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ドサクサ日記 9/25-10/1 2023

25日。
対談取材とミックス作業。金にならない美術品はゴミ、みたいな話のしんどさについて話す。作品のみならず、モノや行為の本当の価値というのは、そのときには良く分からないことが多いのではないかと思う。よく分からないうちに淘汰されて、なかったものの中にも、時間のフィルターさえ乗り越えたら、もっと違った魅力を発揮したものもあると思う。そういう複雑さを忘れるのはとても恐ろしいこと。

26日。
健康診断。一昨年の診断では腫瘍マーカーに異常が認められたので、胃カメラと大腸カメラの検査を受けた。良性のポリープがあっただけで、臓器の状態は良かったのだった。今年はどうだろう。バックに尿と便を入れて病院に向かうとき、なんとも言えない気恥ずかしさと緊張がある。何かの弾みで容器が破れたり弾けたりしたら嫌だなと心の底から思う。隣で飲食する人があると、なんだか申し訳ない。

27日。
ミックス作業のあと、知り合いの話を聞くために中華料理店へ。とても美味しい中華だった。俺は酢豚がはっきりいって苦手だが、苦手とは言い出せなかった。俺の勝手な印象だが、中華料理店で酢豚を頼む人は酢豚が特に好きで、注文するときに目がキラキラとしている。ゆえに、なんとなく酢豚が苦手だとは言い出せない気持ちになってしまう。仕方がないので食べる。そうすると案外美味しい。でも苦手。

28日。
リハビリ。まったくどうにもならないくらい肩が痛い旨を伝えたところ、これまでとは別のところに痛み止めの注射を打つことになった。これがなんとなくクリティカルという感じで、ズシンと響き、少しだけ肩が楽になった。炎症しているところが、医者の想像と違ったのかもしれない。もう半分諦めの境地に達していて、このまま一生痛いのかも知らんと思う日も増えた。街を歩けば、どこかに痛みを抱えているだろう人をたくさん見かける。みんな年老いている。俺も当たり前だが、年々老いていく。そうしていつか地球の重力にまた負けて、腰やら膝やらが痛くなったり、背骨が曲がったりするのかもしれない。背骨をシャンと伸ばすのは、この星の重力に逆らっているのだ。大量の大気が俺たちを絶え間なく押し続けている。水に深く潜れば、水圧でどうにかなってしまう。過酷だぜ地球、と独りごちる。

29日。
ZEPP福岡でライブ。実質ツアー初日。最高の夜だった。The ティバは凛としていて、まったく場の空気に媚びず、とても格好良かった。媚びてないけれど、拒んでいるわけではないというところが実は大事で、ちゃんと開かれたフィーリングの音楽だと思う。どこまでもやりたいように突き抜けてほしい。しかし、サーフの曲たちは演奏していて楽しい。俺たちの40代の初期衝動が蘇って炸裂している。

30日。
ヘロヘロで帰宅。原稿を書こうと机に向かったが、ほとんど言葉が出てこなかった。それでもテーマだけは決めて、脱稿を諦めてピザを食べた。夜は鰯を酢で締めたやつをつつく。酢で締めた魚を美味しいと感じる未来が待っていることを、子供の頃の俺は知らなかった。味の複雑さがわかるようになったのか、あるいは加齢によって感覚器官が鈍感になったが故の受容なのかは、正直分からない。

10月1日。
ZEPP東京。「Wonder Futureのツアーのときは中2だった」というWurts君の言葉に会場がざわついたのと同じように、ステージ袖でMCを聞きながらざわつき、のけぞってしまった。現在の彼は20代の青年になって、観客の前で溌剌と音楽を奏でている。少年や青年にとっての数年の濃さ。年々、時間が過ぎるのが早くなっていると感じる。あと何度、ライブができるだろう。噛み締めるように演奏した。