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小説「升田のごとく」・第15話

 目が覚めた。寒い。頭痛がする。
 体を起こすと、耕造は自宅のベッドの掛布団の上で寝ていたことに気づいた。
 寝室の灯りは点いたまま。身につけているのは、下着と靴下のみ。傍らには、パジャマの上下が放置されている。
 ベッドの下に目をやると、コート、ジャケット、ズボン、シャツが脱ぎ捨てられ、床に散乱していた。
 寒い。慌てて暖房のスイッチを入れ、耕造はパジャマを着た。そして布団と毛布をめくり上げ、ベッドの中に全身を滑りこませた。
 しばらくして体がようやく温まると、布団から頭を出し、壁の時計を見る。6時を少し回ったばかりだ。
 この状況は、いったい、どういうことだろう? ズキズキと痛む頭の中で、耕造は記憶の糸をたぐった。
 昨日は、新橋の将棋道場へ出かけたのだ。そして、竹内知美に将棋の指導を受けた。そこへ、男が現われた。大学の教授。黒豹に賭け将棋で負けた男だ。名前は何と言ったっけ? そうだ、安野。西北大学の安野教授だ。それから、知美と話を始めて……。
 あっ。由木子だ。由木子が会社に入った。知美の口から、そう聞いたのだ。大浜にスカウトされて、由木子が新富エージェンシーに入社したのだ。何ということだ。離婚した女が職場に戻ってくるなんて。こんなことがあって、いいのだろうか。 
 別れたカミサンは今どうしてる? 優秀なコピーライターだったよな。結婚退社したのがもったいないよ。彼女じゃなくて、お前が辞めれば良かったのにな。
 大浜がそう言ったあのとき、計画はもう進んでいたのだ。別れたダンナをお払い箱にするから、ぜひとも復職して当社のために存分に活躍してくれたまえ。ええ、承知しました、喜んで。両者の間で、そういう話が成立していたのだ。まったく、何ということだ。ちくしょう。人を馬鹿にしやがって。   怒りが再燃し、耕造は布団の端を思いっきり噛んだ。
 ただし、その後の記憶は、定かではなかった。道場を出て、電車に乗り、柏へ帰ってきた。そして、なじみの居酒屋「とり助」へ行き、ウーロンハイを注文した。覚えているのは、そこまでだ。記憶の糸は、そこでぷっつりと切れている。
 だが、おおよそのことは推測できる。居酒屋で、飲みすぎたのだろう。ウーロンハイを何杯も何杯もお代わりし、延々と飲み続けたのに違いない。それから店を出て、何とか自宅まで帰り着いた。そして寝室へ入り、灯りを点け、服を脱いでパジャマに着替えようとしたところで力尽きた。下着のまま、ベッドの上へ倒れ、眠りこんでしまったのだ。
 それにしても、いったいどれだけの酒をくらったのだろう。これほどの頭痛を伴う二日酔いなど、滅多にあるものじゃない。
 胃薬を飲もうと、ベッドからのろのろと起き出して立ち上がったそのとき、猛烈な吐き気がこみあげてきた。耕造は、慌ててトイレに駆け込んだ。   大量の吐瀉物を洗い流し、トイレから出ると、頭痛はさらに威力を増してきた。立っているのも辛い。よろめきながらキッチンへ行き、胃薬を飲んで、耕造は再びベッドに潜りこんだ。

 次に目が覚めたのは、昼前だった。
 頭痛は、相変わらず続いている。いや、頭だけではない。体の節々に鈍痛がある。風邪でも引いたのだろうか。
 耕造は体温計を取り出し、腋の下へ差しこんだ。37度6分。やはり、風邪か。だが、休んでいるわけにはいかない。アイデアを考えなくては。コピーを書かなくては。
 顔を洗い、着替えをし、牛乳を温めて飲んだ。それから、ふらつく頭と足取りで3階の書斎へ上がり、パソコンの電源をれた。 
 ウォーターフロントに聳え立つ、3棟の超高層マンションを思い浮かべる。その最上階に立って、イマジネーションの翼を広げてみる。 
 だが、そこから先が、まったく進まない。耕造の思考はしだいに力を失い、想像の翼は折れ、3棟の建物までもが揺らいで消えていく。 
 作業をあきらめ、パソコンのスイッチを切ると、耕造は書斎を出た。風邪薬を飲み、寝室へ戻り、パジャマに着替えてベッドの中に入った。

 夜になって、もういちど目が覚めた。顔も体も、ひどく熱い。寝汗をびっしょりかいている。喉が痛く、息苦しい。咳をすると、胸まで痛む。
 熱を計ってみた。39度5分もあった。ただの風邪ではないな。ああ、どうしよう。大変な病気だろうか。ひょっとすると、このまま死んでしまうのだろうか。アイデアを考えなくては。コピーを書かなくては。
 大浜に勝たなくては。由木子に勝たなくては。コンペに勝たなくては……。 
 耕造は起き上がろうとした。だが、高熱には勝てなかった。意識を奪われ、彼は眠りに落ちていった。

「インフルエンザですね」
 翌朝、駅前の内科を訪れた耕造に、医師は告げた。
「絶対安静にしてください。栄養を取って、体力をつけて」
 注射を打たれ、薬を出された。
 帰り道、コンビニに寄り、食料を買いこんだ。自宅までの数百メートルが歩けず、タクシーを拾った。
 12月も、いよいよ下旬を迎えていた。今日が、20日。三沢から指定された企画案の締め切りが、27日。
 それまでに、自分は回復できるだろうか。コンペに勝てる作品を、立案できるだろうか。朦朧とした耕造の頭に、不安が侵入する。 
 帰宅すると、耕造は三沢に電話をかけ、事情を説明した。気合と根性で病気を治してください、と三沢は答えた。いかにも彼らしい返事だった。
 そうだ。とにかく、治さなければ。
 まるで食欲の無い胃袋に、むりやり食事を押しこみ、耕造は医者からもらった薬を飲んだ。それから、パジャマに着替え、ベッドに入った。
 しかし、病状は快方に向かわなかった。
 翌日も、次の日も、その次の日も、耕造は寝室で臥したままだった。
 世の恋人たちが幸せな時間をともにするイブの夜も、彼はインフルエンザのウイルスとベッドをともにした。
 子どもたちは子供たちはクリスマスのプレゼントをもらって喜んでいるのに、彼は高熱と体の痛みをもたらされ、苦しみ続けた。
 アイデアを考えなくては……。コピーを書かなくては……。布団の中で、耕造はうわごとを繰り返した。

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