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詩は散文と違って明示性のみを目指さない。

 歌人と詩人が連詩スタイルでひとつの作品を読み上げたユニークな本、『今日は誰にも愛されたかった』の冒頭、「詩について」という谷川俊太郎さんの文章から。1ページが丸っとパンチラインではあるが、一部を抜粋して記したい。

いずれにしろ詩は散文と違って明示性(denotation)のみを目指さない。むしろ含意(connotation)を主要な武器とする。詩のそういう特質から言って、詩を語る上で言語の多様性を避けるわけにはいかないから、必然的に文は曖昧にならざるを得ない。

谷川俊太郎、岡野大嗣、木下龍也 著
『今日は誰にも愛されたかった』(ナナロク社) P6

 何かと分かりやすいことのほうが重宝される時代にあって、詩が置かれている立場は苦しいのではないかと時々思う。しかし、詩を書いたり歌を詠んだりする人が増えているようにも感じて、なかなか世の中というのはシンプルな言葉では言い当てられない。詩は言葉にできなかったことをも、やりとりできると思っている。歌詞なんかは特に。メロディやコード進行にはポエジー(谷川さんの言葉を使うなら「言葉にならない詩」)が含まれている。

 岡野さんの短歌から引用されたタイトル『今日は誰にも愛されたかった』に惹かれて手にした。どういう意味かは直ぐにわからなかったけれど、ハッとした。この本に呼ばれているなと直感して。