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ドサクサ日記 5/6-12 2024

6日。
夕飯を作るの面倒くさい、でも連休の最後だし特別なものでも食べたい、ということで寿司の出前がいいなと午前中から思っていたけれど、気がついたら夕方になってしまい、かつG.W.ということもあって寿司屋の出前は当然のごとく混雑しており、結果的に冷蔵庫にあるものを適当に食べるはめになったときの悲しみに名前とメロディをつけて、紅白歌合戦で歌って魂を鎮めたい。そんな休日だったと思う。

7日。
市ヶ谷のSONYでメンバー4人、そして中村君とで座談。『ファン感謝祭』に向けてのあれやこれやの企画のためにいろいろな話をした。案外、中村君はメンバーより楽曲をよく聞いていてくれる。そのときの俺の変化や、心境、そうしたものに敏感で、それに合わせてジャケットの陰影や色合いを考えてくれている。時折、考え方が違うところもあるけれど、仲間だってそういうところがあるのは当然のこと。

8日。
スタジオで作業。終わって家に帰って果てて、夜中と朝方の中間ぐらいの時間におきたらスティーブ・アルビニが亡くなっていた。スタジオのアナログテープに演奏が記録されていた時代は去って、DAWによって誰もが自室やそれを改装したようなプライベートスタジオで楽曲を完成させる時代になった。アルビニはそういう流れに迎合せずに、テープに演奏を記録し続けたエンジニアだ。音作りはもちろん魅力的だったが、その哲学が好きだった。彼のスタジオに電話をすると、彼が受話器を取り、一律の値段で仕事を引き受けるのだという話を聞いて、感激したことを思い出す。有名なバンドの作品に関わって知名度が上がっていけば、乗じるようにギャラが上がっていくのが当たり前という世の中にあって、彼はそうした資本主義的な性質を拒んでいたのだろう。俺はアナログがデジタルにほぼ切り替わる時期に世に出た。フルアナログの時代には世に出られなかったタイプ(主に技術の面で)のミュージシャンだ。デジタル機器は音楽的な機会の均等化に一役買った。目が飛び出るような価格の機材は買えずとも、安価なプラグインが同じ役割を多くの人にもたらしてくれる。資金面での参入障壁をならしてくれた。しかし、デジタルは制作や視聴の環境を変え、資本主義的な性質も加速させて、アナログな現場としてのスタジオを壊し続けているとも言える。一緒に消えてしまう伝統的な仕事(アナログ録音の文化)を守ってきた人間のひとりとしての彼を尊敬するとともに、誰の仕事でも同額で引き受ける(と聞いている)彼のフェアな態度にシビれ続けている。インディをディスカウントするスタジオやエンジニアの考え方には、彼の影響がいくらかあると思う。自分もそういう働き方を続けたい。どうか安らかに。

9日。
藤枝で設計の打ち合わせ。スタジオというのは本当に特別な構造体で、設計が難しい。一級建築士でも建てたことがない人がほとんどだと思う。ゆえに専門家を呼んで専門的なチェックが必要になる。建築費も通常の建築物の3倍くらいになってしまう。潰すのは簡単だけれど、造ろうと思うと簡単にはいかない。設備投資を即座に回収できるほど儲かったりもしない。貨幣換算できない使用価値で成り立っているようなものだ(音楽には本来、価格がつけられないように)。お金のことを考えるとため息しか出ないけれど、未来の誰かの音楽的な達成を想像というよりは予感して、それを糧に不安を吹き飛ばしている。協力してくれる人たちの顔というか、身体とオーラというか、彼らの振動に支えられている。この日は藤枝と静岡を随分と歩いて足が疲れた。お陰で、久々にぐっすりと眠った。本当に久々だった。

10日。
ライブハウスのチケットノルマの話をネットで読んでいろいろ考える。ノルマがあるような通常ブッキングのライブに出続けていては金も時間も減るばかりで、この先に何も起こることはないと痛感した日々を覚えている。インディで人気のあるバンドが出るイベントの前座で認められるか、あるいは自分たちでイベントを作らない限り広がることはないだろうと思った。そこからはいろいろ試行錯誤を繰り返して、ライブイベントを一緒に作る仲間を見つけたり、渋谷下北界隈でイベントを企画している人たち(プロのイベンターではない)に見つけてもらって、徐々に観客が増えていった。やっぱり場を自分たちで作ったり、考えたりするバイタリティがないと、サービスを一方的に買う側になって、東京の地価由来の支払いからは逃れられない。そういう状況をどうにか抜けることも、バンド活動の味わいなのかも。

11日。
山中湖でスぺースシャワーのフェス。天気が良くて富士山がとても綺麗だった。静岡県は横に長いので、神奈川の端っこからの富士山と地元の島田や藤枝から見える富士山の大きさにそれほどの違いがない。けれども御殿場くらいに来るとやはり壮観で、なんだか外国の山のようにも見えて、感動と畏怖がマーブル状になって押し寄せる。宝永山のそこじゃない感、行くなら天辺から行けよ感も、また良し。

12日。
友人に借りた坂本さんのNHKスペシャルを観た。もう会えないのが悲しいなという気持ちが少しもすり減らない。亡くなる寸前まで、こうして記録されたことについていろいろ考える。坂本さんは音楽史に残るような人だから、家族には記録を残さねばという覚悟があったんだと思う。大変な決意だ。ゆえに、こうして最期の日々に触れられた。そして、少しだけ気分が安らいだ。精一杯、生きたいと思う。