「わたしと仲の良かったピグミーは、死にそうな時に『水中を漂う夢』を見るのだろうか」にもらった質問

 昨日、「わたしと仲の良かったピグミーは、死にそうな時に『水中を漂う夢』を見るのだろうか」をアップロードすると、それを読んだある人が質問してくれました。その質問に答えます。

 その人は「高齢者や身体障がい者のゴリラ、チンパンジー、サルは元気じゃなくなっても群れに残って他のメンバーに面倒見てもらうのだろうか? それとも置いていかれるのだろうか?」と疑問を出しておられました。

 チンパンジーでは木に登れなくなり、走って逃げることもできなくなった高齢個体と出会った場面を、拙著『ヒトは人のはじまり』に書いています。

 どんなふうに書いたかというと

 〈じいさん〉に出会うまで、そのチンパンジーのことはまったく知りませんでした。〈じいさん〉は、コンゴ共和国の「ンドキの森」にいました。

 森を歩いていた時のことです。すぐ近くから、突然、おおぜいのチンパンジーの声がしました。立ち止まると、暗い地面の上で何か大きな動物が動くのです。目をこらすと、チンパンジーが一頭、地面に座り込んでいました。チンパンジーも、われわれが気味悪かったに違いありません。危険が近づいたら、チンパンジーはたいてい木に登ります。木がなければ走って逃げればいいのです。しかし、そのチンパンジーは逃げません。ふつうではないようです。どこか変です。

 目が慣れてくると、チンパンジーは年寄りのオスだとわかりました。やっと聞き取れるぐらいのかすかな声で、わたしを脅かします。わたしは、そのうち、その〈じいさん〉チンパンジーは立ち去るだろうと一時間も座って待っていたのですが、静かにしていると、立ち去るどころか〈じいさん〉は、いねむりを始めたようでした。うそのような本当の話です。

 チンパンジーには、時に「長老」のようなオスの高齢者(「高齢個体」と言い直すべきでしょうか?)がいます。タンザニアのあるチンパンジーは歯がぬけて、かたい木の実がかめなくなり、その上、走りることもできなくなりました。ただ、そのチンパンジーは高齢者になってからも信望が厚く、まわりのチンパンジーから「長老」という言葉がピッタリの扱いを受けていたそうです。わたしの会った〈じいさん〉も「長老」だったのでしょう。みんなが大事にしなかったら、森の中では、老いて生きのびることはできないからです。(『ヒトは人のはじまり』(毎日新聞社)、53ページから54ページ)

と書きました。

 障害のあるゴリラは、ブラザビル動物園の再野生化施設に、ポリオのために腰から下が麻痺したゴリラがいましたが、野生個体では知りません。

 野生個体では集団で移動しますから、それについていけないとなると、高齢個体や障害のある個体は生きていくことが難しくなるでしょうね。

 その個体や集団の状態によって、可能なら面倒をみることもあるのでしょうが、不可能なら置いていかれるのだと思います。

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