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愛聴盤(5)マウエルスベルガーによるマタイ受難曲

ルドルフ・マウエルスベルガーが弟のエアハルトと共に成し遂げた一世一代の名演奏。彼にとって、音楽キャリアの総決算となる録音である。一音一音丁寧に、噛み締めるように紡がれる。重厚でありながら、細部まで明瞭な音楽。兄弟ともに教会音楽家だけあって、合唱団は良く訓練されている。児童の声は音程が不安定になりやすいが、ここではそのような心配はいらない。一曲目の「来なさい、娘たちよ」は落ち着いたテンポで、合唱団員の気持ちが上滑りすることなく、ゲヴァントハウス管の充実の響きに支えられて、見事に歌い切っており、実に感動的だ。

福音史家は当時35歳のペーター・シュライヤー。その声の輝きは素晴らしい。エルンスト・ヘフリガーは同じ年齢で、ギュンター・ラミンの指揮で、ヨハネ受難曲の福音史家を歌っていて、若々しいながらも滋味があって素晴らしいのだが、それに比べると、シュライヤーは、声の力に頼っていなくもない。だが、そのことがこの演奏の価値を下げるものではない。むしろ、この名歌手が既にこの年齢で自分のスタイルを確立していたことを認めるべきだらう。この人は、音楽の輪郭をきっちりと描くことにおいて他の追随を許さない。

その点、イエス役のテオ・アダムは流石で、威厳と包容力を兼ね備えている。その声は厳しさより慈愛を感じる。シュライヤーとアダムがしっかりと役割を果たしているため、コントラストが生まれる結果となった。

この曲が西洋音楽の最高峰にあることに誰もが異論はないが、この演奏は、バッハゆかりのライプチヒにおいて録音されたことに価値がある。時は冷戦真っ只中の1970年。東ドイツの威信をかけた国家的プロジェクトであったはずだ。歴史あるゲヴァントハウス管弦楽団と当代一流の歌手陣を揃えている。指揮者に指名されたのが、長年にわたり教会音楽にしっかり根を下ろしたマウエルスベルガー兄弟であったことは、我々リスナーにとって実に幸運なことであった。

実に誠実かつ真摯な演奏である。リヒターのように強烈なインパクトは無いものの、繰り返し聴いても飽きない。声楽陣はオーケストラの音色の美しさやアンサンブルに惚れ惚れとするし、慎ましやかさを感じる。

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