2015(平成27年) 6月30日 記 平原サンの奥サン、悦子サンが面会に来てくれたよ。彼女はドライフラワーの発表会では日本一になったことが有るくらい有名な人なんだぜ。 先日、上大岡のスイーツパラダイスでさんざん甘いものをごちそうしてもらったっけ。それから3ヶ月ぐらいしかたってないってのに今はこうしてアクリル板越しに話をしなくちゃならないんだから情けないよ。 しかしあの時は平原サンも一緒で3人だったから気にも止めてなかったけどサ、今日は1対1であらためて向かい合うわけ
2015(平成27年) 6月29日 記 おい、運命のめぐり合わせか、世間が狭いというのか驚いた。 新入房から雑居へ移ると覚えのある顔がひとり。 そうだよ。19年前に初犯で東拘の図書に務めた時、隣の舎房で調べ所に配役させられてたKサンだ。 前にも言ったこと有ったろ。東拘に務めた時は舎房でタバコ吸ってたんだぜ・・・って。 オヤジの机の上からタバコとライターを拝借して来てた本人だ。 また今回同じ時期に東拘に送られて、同じ棟の同じ階のそして同じ舎房で会うなんて不思議なも
2015(平成27年) 6月28日 記 なあ。またこんなところで誕生日なんて迎えてしまったよ。 昔からこの誕生日だとか、何々記念日ってのには全くうとい俺だから、自分が何歳か間違えてた事もあったりしたけど、年取ってくると違ってくるね。 誕生日が来るのが嫌で嫌で仕方がない。 シャバに居たなら気にもならないのにサ。 またひとつ、またひとつって死に近づいてる気がするんだよ。そして人生どんどん短くなっていってるのにもかかわらず、こういう場所で無駄に時を過ごすことにものすごい焦
2015(平成27年) 6月27日 記 俺は特別頭がおかしいわけでもなく、眠剤や安定剤を飲みまくってるわけでもない。 ましてやひどい水虫に悩んでもいないし、他人に移る伝染病を持ってもいないので雑居に入ることになる。 しかし東拘では雑居に入る前にひと晩、新入房といわれる雑舎房で過ごさなくてはならない。 ここでのルールや生活の仕方を教えてもらうという名目だが、まあ何かあったとき「教えられたろ!」と言えるようにとの敵の作戦でもある。 オヤジ連中に「知らねーよ。聞いてねーぞ
2015(平成27年) 6月26日 記 今日移監になったよ。 およそ14年ぶりの東京拘置所だ。昔のままの古びた門をバスで通ったときは何ともいえない情けなさだった。 ところが建物に到着すると、明治のおもかげを残していた昔の東拘の姿は影も形もない。ハイテク化した建物の中に入ると、昔の調べ所とは違い広くて明るいフロアーだ。 しかし、びっくり箱がすらりと並ぶ風景は独特のものでこれだけは変わらないんだなって感じがした。 荷物検査だって今日送ら
2015(平成27年) 6月25日 記 取調べ。そろそろ移監だろう頃なので面倒看ってやつだね。 俺は明日、東京拘置所へ恐らく移監だ。 昔はこれで最後だからと、タバコ吸わせてくれたり、しばらく食えないものを食わしてくれたりしたけど法律が変わっていっさいそういうのは無くなったねネ。 タバコが吸えて、ジュースが飲めて、菓子まで食えた頃の取調べなら喜んで行ったけど、お茶一杯で終わりなら面倒臭い会話はしたくないので留置に居た方が楽さ。 今日の本来の目的はスマホの返還だ。
2015(平成27年) 6月23日 記 先生が面会に来た。 クリニックの服部サンから俺あてに返信が届いたのだ。 『ひとつあやまらなければならないです・・・面談を重ねているうちに俺の性格、癖、話し方などから1日も早く通所していればもっと違った人生を送れる手助けができたのではないか?』 と来ている。俺は先生に聞いたよ。 『先生、自分は服部サンと会話するよりも倍の時間先生と話をしてますが、自分の性格、癖、話し方から1日も早く病院入れた方が良いと感じますか。』って・・・。
2015(平成27年) 6月22日 記 マサが面会に来た。 『お袋サンの見舞いにこれから行って来る。どら焼き好きだっていうから買って来た。』 「ああ。悪いネ。お袋の見舞いの金と、マサにも少しで悪いが宅下げの用意してあるから受け取っといてくれよ。」 『これから使うんだろうから気にしなくていいけど、まあ、ありがと。 肩の手術の経過は良いらしいけど、立会人。 上田さんが来て全て面倒みてくれたらいいよ。 あのヤロウって怒って帰りに寄るって言ってたらしいけど来た?』
2015(平成27年) 6月20日 記 前に話したきのこ先生、逸平君と同じ事務所の人が留置されている。 ASKAにシャブを渡してた新宿の一派だ。 この前、逸平君と待ち合わせてメシ食ったとき、面会して来ると言うので外で待ってたことがある。 そんなことしたのでひっ張られちゃったのかナ。 その時の面会の相手がこの幸太郎君だ。 まあ共通の知人が有るという事で自然と話をすることも多くなるのだが、不思議な事が起こり出した。 運動の時間になると、 『ゴトーちゃん、逸平に何
2015(平成27年) 6月21日 記 警察の調べが全然掘り下げて来ないこと。 検事の調べも簡単に終わってしまったこと。 先生に言ったんだ。これは俺が出所して、お袋の面倒看ながら、薬を止めるためにクリニックに通ってるうえでの不運な逮捕となったことを認めて考慮してくれてるんですかネって。 そしたら、事件は事件で俺が薬をやってパクられてる事には変わりないのだから、それは考えない方が良いらしい。 でももしそれが本当なら、クリニックを信じて通ってた俺はバカを見た事になる。
2015(平成27年) 6月14日 記 ポッポって小学校の時からの同級生が居るんだ。 もちろんマサも知ってるよ。 一時はヤクザやってた。 頭悪いけど格闘技好きの武闘派だ。力もある。頭悪いから手加減ってものを知らない。だから余計に怖い。 奴に泣かされた後輩は数知れずだ。 シャブの売をしていたよ。 自分でも食うがその量がハンパじゃない。 シャブによれるやつは大抵一度に大量摂取するタイプだネ。 奴が懲役に行くようになってからは俺も懲役で、シャバで会う事はなくな
2015(平成27年) 6月11日 記 先生にはダルクをすすめられたんだ。 依存症回復のための自助グループだよ。 先生を通して面会を希望する手紙を出した。 先生としては出所後に何とか薬と手を切って生きれるようにとの思いからのものかもしれないが、俺にとっては出所したら自助グループの手助けを借りて生活するという、厚生意欲を裁判で示すための材料のひとつでしかない。 勿論口先だけじゃダメだ。 ちゃんと面会に来てもらって、確約を取って証拠提出する。 これで信用性はグンと
2015(平成27年) 6月7日 記 夕べ、就寝になってから新入が入って来た。皆もう寝ているので出入口側に布団を敷いて寝てもらった。 するとなぜか新入の35才は1時間に4回も5回もトイレに行く。朝になるまでに何回行った事か。 後で聞くと、緊張してたという事だ。実はとても気の小さい男らしい。 ところがこの男何をしてパクられたのかというと大麻だ。蒲田に仕事で使う工具を買いに行こうとバイクを止めたところで職質である。 使用の罪の無い大麻だ。 持って歩いてさえしなけりゃ
2015(平成27年) 6月6日 記 20日間の調べで作った調書を元に、検事が俺を裁判にかけますよってのが起訴だ。 その時には俺の手元には起訴状ってのが届く。 起訴状には起訴事実が記載されていて、俺の今回は"覚せい剤の使用のみ"だ。 俺の犯歴の中で最も軽い。これまで付いて来た、特例法でもなければ営利も付かない。麻薬向精神薬もないし大麻取締法だってない。 「使用」だけなのだ。死んだ親友のRが良く俺に言ってた。 『パクられたのは自分がアマチュアな仕事してたせいだ。チ
2015(平成27年) 6月5日 記 だいたい留置場のメシっていうと、朝夕が仕出し弁当で昼は食パン4枚ってのが都内じゃ定番かなナ。 そして昼だけは自腹で店屋物を注文できる。 メシに限らず自腹で購入することを自弁というんだね。ハブラシとかタオルとかもそうだ。 ここ蒲田警察は、カツカレー、かつ丼、ハンバーグ弁当、唐揚弁当、やきそばの中から選んで注文する事ができ、上の食堂で作っているらしくこれが結構美味しい。 菓子パンを注文する事もできる。それとは別にジュースも注文でき
2015(平成27年) 6月3日 記 月曜日にマサが来た時。 『ゴッサン情状証人どうなった?』 「ああ、この前福祉の林かクリニックの服部にって先生に言ったけどもその後どうなったかな。」 『なあ、チャマに出てもらえよ。』 「ええ⁉ダメだな。みっともなくて引っ張り出せないよ」 『俺の時は出てくれたぜ。』 「付き合いは古いけどナ。それだけに頼めねェよ。」 『身元引受人になってもらっちゃえばいいんだよ』 「余計できねェ。そんなこと。」 『俺は引き受けてくれると思