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「女」を降り、純粋な子ども役に徹して攻撃から逃れる戦略 〜 お金とパートナーシップの関係②

前回、男性リーダー率いるグループへの違和感について、かつての家族を投影していると書いた。
意外とたくさんの方に読んでいただいて、驚いている。
詳しい状況は前回書いたのだけれど、簡単にいうとこんなことだ。

男性リーダーとその男性を崇める取り巻きの女性たちで構成されるようなグループに学びたいことがあり参加するのだけれど、最終的には疑問を持ちグループから離れるという選択をする。
そのきっかけとなるのは、男性リーダーが女性の性や労働を搾取しているという小さな疑惑だ。

ちなみに、ここで一応言っておく。
わたしはその男性リーダーを嫌いではない。
ただ、一緒に仕事をする関係にはなれないし、何かあったときに彼を援護する気にもなれない。
その女性たちと同じように彼を崇め奉ることもできないし、目の前で何かあったら自分の意見をそのまま言ってしまう。
だから、一緒にい続けることはできない、それだけだ。

結局、彼の作るルールの中でわたしは生きていけないのだ。
わたしがそこでしたいのは仕事であり、評価を上げていく必要がある。
彼がルールという世界では、仕事だけでなく、自分の全て、女としての側面や自尊心までもを彼に捧げなくてはいけなくなる。
「能力への評価」は自分の価値を上げることにつながらない。

これは、タイトルにもある通りパートナーシップとお金の関係の話だ。
両者は密接に関係して、複雑なブロック思い込みを作り上げている。

わたしは、知識や技術を得て、サービスを提供しより多くの対価を得たい。
そのために、技術力をつけ、自分の価値を上げて自分の居場所を確立しチャンスを得たいと考える。
けれど、そういうグループでの女性の価値は、男性リーダーとの仲のよさや女性としての価値に依存する。
極端に言えば男性リーダーとねるとか、そこまでは行かずとも仲良くして持ち上げるとかして取り巻き(〇〇ガールズ状態)になれば優遇される。
(けれど、そんなことはないと本人は否定する。)

そういうとき、どんなにいい仕事をしても、価値は上がらない。
女性というだけである程度優遇される反面、技術力を高めることは地位や待遇の向上につながらない。
女たちは一定の横並びであり、下にもならないが上にもいけない。
そこから価値を付加して一歩抜きん出たい場合は、男性リーダーの歓心を買う必要がある。

こんな状況がわたしは苦手だ。
そして、思い出されたのは、子どもだった時の家族だ。
父と母、姉と兄とわたし。

父は裸の王様だった。
母は、表面上は父を、実際にはもたらされるお金をおそらく敬っていた。
裏ではセンスやデリカシーのなさ、お金の使い方をいつもけなしていた。
昔も今も母の自己肯定感は恐ろしく低い。
「おばあちゃんが寝ているところを見たことがない」というのはうちの娘たちで、それほどに早くから遅くまで動き回っている。
ただの自分には価値がない、そう思い込んでいる彼女は働き続けないと不安なのかもしれない。
今も昔もそんな労力に見合う何かを母が得ているようには見えない。
姉は男性である父や兄には甘いのに、母とわたしを妙に厳しく評価した。
穿った視線から時折繰り出される言葉にグサリとやられたことを思い出す。
子どもだったわたしは、意地悪だと思うことを避けていたけれど、あれはたしかに意地悪だったと今は思う。
姉は父と仲がよく、母をよく批判した。
それは力の天秤を父に傾け、父と母の権力争いを無効化する。
つまり、姉は「うまくやって」いて、父の覚えはよかった。
兄は母にも姉にもわたしにも優しいけれど、唯一父と折り合いが悪い。
グループにオスは二匹並び立たないということかもしれない。
父の兄への態度は、わたしから見て尊敬できるものではなかった。
父として年長者として人間として「いやなやつ」だった。
けれど、「厄介な人だ」という立て付けは手出しできない状況を作る。
結果的に父の権力には誰も手が出せない。
父の横にいるはずの母は、その厄介さを恐れてか、父を崇めるかのような態度をとり、一定の平和な家庭を維持した。
小さな小さな世界。
けれど、これは世界の縮図だ。

その状況下で小さなわたしが自分の居場所を守るために選んだ戦略。
それが今のわたしの中にある、パートナーシップとお金のブロックを作り出したのだということがわかった。

純粋な子どもであり続けること。
それが、わたしの生き残るための戦略だった。

ここで一応補足する。
今のわたしは、子どもだった自分を被害者だと考えてはいない。
この家庭という小さな世界は、ドラマであり、演者全員が共犯関係にある。
全員の合意がなければ、この世界は成立し得ない。
ドラマから抜け出すには、引きで世界を見なければならないし、被害者役から降りなくてはならない。
ドラマの中の人であり続ける限り、どこへ行っても同じようなドラマが目の前の現実で何度も始まり、否応なしに参加することになる。

話を戻す。

あるころから、わたしに向ける父からの視線は「女」を見るものになった。
その視線は、わたしが女であることから逃れさせないかのようで、何かをされたわけではないけれど、空気が張り詰めるような緊張感をもたらした。
母はわたしが女になることを拒否するかのように、厳しくなった。
わたしに甘え、一時期わたしは彼氏のように母を守ろうとした。
父の陣営へ加わらないように「囲い込み」が行われたかのように。
姉からの言葉は、女であることに起因するとき、殊更に鋭さを増す。
「女」から降りることは、そういう攻撃から逃れる唯一の方法だった。

勢力争いに参加したり、勢力図に影響を及ぼすようなことを避けたかった。
無実の傍観者でいたかったのだと思う。

けれど、子どもであり続けることは、女性として享受できるものを放棄することに他ならない。
ひいては、大人になることすらも拒否をしている。
ここにパートナーシップとお金が関係するポイントがある。

長くなったので、また次回に続きを。


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