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ドサクサ日記 4/29-5/5 2024

29日。
大阪城ホールでリクエステージ。久しぶりの大きな会場。響きが大きくて懐かしい感じがした。出演者たちはどれも個性的で、それぞれの音楽やファンに対する誠実さが伝わるライブだった。昔のイベントは、もっといろいろなものが渦巻いていて、批評性というよりは妙な意地の張り合いみたいな空気だったけれど、オーディエンスも含めてとても真っ直ぐで、良い時代になったなとつくづく感じた。

30日。
星野富弘さんの訃報をニュースで知った。大学卒業後はフリーターでもしながらバンドをしようと思っていたが、計算してみるとほとんど毎日死に物狂いでシフトを入れても、大した額にはならないことに気がついた。就職先などないかと思っていたが、二次募集で俺を採用してくれたのが、星野富弘さんの詩画集のカレンダーや絵葉書の制作、書籍の販売をする会社だった。出版部に配属された俺は、書店や文具店への営業や、詩画展や美術館の設営の手伝いなどの仕事をしていた。ちっともバンドが上手くいかず、なんとなく前進している感が出てきた頃にはまわりのバンドたちがデビューして行き、とても惨めな思いを抱えながら南武線に揺られていた。ため息をつきながら倉庫で項垂れる日もあったが、富弘さんの詩画にある言葉を読んで、なんとか毎日をつないでいた。この仕事なら頑張ってできると思うことが多かった。母子草という詩画の「弱いから折れない」という言葉がとても強く心に残っている。強がっているからポッキリいくのだなと思った。アンダースタンドという曲は、こうした言葉から地続きの歌だと思う。直接会って挨拶ができたのは一度だけだったと思う。勤めていた会社は、富弘さんの思いが部内に充満しているような感じで、温かくて自由だった。短い期間だったけれど、当時の社長だった大嶋ご夫妻には大変にお世話になった。ここは会社だけれど、大学のようなところなのでどんどん学んで欲しいということで、社会人学習を支援してくれる場所でもあった。先輩方にも恵まれた。「KID A」を聴きながら帰ってしまうような社員だったが、この数年の体験なくして今の自分はないと言える。ご冥福を祈ります。

5月1日
身体がバキバキになってしまった。こうなると肺に息が入らなくなってしまう。歌うことの勘所は、息をたっぷり吸って、消耗しないように吐くところにあるということが、いろいろ勉強してみてわかった。ボイトレ、そして合気道などの武道の稽古を通じて、共通項をなんとなく見つけた。トシロウさんも脱力と言っていたけれど、やはり力まないことは大事なのだ。バキバキなのは、力みまくっている証。

2日
私設音楽賞、アップルヴィネガー賞の大賞が発表になった。いくつかの作品を並べて、大賞を決めるという行為には、どんなに誠実に取り組んでもある種の不遜さが含まれてしまう。それぞれの達成を相対的に扱う必要は本来なく、どの作品もそれぞれに素晴らしいからだ。それについてはいつも申し訳ないと思う。今回は君島大空さんのアルバム『no public sounds』に賞が贈られた。特別賞の野口さん、原口さん、皆さんに祝福と感謝の気持ちを送りたい。音源制作を巡る環境の変化は、自分が活動を始めたころから比べてもガラっと変わったと思う。大きな商用の録音スタジオはなくなり続けている。音楽を作るのにはそれなりの空間が必要だけれど、都心でやるにはコスパが悪すぎる。ビルのオーナーだったら、別のテナントに貸したいと思うのは仕方のないことだと思う。しかし、欧米では、守らなければいけない文化施設と考えて、資産家が保護していたりする。そういう特別な意識がなくては保てない。そして、新しく作ろうとすると本当にお金がかかる。遮音や防音という機能、配線、空調、あらゆる面で工事費がかかり、それを営業で回収しようと思うとレンタル代が高くなってしまって、ミュージシャンの助けにはならない額面に設定せざるを得ない。そうなると機会は均等にならず、とにかくお金がものを言うことになってしまう。お金がものを言う社会がこうした状況を用意しているので、拍車がかかるということになる。なんとか、みんなが安心して安価で使えるスタジオを作りたいと思って、「APPLE VINEGAR Music Support」を立ち上げることにした。もちろん身銭を未来にパスするつもりだけれど、多くの人の小さな協力なくしては成しえないことだと思う。協力してもらえたら、本当に嬉しい。

3日。
実写版のシティハンターを観た。鈴木亮平さんの怪演っぷりを堪能できるエンターテインメントという感じで面白かった。自分はなんとなく社会的な意義とか、生き方が変わるくらいの何かを最近は映画に求めている。けれども、ジム・キャリーの『マスク』だとか、ジャッキー・チェンのカンフー映画だとか、とにかく笑えて爽快みたいな作品も好きだったなと思い返す。エンディングの「Get Wild」は調べてみるとむちゃくちゃいろいろなバージョンがあってびっくりする。なかでも「ver 0」というタイトルのデモは強烈で、これを未発表とせずに公開してくれた小室哲哉さんはすごいなと思う。こういう仮歌に「アスファルトタイヤを切り付けながら」と書いた作詞家もめちゃくちゃすごい。こういうリメイクは2時間弱に全部詰め込むのは難しいので、エピソード方式で何話も作って欲しいと思った。

4日
JAPAN JAM。とても素敵な夜だった。「転がる岩〜」はずっと大切に歌っている曲だけれど、ここに来て新たに受容されていることがとても嬉しい。この曲は世界情勢や社会の諸問題と、等身大の己の無力さの間で打ちひしがれながら、それでも転がっていくのだという決意を綴った歌で、少し感傷的なところが玉に瑕だけれど、ある点においてはエバーグリーンなことが書けたと思う。

フェスに行くとみんなが同時に手を振る光景が圧巻で、同時に出演者が神格化されている感じが少し恐ろしいところもあって、随分前に「そういうのやめたほうがいい」とMCで言ってギターの喜多君に怒られたことがある。「楽しみ方は観客の自由だから、アーティストの側が押し付けるのは良くない」という論旨だった。俺はすっかり反省して、それ以来、「誰の真似もせずに、自分らしく自由に楽しんでね」と伝えることにしている。手を振る自由ももちろんあって、それを楽しんでいる人もいる。ふらふらと踊ることが楽しい人もいれば、じっくりと静かに曲に浸っている人もいる。大声で一緒に歌いたい人もいて、これについては他人の耳元でやったりしなければ良いと思う。それぞれの自由がぶつかるところでは、お互いに想像力で譲り合うしかない。これはフェスだけではなくて、社会のいろいろな場所で言えることだけれど。

5日。
公園に散歩に行くと、爺さんと婆さんが管楽器や弦楽器でセッションしていた。「In the Shade of the Old Apple Tree」という曲だった。昔は爺さん婆さんと言えば山で柴刈り(薪拾い)、川で洗濯をして巨大な桃を拾って帰り、その桃の中から奇怪にも男の赤ちゃんが生まれるなどして育てる羽目になることが多かったが、こうして老後に音楽を楽しんでいる人たちに出会って気分が明るくなった。