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高校時代、阿部寿樹よりも注目されている選手がいた


新沼悠太


その名は中学入学時から界隈に轟いていた
ストレートは高校1年の頃から130キロ代半ばを計測し、
一関一高で1年生春からベンチ入りした。注目度が高かったのは間違いなく、新沼悠太だ。
どちらかというと、注目度が高かったのは新沼悠太。
高校3年時には直球は140キロ台を計測、スライダーがウイニングショットだった

その変化量を象徴するのが高校3年の時、仙台育英との練習試合。
スライダーに、左の中軸打者がバットを出したが空を切り、
大きく曲がったスライダーが左打者の腹に直撃したことがあった

数年前、仙台育英前監督の佐々木順一朗さん(現学法石川・福島)と話をした時
「あのスライダー凄かった投手ね」と新沼は記憶に残るほどの投手。
新沼も阿部も一関市内の中学校出身。
選抜チームでも共にプレイしお互いに認め合う関係だった。
高校3年の夏は、花巻東と対戦し5対6で敗れた。
その試合で

1点ビハインドの8回菊池雄星(当時1年)から同点ホームランを放った

それが新沼だった。

高校卒業後、新沼は青山学院大学、阿部は明治大学に進学した。
2人とも早い時期に神宮球場のグラウンドでプレイするようになった。
私は球場に通い、その2人の姿をスタンドから見守る贅沢な4年間を過ごすことができた

しかし、東日本大震災で2人の運命は変わってしまった

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