わきまえていないのは

 Choose Life Projectの番組「Don’t Be Silent #変わる男たち」についてのコメントや引用RTを片っ端から読みました。

 深く恥じ入るばかりで、なかなか言葉が出ません。

「フェミニストのご機嫌伺い野郎」みたいな言葉には何も感じませんが、様々な批判はどれも真っ当で、読めば読むほど自分の浅薄さが浮き彫りになります。語るべきは僕のような人物ではないのは明らかです。

 また、僕が出演したところで、自分の後進性やこれまでのクソ野郎性(ひどい発言をしたことがあります)を反省する言葉しか持っていませんでした。耳を傾けるべき誰かの時間とひとつの席を奪うだけで(男だらけの番組の座組み自体が「席を奪う」性質を持つことも含めて)、自分にできることがなかったのは明白です。

 こうした反省文も白々しいのではないかと書いたそばから思います。

 黙って、できることを自分の現場や日常で実践する以外にありません。どう考えても、それ以外にするべきことはないだろうと思います。いまだに「ガールズバンド」なんていう言葉にいくらかの意味をのせて使う業界に僕はいます。身近な友人たちのストラグルを見てきました。胸を張って「役に立てた」とは言い難いのも事実です。

 社会変革(議員や会社役員の一定数を女性と定める制度を求めるような)を求めないわけにはいかないとも思います。黙って耳を傾けるべき言葉がたくさんあることと、社会問題に対して沈黙することとは別だと思います。

 ただ、どこで、どのような言葉を発するべきか。というか、言葉を発するのではなく、耳を傾けるべき立場ではないのか。わきまえていないのは、僕でした。

 この文章についての感想も含めて、様々な批判に耳を傾けます。

 巻き起こるすべての感情は、自分の膝丈程度の浅い想像の埒外で、これまでに多くの方が長年に渡って感じてきたことであり、その積み重ねのうえに自分は阿呆面をぶら下げて立っているんだということを肝に銘じます。

 そして真新しい、現在進行形の自分の恥ずかしさと常に向き合って、勉強していきます。

 追伸。この番組をまだ見ていない方がましたら、ぜひ。特に岡野八代さんの言葉が刺さります。僕にこそ、向けられた言葉だと感じます。

 追記。小林えみさんの文章も勉強になりました。