ARuFaさんすみません
「ARuFaの日記」との出会いは2010年7月上旬、小学6年生でした。
私は初めて富士急ハイランドに行くことになり、絶叫マシンに興味がありつつも少し不安で「富士急 日記」と検索し出てきたブログに記された生の感想を片っ端から見ていました。
そして「富士急ハイランド ダイジェスト」というARuFaの日記の記事を開きました。衝撃的でした。当時、他のブログは画像もあまり無ければ面白要素なんてほとんど無いのに対し、ARuFaの日記は画像は豊富で一文一文がセンスに満ちていて声を出して喜んだのを覚えています。
ARuFaの日記は左側にバナーのように力を入れたネタ記事の一覧があり、ひと目で気に入った私はそれらの記事を片っ端から読みました。ここに掲載された以外のバックナンバーと新規更新分も毎日少しずつ読むようになり、とんでもない金塊を見つけてしまったという気分でした。
2010年当時のARuFaの日記はコメント数が5~6件でした。
ここまではまだ個人でパソコンの前で笑っているだけでしたが、次第に実生活にも影響を及ぼし始めます。
まず、ARuFaさんのオリジナルキャラクターで「ルジョンド和田」という鼠色のフェルト製人形があり、ブログアイコンにもなっているのですが、これを家で20体ほど制作しました。
ちょうど家庭科の授業で使うために買い込んだフェルトが大量にあり、その生地と綿、あとは黒い紐と「並縫い」の技術さえあれば簡単に作ることが出来ました。オリジナルと比べると形は三角形に近く八ツ橋みたいで、綿を詰めすぎたせいでぬいぐるみの様になっていたと思います。大きさも20cmほどのものから5cm程度の物まで、色もピンクや緑などバリエーションがあり、小さいものは誰にも見せないのに学校に持っていっていました。
これらのルジョンド和田の中でも特に出来の良かった数体には運動会の前日、徹夜までしてハチマキを縫い付けたり、課外学習の時はカメラや水筒を縫い付けてイベント使用にする凝り様でした。
課外学習の時に行った浄水施設で紛失しました。
(追記)物置状態の棚の奥で潰れていながら唯一現存していた和田
さらに、授業中に窓の外を虚ろな目で眺めながら「ルジョンド和田がアニメ化したら」という妄想にふけた事もあり
「朝6時50分からの1分アニメ、オープニングは4秒間で右からストップモーションアニメで人形のルジョンド和田が歩いてきてタイトルが出る」で決定しました。
布教活動にも余念がなく、友達を家に呼んでARuFaの日記 記事・動画鑑賞会のような物を開いたり(大好評でした)、当時はインターネットと言えば検索くらいしか出来ず、ファイルの解凍も出来ず、Yahoo!のアカウントさえも取れなかった私が唯一使えた発信ツールであるうごくメモ帳で紹介動画を作り投稿していました。
そんなPCに関しては赤子同然の私でしたが「ARuFaの日記が閉鎖したら」「『はてな』が潰れたら」という杞憂に突然襲われ、拙い知識ながらサイトを丸ごと保存できてオフラインで鑑賞できるフリーソフトを見つけ全記事をダウンロードしたり、YouTubeに投稿された動画を全てダウンロードしました。
最近「匿名ラジオ」で鏡餅殺人事件が再上映されていましたが、オリジナルと比較してカットがあった事を私はわかります。
ARuFaの日記を知って約半年が経った2011年2月、「ハッピーセットのCM 家族で演ってみた」という記事と動画が少し話題になりました。私は好きだったブログに日があたり嬉しくなったのを覚えています。
それから人気はうなぎ昇りで、コメント数が20~30件は普通につく人気ブログになっていきました。
2012年7月、『「ペプシ 塩スイカ味」 レビューと活用法』という記事が大バズリしました。中空にしたスイカにペプシコーラを流して棒で強く叩くと信じられない音と共に爆発するという動画で、この記事に添付された10秒程度の動画はまとめブログに掲載された影響で瞬く間に50万再生を突破しました。
私はどこか快く思いませんでした。
そしてこの日からほぼ毎日更新を確認していたブログから距離を置くようになりました。
2014年、決定的な出来事が起こりました。
ARuFaさんがオモコロを運営するバーグハンバーグバーグに入社したのです。
私はオモコロのノリがあまり好きではありませんでした。
でも「嫌い!」という程でもなく、「興味が無い」に近かったと思います。
好きでも嫌いでもない、ないし好きか嫌いで言えば嫌いという程度でした。
でもこの出来事がきっかけで、なぜか明確に「嫌い」になりました。
オモコロとプロフィールに入っているTwitterユーザーは関係者ファン問わず全員ブロックしました。
ARuFaさんも。
富士急ハイランドダイジェストに登場したクワばぁさんも。
今までの自分との決別でした。
それからARuFaさんの事はふたばimgのサムネイルくらいでしか見ることはなくなりました。
あれから5年が経ち、精神的にある程度成熟するとなぜこんなことになったのか分かりません。
インディーズ時代からバンドや芸人を応援していて、人気が出ると冷めるという感覚に近いとは思うのですが、何故こんな過激に拒絶したのか分かりません。
今読んでも、10年以上前のARuFaの日記は面白いです。
ブロックは全て解除しました
ARuFaさんとクワばぁさんのフォローも戻りました
ARuFaさんすみませんでした。
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