特等席だった。
予約されたかのように赤信号に変わり、ゆっくりとその景色を堪能する。
誰かがわたしにこれをわたしに見せてくれた。
これはプレゼントだ、なぜかそう思った。
だって、本当に綺麗だったからだ。
写真より、もっともっと綺麗で神々しかった。
Before: ヒプノセラピー
わたしはヒプノセラピーは初めてだったのだけれど、前世ではないかという記憶をいくつか持っていて、以前から受けたいなと思っていた。
そして、最近ある記憶を思い出したのをきっかけに気持ちが強くなった。
のりこさんの記事を拝見したのはそんなときだった。
早々にエレスさんに連絡をして、元々有給を取っていた25日にお願いした。
そしたら、ハプニングが起きた。
なんとエレスさんが入院してしまったのだ。
記事によると、退院予定は25日とのこと。
約束した25日は無理そうだった。
別の日にしてもらうにしてもエレスさんに確認してからだな、と思いながら、けれど連絡をこっちからするのも急かしてしまうようで、とりあえず「わかりました」の意味でハートボタンを押しておく。
そのまま仕事に追われて忘れていたら、入院中のはずのエレスさんから合わせて2通のメールが来ていた。
「25日退院になったのでずらしてほしい」というメールの後に、「退院が早まったので25日だいじょうぶそう」というメール。
あぁ、今回のヒプノはわたしにとってとても大事なことなんだと気づいたのはこのときだ。
インナーチャイルドセラピー
セッションの前に、現実で気になっていることをお話しした。
仕事のこと、人間関係のこと、今のわたしのこと。
一通り話し終えるとセッションはインナーチャイルドの癒しから始まった。
思い出したのは2歳頃の記憶だ。
小さなわたしは、ダイニングテーブルの下にいた。
背丈がほぼテーブルの高さだったわたしが、テーブル下の真ん中を通る棒につかまり立ちをすると天板の下側すれすれになる。
それが好きだった。
テーブルの下の空間はわたしの、わたしだけの落ち着く場所。
真っ暗なその場所から大人たちの足が見える。
父と母と姉と兄の4人家族はもうそれで完結しているように見えた。
上の兄と8つ離れて生まれたわたしは少し余分で、家族からはみ出している。
4人がけのダイニングテーブルはそういうことを象徴しているように見えた。
4LDKの家には姉の部屋と兄の部屋があり、わたしの部屋だけがない。
わたしはひとりだ。
そう思っていた。
がんばってもがんばってもわたしは家族の一員にはなれない。
母は今もわたしの娘たちに言う。
「お母さんはすごくがんばり屋さんだったんだよ。」
けれど、それはがんばらないと居場所がなかったからで、がんばってそれでもなお安心はできなかったからなのだけれど、母は知らない。
大学を卒業する前に実家を出たことを思い出した。
足元にうずくまっている小さなわたしに、わたしは「がんばらなくてもいいよ」と声をかけた。
インナーチャイルドのセッションは初めてではないし、自分でもワークを何回もやっている。
けれど、尽きないものだなぁと思った。
ヒプノセラピー
そして、とうとうヒプノセラピーが始まる。
最初に書いたのだけれど、前世らしき記憶はいくつかわたしの中にある。
ただ、自己流で引っ張り出したのでそれが何なのかよくわからず、一般的に前世と呼ばれるもののように思っていた。
だから答え合わせしたい、というのが目的のひとつだった。
エレスさんの誘導、つまり記憶へのアクセス方法はわたしと少し違うけれど、同じような領域に入っていっているのがわかった。
1回目に着いたのは山の上だった。
ゴツゴツした岩場と森がある。
森の中に建てられた小屋にわたしはおじいさんとふたりで住んでいる。
どこからか逃げてきたわたしをおじいさんは匿ってくれているようだった。
平穏な日々が続く。
途中、世界が壊れたけれど、わたしは何もしなかった。
おじいさんと変わらない日常を重ね、普通の人間として人生を終えた。
わたしが逃げなくてはいけなかった理由は自分の能力にあり、そのことは世界が壊れたことにも関係していた。
かつてスピリチュアルを嫌っていたことは、自分への恐れだったと思う。
スピリチュアルの能力が高いのに、自分に主導権がなく、利用されやすい。
わたしは自分の能力が自分をしあわせにすると思っていない。
その気持ちは今も拭い去れていないような気がする。
2回目は西洋の田舎にある村だった。
閉鎖的なその場所でわたしは一生を終えた。
村の仕事に従事し、親の決めた相手と結婚し、子供を産み育て、老いて死んだ。
それは平凡な人生だったけれど、わたしは穏やかだった。
今のわたしからすると不思議だけれど、特に不満はなかった。
与えられた責任を全うできたことに満足し、安堵していた。
老いたわたしは外に置かれた椅子に座り、背後に広がる原っぱで遊んでいる子ども達の声を聞いている。
そこはわたしに赦された場所で、満たされていた。
自分の人生を愛していた。
今回のヒプノセラピーで見えたふたつの記憶はびっくりするほど穏やかだった。
いつもわたしがアクセスする前世は厳しいものが多いのだ。
こんなに穏やかな過去世もあったんだ、とホッとした気持ちになった。
それと途中で変なことが起こった。
エレスさんが咳き込み、わたしもそのあと同じような症状に見舞われた。
煙いような感覚の後、喉が乾いて張り付くような感じになり、水を流し込んだ。
エレスさんも同じようになって、驚いた。
第五チャクラに関係しているのかなと思った。
この後、何か起こったらまた描いてみようと思うけれど、体験記としてはこれで終わる。
あらためまして、エレスさんありがとうございました。
特別な体験でした。
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