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みんな自由になりたがっている。

最近思ったことをばぁーっと書いてみる。

僕はふと思った「みんな自由になりたがっているんじゃないか」と。

この世の中には色んな人がいる。肌の色や、色んな髪の毛、身長が高かったり低かったり、お化粧をしたり、整形をしたり、男が好きだったり、女が好きだったり、色んなオタクや趣味や趣向。

僕は「あなたはここのカテゴリーだよね?」と何かの枠に収めることはしたくないし、気をつけているんですけど、みんな一人ひとりの個性をよく見てみれば色んなマイノリティーであり、その中で自分らしさを見つけて生きようとしている。

そして「多様性」という言葉が一般的になってきている現在はその「一人ひとり」の生き方が尊重されようとしてきている。一昔前は◯◯だったらこうしなくてはいけない、こうすべきだ、という同調圧力があったと思う。この「◯◯らしくすべき」ということに少しずつ「果たしてそれは正しいのか?」と疑問を持つ人が増えてきているのだと思う。

僕は「人は何かしらのマイノリティー」だと思っているんだけど、みんな同じってことはないはずなんです。少数だから隠れていたり、のびのびとできないってことは今までも、そして今でもあると思う。

しかしだんだんと時代は変わっているし、今が潮目なんじゃないかと思っている。こんなことを書くと「社会派」みたいに見られるかもしれないけど、社会全体でこういうことに疑問を持ち、変わって欲しいな、と思っていれば、その一人ひとりの小さな気持ちが集まって社会の雰囲気は変わっていくと思っている。

最近はジェンダーの問題とか、LGBTとか、色んな差別についての記事を読み漁っているんだけど、解決しなくてはいけない問題はまだまだある。僕はそれらの問題に関して専門家ではないのだけど、知ったことや、学んだことは、自分なりの言葉でこうやって伝えていきたいと思っている。
こないだLady knowsの主催者でもある辻愛沙子さんと話していたことなんだけど「専門家じゃなくても、感じたことや疑問に思うことはどんどん話して、議論して、そういう雰囲気を作っていきたいよね」と、そんなことを一緒に話した。

これは記事でもなんでもないけど、僕はこうやって思ったことを書いている。noteは気軽に書けるからいいよね。そして僕がなんとなく思った疑問や、こうなったらもっとみんなが生きやすくなるのにな、なんてことを伝えることによって共感されたら嬉しいな。

なんかふわふわした文章になっておりますが、僕の願いはただひとつ、どんなマイノリティーの人も、のびのびと生きれる世界になればいいと思っているのです。そしてのびのびと生きれるだけじゃなくて、その個性って素晴らしいよね!と認められて、その人がスポッとハマる場所がたくさんできたらいいなと思っている。

「人間にとってもっとも悲しむべきことは、病気でも貧乏でもない。自分はこの世に不要な人間なのだと思い込むことだ。」

これはマザーテレサの言葉です。僕の言葉だけでは心許ないのでマザーテレサのお力を借ります。

僕はこの言葉を見るたび、ちゃんと受け止めてくれる、受け皿になってくれる社会やコミニティーをもっと育てていかなければいけないなと思うのです。これは大袈裟でもなんでもなくて、マイノリティーの人たちが陥ってしまうかもしれない現実なのです。

マイノリティーマイノリティーと連呼していますが、これを読んでいるあなたも場面によってはマイノリティーになることだってあるのです。だから人を大切にすることは自分を大切にすることにも繋がるのです。

これからは大人たちも変わらなくてはいけないと思うし、若者たちにはそんな社会を作っていって欲しい。そして問題を知って欲しい。もちろん僕も考えてます。どうやったら解決するのか、その手段はこうやって文章を書くことなのか、人前で喋ることなのか、楽しく解決する手段もあると思うし、オシャレにしてみたり、考えれば色々な方法があると思います。

大切なのは想像力です。隣の人のことを思う気持ち、出会ってないけど苦しんでいる人たちの気持ちを考えることも、想像力を働かして考えていこう。

自分の思いを書き綴りました。最後まで読んでくれてありがとう。

みんなが自由に生きていける社会が来ることを今日も願っています。

#Ladyknows

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