ゴリ松千代

どうも、ゴリ松千代(マッチョ)です。書くジャンルが多岐に渡るため、フォローはあまりオス…

ゴリ松千代

どうも、ゴリ松千代(マッチョ)です。書くジャンルが多岐に渡るため、フォローはあまりオススメしません。家族との人生の中で考えている事、マイナーなゲームの攻略、気軽に笑える失敗談、実際に経験した怖い話をメインに据えたいと思っています。私はこの名前では他のSNSは一切していません。

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🔹投稿記事まとめ【随時更新予定】🔹

どうも、ゴリ松千代です。 本稿では、これまでに投稿された記事に対し、要約を一言残した上でリンクを掲載している。主に自分が瞬時に思い返す、または時間をかけて読み返すためのものだが、何か琴線に触れるような一言があれば是非元ページへ飛んで頂ければと思う。 ───── 考える日常生活を生きて考えている事、学んだ事など。 弱パンチ、弱パンチ、前進 『自分を良い子だと言い聞かせ我慢し続ける』という性格の成れの果て。背伸びする気概は大事だが、その高さを自分だと偽るのはやめた方が良い

    • 弱パンチ、弱パンチ、前進

      どうも、ゴリ松千代です。 子どもが二人、三人と増えていくうちに、一番上の子に対し「良い子だね」と言われる機会が増えた。良い子である事は本人にとって当然ながら良い事だし、言ってもらえる事は親である私も嬉しい。だが手放しでは喜べず、いつも私は一抹の不安を抱えていた。私自身の人生の過ちを繰り返して欲しくないという、ステレオタイプな親を体現したようなただの我儘なのだが。 ──私は『優しい子』だった。大家族と呼ぶに相応しい人数が家の中にいて、間違いなく私が一番優しかった。私が意識し

      • 真実の告白、エイプリルフールの本懐

        どうも、ゴリ松千代です。 結論から先に書かせてもらおう。普段は言いにくい『本当の事』こそエイプリルフールに言うべきである、と。察しの良い方に対してはもはやこれだけでこの記事を終わらせられるほどに簡潔にまとめてしまった感があるが、それでもお暇な方はもう少しだけ付き合っていただきたい。 嘘をついても良い。つまり、必ずしも発言が嘘である必要はない。イギリスに倣って午前中だけに限定するのも堅実で良いだろう。例えば「働かずに済むほどのお金があるが、嫉妬が怖くて言いにくい」……それを

        • 実態と発信の匙加減、その狭間

          どうも、ゴリ松千代です。 喜び、嬉しさなどの『幸せ』を発信する事は難しい。忙しい=正義と信じてやまない人間が散見されるからだ。SNSを見ていても、やはり不幸自慢は声が大きい。若いなら「若気の至りだな」で済むが、自分のため(我儘に生きるという意味ではなく、未来の自分)に何もして来なかった人間が「あれがない」「これがない」と言っている様は愚かという他ない。他ないが、見物しているだけで自己肯定に繋がるという利点が一応はある。こうならなくて良かった、自分は動いてきて良かったと。友人

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        🔹投稿記事まとめ【随時更新予定】🔹

          政府への文句、税金の使い道

          どうも、ゴリ松千代です。 あんな事(ネタバレの件)があったにも関わらず、つい𝕏を見てしまう。まぁネタバレを恐れる事なんて、今はジョジョ9部くらいしかない。フォロワーさん方の平和な日常を垣間見るのも良いのだが、どうしてもその思想を反映したフォロワー外の人間のポスト、いわゆるリポストがタイムラインを飛ぶ。その中でもデリケートな内容なのが『政治』に関する話題だ。 今回はとあるリポストに焦点を当てたい。本人やリポスト先の特定を避けるためにとてつもなく要約してしまうが、『すぐ政府や

          政府への文句、税金の使い道

          家事としての料理、趣味としての料理

          どうも、ゴリ松千代です。 蒸し鶏と鶏チャーシューならどちらが食べたいか、とキッチンにいる妻が疑問符を投げ掛けてくる。食いしん坊な私はどちらも捨てがたいと言ったような表情で、胃袋のはるか底から低く迷う声を出した。そんな優柔不断な態度はいつもの事だったのだろう、妻は返事を待たずして無言で動き出す。気がつけば鍋が2つ用意され、選択肢2つともがそこに並んだ。肉ではあるが、両手に花だ。最大限の感謝を示し、瞬時に平らげる。 家事のうちの一つ、料理。私が考えるに、『冷蔵庫にある物を応用

          家事としての料理、趣味としての料理

          子育て、人生の登竜門

          どうも、ゴリ松千代です。 先日、パパ友家族が遊びに来た。子どもの前を歩き、強がりな背中を見せ、時に肩を並べて子どもと共に歩む。こうして育まれた『親として良くあろう、正しくあろうとする気概』が、親である私達に確固たる芯を与えてくれる……なんて批評をしてみたものの、普段そこまで考えずに子育てに対し純然と向き合っていた。が、やはりそれは個々の人間なのだ。あなたという出来た人間がいるだけで、それが出来ない人間もいる事を間接的に気付かせてもらう出来事は依然としてある。私はこの『出来た

          子育て、人生の登竜門

          冬のスノーボード、春のボードゲーム

          どうも、ゴリ松千代です。 先日、とある友人が遊びに来た。もうそろそろ長い付き合いになる。社会性があり、社交性があり、こちらから気を遣わずとも円滑なキャッチボールの出来る貴重な存在。人様の家の敷居を跨ぎ「気にしないでー」なんて言いながら黙ってスマホで好きな事をしているようなタイプではない(そんな奴そもそも家に居ろよって話にはなるが)。いつも笑顔で、過度なテンションにもならない。これが食べたい、それで遊びたい、あれがしたいといった主張もある。親しき中に礼儀のある、気の置けない友

          冬のスノーボード、春のボードゲーム

          現場に戻らぬ犯人と、声の大きな被害者

          どうも、ゴリ松千代です。 ここ最近では最悪のネタバレを見た。いや、過去一番かもしれない。𝕏で、フォローしていない人間のポストだ。「そもそも𝕏を見るのが悪い」とか言ってる奴、別に私はそれが見たくて𝕏をやっているわけではない。だがその意見も私は受け入れよう。ごもっともだ。私はネタバレされて嫌な事がある時、SNSから距離を置いた方が良いようだな。そいつのSNSの使い方が全面的に悪とも言えないから批判は出来ないし、『私の思う悪行』から身を隠す事しか出来ない。 すぐさまそのポストか

          現場に戻らぬ犯人と、声の大きな被害者

          言う時は言う、ただその時が未定の火蓋

          どうも、ゴリ松千代です。 ある日私は精神的な負荷を溜め込まないために、献身的な事で他の追随を許さぬと有名(主に私の中で)な妻に愚痴をこぼしていた。その愚痴こそが妻の精神的な負荷になるであろう事を考えていなかった私は、その時珍しく「ふーん…」くらいで返されてしまった事を深く深く反省した。本当に。 私が言った細かい内容や関係は省くが、私が言いたいのはここからだ。私は愚痴を言う事で理性が働いて感情を抑制出来ている部分が少なからずあった。だから私の場合は愚痴を言う対象がいない場合

          言う時は言う、ただその時が未定の火蓋

          だから私は無知であり続けたい

          どうも、ゴリ松千代です。 友人との会話の中で言われて「特に意識はしてこなかったが、確かにそうだ」と思った。私は自分の『知らない事』を出来るだけその場ですぐに調べるようにしている。答えや結論は当然の事、その理由や過程、起源や成り立ちなども。自分を大きく見せたいわけではない事は先に言っておくが、私に言わせればこれだけだとやや語弊がある。私は『知っている事』も改めて調べ直している。間違って覚えていたり、定義が変わる、情勢が変わる、意味に変遷がある、アップデートで仕様が変わった、な

          だから私は無知であり続けたい

          考えたくない自分、考えない方法

          どうも、ゴリ松千代です。 私はルービックキューブが好きだ。せいぜい1分を切れる程度で、胸を張れるかと言われると少し気が引ける。これ以上記録を伸ばそうとするといきなり難易度が跳ね上がり、ここからは『特技』の成せる技なのだろうな、という事だけは『趣味』で立ち止まる私にも良く理解出来る。 それでも私はこの立方体をこね続ける。そしてそれは、他の何事も考えなくて済むからという理由が大きく占めている。そう考えると、タイムなんて追い求めずに60分くらい続けてた方が良いんじゃねーかとは思

          考えたくない自分、考えない方法

          考え方についての考え方について

          どうも、ゴリ松千代です。 はるか昔の話をするが、「どうして考えてしまうのか、答えを出してみて」と言われた。なんだよ、答えって。遅めにやってきた三度目くらいの思春期、私は『考えすぎてしまう事』に対してとても疲れていた。何故私はこんなにも余計な事に思考を巡らせてしまうのだろう、と余計な思考を巡らせた。南を向きながら北へ這いずっているような感覚だ、まるで進んでいる気がしない。そんな私のモヤがかった燻製脳味噌に対する『応え』は、考えに考え抜いた末に考える事自体に意味があるという事で

          考え方についての考え方について

          【失敗談】言葉の重み、その裏側

          どうも、ゴリ松千代です。 私は学生時代、国語が得意だった。いや……のっけから正直に言ってしまえばそんな事は建前で、それ以外はてんでからっきしだったと言った方が正しい。まぁとにかく、その『得意』だった科目を武器に私は高校受験へ挑む事になった。試験の正確な順序こそ忘れてしまったが、国語は最初の方だったような覚えはある。そんなわけなので、「これは早い段階で試験への追い風になるぞ」と意気込む事が出来たのは記憶が薄いなりに確かだ。 時は流れ受験日当日、国語。 私はその『類まれなる

          【失敗談】言葉の重み、その裏側

          学ばぬという学び、『帰る場所』の変遷

          あけましておめでとうございます、ゴリ松千代です。 「親として何か気をつけてる事とかありますか?」と言われた時に「『怒る』じゃなくて『叱る』ように気をつけてますねー」なんてどこかで聞きかじった台詞をドヤ顔でブチ込んで悦に浸ってたんだけども、いやいやしっかり考えてみればそれぞれの子どもの躾ってこんな聞こえの良い言葉一つでまとめられるような単純なもんじゃねーよなと思う。簡単な会話のやり取りの中だから仕方ないのだが。 私は子ども達に甘えていた。何か粗相をした時に親である私が難しい

          学ばぬという学び、『帰る場所』の変遷

          ゆく脳、くる脳

          どうも、ゴリ松千代です。 「今年もあっという間に過ぎたね」、というセリフをよく聞く。このクソ世知辛い世の中を生きる上での会話術、あるいは処世術として、この定型文は使われるのだろう。人と会う機会の増えるこの年の瀬、あまり尖った事を言うと変に目立ってしまう事もあるからだ。定型文にはそういった良さもあるが、その辺に思う事はまた別の機会に。 ここであえて私は声を大にして言いたい(この言い方もステレオタイプの慣用句だな、という感じがして実の所あまり好きではない)。「いや、ちゃんと今

          ゆく脳、くる脳