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ブコウスキーが好きなんだ

チャールズ・ブコウスキーである。
僕が詩を書き始めたきっかけ。

大手書店で背表紙だけ見てすぐ買ったことを覚えている。

ブコウスキーは勝手に書く。勝手に酔いどれる。
その勝手さがそのままブコウスキーの魅力になっている、と勝手に解釈している。
こんなことも書いていいのか、と初めて読んだときに強烈に思った。

ブコウスキーの勝手さに僕は引き込まれた。そして詩を書きたくなった。
読めば突き放されるようで惹き込まれる。

ブコウスキーの文章に僕はオチを求めない。そのまんま書いてほしい。支離滅裂でも構わない。ブコウスキーの見る世界が見たい。

チャールズ・ブコウスキーはもう他界されているので、残念だがすべて過去形にしなくてはならないのかもしれない。でも、詩に迷ったら僕はもう一度ブコウスキーに戻りブコウスキーの見たものを見たくなるので僕にとっては現在形だ。

僕は思いつく。そうだ僕には僕なりの詩というものがあるんじゃないか。僕なりの詩を書けばいいんじゃないか。

それから数十年、僕はまだあきらめきれずにちまちまと詩を書いている。勝手な詩だ。酒はやめて酔いどれ詩人にはなれなかったけれど、僕はほぼシラフで詩を書く。ボールはこちらから投げないと始まらない。詩に詰まったらいつでも読み返せる位置にブコウスキーの詩集を置いてある。

ブコウスキーよ、僕に詩を書かせておくれ。
勝手に書けよ。
という返事がかえってきそうだ。

勝手に書く覚悟を決める。好不調の波はあるが僕は書く。それがどこかの誰かに届けばうれしい。

詩人という職業は無いに等しいだろう。
それでも勝手に書く。認められなくてもいいが、やっぱり認められたい。
ブコウスキーには要らない考え方かもしれないが、こんなこと考えているヤツがいるんだとボールを投げたい。

飽きたり休んだりしながら書いていこう。自分に挑戦するつもりで。勝手に。ヤニで汚れてしまったブコウスキー詩集とともに。

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